世論調査の数字で、緊急事態宣言発出するべきという意見が60%を上回った様だ。民主主義体制における政権では、発出する以外に手が無くなってきた。
日本が好戦的な国内世論に圧され、軍部が台頭した歴史を繰り返すように、民主主義は時に論理性を欠いた感情論に支配され、自ら墓穴を掘る。どれだけ政府が懸命に抵抗しようとも、何を発信しても上から被せる様にメディアに連続射撃で消され、発信力がないと非難される。この場合の『発信力がない』というのは、自分達と同じ意見の発信がないことをいう。メディアという情報権力による、暴力的な政策誘導でしかない。
新型コロナは怖い病気である事は事実だが、だからこそ、正しく恐れなくてはならないのだ。そして、ゼロ化は出来ない事も理解する必要がある。どれだけ強制力のある抑止政策を実施して一旦ゼロにしても、再び感染は拡大する事は世界で実証されている。日本は、その事をいち早く理解し、Withコロナ施策に舵を切っており、バランスの取れた現実的な政策実行を目指していた。それなのに、諸外国で失敗している、ゼロ化政策を絶対神の様に語り続けるのは、余りにも酷すぎる。
医療崩壊は起こり得ない、本当に怖いのは非建設的な2極化現象である
医療崩壊も日本では起こり得ないはずだ。日本が新型コロナに割いている医療資源は、全体から見ればごくわずかな割合だ。ドキュメンタリー調でミクロな現場を放映すれば、現場の厳しさは視聴者には伝わる。厳しいのは当然だ、医療現場なのだから。しかしそれは、他の病気治療現場でも同様である事を忘れてはいけない。
インフルエンザ激減、上気道感染系の肺炎は半減以下、他の肺炎も減少、という状況で、昨年比では余裕があるはずで、地域ごとに最適な医療配分を断行すれば良いだけなのだ。それを許さないのが現在の医療業界の既得権益構造であるならば、それを問題視するべきだろう。
テレビに出て、医療崩壊を訴えるのは、綺麗ごとではなく、医師会長ポストなどの勢力争いの売名行為や、自身の勢力範囲、例えば開業医の領域を守るためであったり、政治的には政治家の票固めであったり、様々な裏側の視点も考慮する事が必要だ。上記の医療崩壊の謎に、正面から答えないで、これまで感染症の経験が無かったことを理由にした体制整備の問題にすり替えているのは、論理すり替え、矛盾と見極める必要がある。
繰り返しになるが、新型コロナは怖い病気である事は間違いなく軽視できない。しかし、世の中に出回るデマの多さに、騙されるか、あまりの酷さに聞く耳を持たずに軽視するかの2極化現象が最も恐れる危機なのだ。
感染力は間違いなく強く、一定の重症化リスクも伴う。それに従って致死率も現状でも1%前後の数字を示している。無症状の、感染非確認者が一定数存在する事も想定できるが、実際の感染者が10倍までだろうと想定すると、致死率も0.1%までしか下がらない。風邪と同等には出来ない理由がここにある。
しかし、風邪と同様の対応方法で抑止はできる。これを正しく伝えられない原因はテレビによって生じている2極化現象なのだ。どれだけ正しいメッセージを伝えても、言う事を聞かない一定の率は絶対に存在する。ある程度は、社会悪として受け入れる必要があるが、デマでかき回された結果、多数を占めると危険なのである。
正しく恐れて、正しい抑止行動が重要
自分が感染者のつもりで、人に移さない様に行動を心がける。うつさないと言うのは、まずは、飛沫を飛散させない事。通常時はマスク着用だろうが、食事中の会話は飛沫飛散に繋がる最大のリスク、という事を理解した行動を徹底すればよい。そして、何よりも、風邪気味の時に、通常以上に気を付ける事。
ウイルスの拡散リスクの高い人の行動抑制、無症状者含めた全員に自分がウイルスを保有しているつもりでの行動抑制以上の感染抑止は存在しない。無症状者全員に検査をする意味などないのである。
そして、何よりも感染を防ぐ行動を心がける事が重要なのだ。マスクは無いよりも有るに越したことはないが、予防効果は万能ではない。それよりも、小まめな手洗いうがい、手指消毒の方が有効だ。初期免疫を高めるためのビタミン摂取、水分摂取で喉や鼻を常に潤す、マスクはこの保湿効果に有効だ。僅かな変調に敏感になることも大切。早めのケアで自分を守る。
それでもゼロはあり得ない。不幸にも感染し、発症する事も100%は防げない。その場合は、発熱外来、保健所やかかりつけ医に相談をして対応を決めるのは義務である。素人判断ではなく、医師の判断を仰ぎ、指示に従う以外にないのだ。
ここまでのことを考慮すると、特措法で定める強制力のある措置として必要なのは、第一に医療資源の再配分に関する強制力。第二は、医療以外の検査で誤った認識を持たせない様に制限する検査の統制管理。第三は、情報の統制である。休業要請の強制力と補償など4番目以降で充分ではないか。
よく考えて欲しい、マスコミのない時代に、新型コロナが流行したら果たして、パンデミックになっただろうか。毎日、感染者数最高と言われ続けるから、必要以上に恐れているだけではないだろうか。全くマスコミが感染状況を伝えなければ、同じ様に緊急事態宣言を出すべきに60%もの人が賛同するだろうか。
今の感染状況が収束するとは、どういう状態を指すのだろう。誰も、恐れず、騒がなくなると、メディアは視聴率が取れないので必要以上に危機を煽るのをやめるだろう。メディアが報じなくなると皆は忘れていくだろう。鶏が先か、卵が先か。そのトリガーになるのがワクチンであり、治療薬であった。つまり、ワクチン開発で新型コロナの精神的安心を得て、必要以上に騒がなくなり、結果メディアも報じなくなれば、収束に向かう。例え、同様の感染者数、重症者数、死者数が発生したとしてもだ。
しかし、緊急事態宣言やむなしの現状では、それまでに払う代償はとてつもなく大きい。情報を見極め、冷静に論理考察できれば払う必要のない代償なのだから、残念でならない。
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多田 芳昭 LogINラボ代表
一部上場企業にて、セキュリティ事業に従事、システム開発子会社代表、データ運用工場長職、セキュリティ管理本部長職、関連製造系調達部門長職を歴任、2020年副業としてLogINラボを設立しコンサル事業活動中。