慰安婦は「性奴隷」だったのか契約だったのか(アーカイブ記事)

池田 信夫

有馬哲夫氏の慰安婦についてのコラムが海外で問題になっています。これはこの記事(2021年2月25日)で紹介したラムザイヤー論文について書かれたものですが、有馬氏は「ラムザイヤーは正しい」と論評しているので追記しました(追記2)。

 

ハーバード大学のマーク・ラムザイヤーの論文、“Contracting for sex in the Pacific War”が、世界中で物議をかもしている。例によって「慰安婦を売春婦というのはけしからん」という批判が多いが、慰安婦が売春婦だったことは歴史的事実である。それは金銭を支払う商行為であり、日本軍が戦場に連れて行ったという「強制連行」説を裏づける文書はない。

問題は、それがどういう商行為だったかということだ。ラムザイヤーはそれが自発的な契約だったと考え、その合理性をゲーム理論で説明しているが、その根拠があやしい。

確かに慰安婦の賃金は兵士の数十倍だったから、それにひかれて自発的に慰安婦になった女性もいただろう。しかし売春は危険で不快な仕事である。貧しい親が売春業者から借金し、それを返済するために娘が売られたケースが多い。これは秦郁彦氏が多くの史料で実証的に指摘している。

ラムザイヤーはこれを「売春業者と娼婦の契約」として分析するが、肝心の契約書が1枚もあげられていない。彼は「そういうソースを知らない」と書いている。

I know of no source detailing how often the upfront payment went to the woman herself, how often it went to her parents who kept it on her behalf, and how often it went to abusive parents who kept it for themselves. Note, however, that prostitutes were not prisoners. 

一次史料なしで「契約」の内容を論じるのは、経済学のケーススタディとしてはともかく、歴史上の(きわめてセンシティブな)問題についての論文としては好ましくない。これについては彼の同僚のアンドルー・ゴードンも批判している。

ゲーム理論の使い方もおかしい。慰安所が多額の賃金を前払いしたことを信頼できる約束(credible commitment)として説明するのは、合理的な雇用契約を前提にしているが、慰安婦が前借りした賃金を持ち逃げしたら終わりだ。慰安婦の多くが逃げないで年季明けまで働いたのは、娘が逃げたら親が借金を取り立てられるからだ。

慰安婦は「性奴隷」だったのか

ラムザイヤーのいいたいことは、コラムにも書いているように「性奴隷」はフィクションだということだろうが、これは「奴隷」の定義による。それを「人身売買で売られて身体を拘束される労働者」と定義するなら、当時は娼婦の多くが(内地も含めて)奴隷だったことは否定できない。

それは黒人奴隷のように永久に自由を失うわけではなく、借金を返済して年季が明けたら解放される年季奉公(indenture)だったが、娼婦の意思で契約は解消できなかった。吉原の遊郭のまわりには、逃亡できないように深い堀がめぐらされていた。戦場では、日本軍の野営地を離れて生きることは不可能だった。したがって「娼婦は囚人ではなかった」というラムザイヤーの記述は正しくない。

つまり慰安婦は、親の借金を返すために娘が働く債務奴隷だったので、当事者の契約書はなく、親の借金の証文しかなかったのだ。これを当事者間(慰安所と慰安婦)の合理的な契約として説明するのは無理がある。少なくとも慰安婦本人が契約を結んだという証拠がないと、ラムザイヤーの議論は成り立たない。

NYタイムズなどが「強制連行」という言葉を使うのをやめたのは、慰安所を経営していたのが民間人だとわかったからだ。そこで彼らは問題を「性奴隷」にすり替えた。慰安婦はアメリカの黒人奴隷とは違うが、人身売買で(期限つきで)身体を拘束するという意味では奴隷の一種だった。それは20世紀前半まで、世界中で(途上国では今でも)行われた慣習だった。

人身売買は当時も違法だった

しかし日本政府は、人身売買を公認したわけではない。当時は売春は合法で、慰安婦は政府の免許を得た「公娼」だったが、人身売買は違法だった。政府も軍も人身売買や誘拐を禁じていたので、国家責任はない。南北戦争まで大規模な奴隷制と人身売買を政府が公認していたアメリカが、日本を非難できる立場にはない。

これでまた慰安婦問題が蒸し返されるのはうんざりするが、右派が感情的に反発するのも間違いだ。慰安婦の多くは人身売買という意味では性奴隷であり、人道的には正当化できないが、同じ意味で黒人奴隷も正当化できない。どっちも過去の話で、今さら論じてもしょうがない。

慰安婦が「強制連行」でなかったことは(ラムザイヤーを批判する歴史家も含めて)多くの専門家の認める事実である。「性奴隷」も欧米メディアの造語であり、歴史を語るのにふさわしい言葉ではない。これを機に、不毛な慰安婦論争に区切りをつけよう。

【追記】これについて800人以上の経済学者が、この論文の撤回を求めるinternational Review of Law and Economics への公開書簡を出している。Patrick Bolton, Drew Fudenberg, Eric Maskin, Itzhak Gilboa, Larry Samuelson, 小島武仁, 松島斉など学界の著名人が署名しているので無視できない。一次史料が欠けているという指摘と、当事者の合意にもとづく契約理論を戦時中の慰安婦に適用できないという批判は私と同じだが、慰安婦はJapanese military’s enslavementによるものではない。日本軍がそういう「性奴隷化」を行った証拠はなく、河野談話はそれを認めたものではない。

【追記2】有馬哲夫氏がラムザイヤーを擁護したことに海外の研究者が反発しているが、その雇用は陸軍が規制し、誘拐や拉致は禁止していた。米国戦争情報局の日本人捕虜尋問調書は「自ら署名した契約により、仕事に従事させられた」と明記している。業者との契約書は発見されていないが、少なくとも慰安婦の一部は通常の契約にもとづく労働者であって奴隷ではなかった。

米国戦争情報局の日本人捕虜尋問調書(1944)