高収入者ほど陥る「無自覚に生活レベルをあげて貯金ゼロ」を克服する方法

黒坂岳央(くろさか たけを)です。 

「高収入なのに貯金がない!」のような記事タイトルをちょくちょく目にする。また、ネットの掲示板などで、「都内住みで年収1000万円の者だが、暮らしは楽ではない」といった趣旨の書き込みを見ることもある。

(参考)年収1000万円超でも貯金ゼロ、高収入貧乏の「2大理由」(ダイヤモンドオンライン)

samxmeg/iStock

国税庁の民間給与実態調査(令和2年9月)によると、日本人の平均年収は436万円となっている。年収1000万円とはその2倍以上の高額な所得である。それにも関わらず、なぜ貯金ができないのか?と不思議な感覚に包まれている人も多いのではないだろうか。

本稿の結論を先に言えば、多くの場合「収入が増えると生活レベルをあげてしまう」のが原因だ。そして厄介なのは、このプロセスが「無自覚」に進んでしまうという点にある。だが、知識は力なり。知っていれば未然に防止できる話だと思っている。事実、筆者は収入が増えても、生活レベルをあげてしまう魔力に抗うことができている。

今回は体験談も交えながら、高収入者ほど陥りやすいワナについて論考したい。

 実際に見た「年収1000万円」なのにお金がない人達

まさしく同じ状況に置かれている複数の事例が身近にある。

その1人は30代前半の男性で、年収1000万円超のITエンジニア会社員をやっている。彼は芸能人が住んでいることで有名な「都心の一等地」の高級マンションで一人暮らしをしている。貯金はほぼない。前回会って食事をした時には、「なぜかお金が貯まらない」と自分が貯金できないことを不思議がっていた。若くして年収1000万円の大台を謳歌できる程度には、仕事ができる。しかし、そのような人物でも、話を聞いていると経済観念が高いとは言い難い。ビジネススキルと、ファイナンシャルリテラシーは別のパラメータであることを実感させられた。

また、別の事例で40代後半の部長職をやっている元同僚男性がいる。こちらは既婚者だが、港区の有名タワマンに住んでおり、高級外車を所有している。筆者は会社員をやっていた時に、一度この人物から敷地内でのバーベキューに誘われたことがあった。部屋にはワインセラーがあり、子供部屋からはレインボーブリッジが見えると誇らしげであった。当時は上質な生活に素直に羨ましさを感じたが、つい先日「老後も近くなり、貯金がなくて不安だ」と心情を吐露していたことが耳に入った。 

「なぜかお金が貯まらない」が口ぐせの人の共通点

これはあくまで個人的感覚値で恐縮だが、それなりに「なぜかお金が貯まらない高収入者」を見てきて、彼らにある種の共通点があると感じる。それは「年収の割に”固定費”が異様に高い」のだ。固定費には色々な要素があるが、その筆頭は「家賃」である。

件の30代前半の人物は、家賃が20万円以上のマンションに一人暮らしをしている。年収1000万円ということは、手取り月収ベースで60万円前後と推定される。単身者なのだから、その気になればもっと手頃なマンションはいくらでもあるはずだ。実際、筆者は過去に築2年のワンルームマンションに住んでいた時期があったが、家賃は月7万円台だった。狭いが築浅の物件で快適だった。その3倍もの価格差を差し出してまで、得られる経済的メリットを見出すことは筆者にはできなかった。

最大のコスト高は「見栄」

異論はあるかもしれないが、「見栄」にこそ最大の理由があると思っている。

「職場の通勤時間を減らして、余暇時間を副業にあてることで高い家賃をペイする」といった経済的合理性を追求する人物もいるかもしれないが、どちらかといえば少数派だろう。「見栄」とは端的に言えば自己承認欲求を満たすものであり、誰かに「すごい」と言ってもらうため消費のことだ。

厄介なことに都心に住む人ほど「見栄」を張りたくなる欲求、これを刺激される環境に身を置くことになるのである。筆者は東京に住んでいた頃、同僚の間で「広尾に住んでいる」「東京湾沿いのタワマン住み」などと、住んでいるエリアのPRをする人物を見てきた。住んでいるエリアで自己アイデンティティを保つ人たちの間に身を置くことで、「自分もそれなりの場所に住まなければ」と、無意識な影響を受けてしまう可能性は否定できない。

だが、経済的合理性の観点だけで言えば「見栄」など徹底的に無価値である。住んでいるエリアを誇ることで、相手から尊敬の眼差しを得られるかもしれない。だが、その時間はせいぜい数秒間だ。見栄を張るだけで、ベラボウに高い固定費を抱えてしまう論理的な必然性など、どこにもないのではないだろうか。…否、もしかしたら筆者には理解できないだけで、そうした人たちにとっては「ペイできるコスト」なのかもしれない。これは個人的な想像の域を出ないため、断定は避けたい。

また、デメリットはコスト高に留まらない。「自分は裕福である」と他人に吹聴することには、嫉妬されて嫌われたり、お金を貸してくれと言われてしまうリスクを負うことになる。最悪のリスクは、泥棒に入られてしまうことだろう。さらに、一度でも「自分は一等地に住んでいる」などと言ってしまうと、もはやそこからグレードを下げることなど不可能になる。これは自らの意思で「コスト高」の状態で自縄自縛になっているように思える。

リモワ全盛期は収入を増やして固定費を減らせ

「相手は自分を値踏みしてくるから、相応のエリアに住まなければならない」といった論理もあるだろう。確かにそういった不文律の存在は認める。昔から「足元を見る」という言葉があるように「身なりや、身につけているものをチェックする」という事実は依然として存在する。

だが、これからのリモート全盛期の時代においては、その傾向は薄まると考える。むしろ、この流れに乗ることで「収入を増やしつつ、生活レベルはそのまま」という新たな選択肢を持てるのではないだろうか。

筆者は会社員時代、住む場所のジレンマに陥っていた時期があった。できるだけ広くて快適な家に住みたいが、勤務先の近くを選ぶと、ベラボウな家賃になってしまう。手頃な価格のマンションに住むと、長距離通勤になり、それは避けたい。

しかし、起業して地方移住したことで、このジレンマから完全に開放された。現在はほぼ自宅で仕事をしている状態だ。筆者は現在、誰か人を招待して羨望の的になるような、レインボーブリッジの見える部屋には住んでいない。だが、地方に住んでいるので庭は広大であり、子供とサッカーをしたり、親子で短距離走ができるくらいの敷地はある。そして全体的な固定費は、会社員時代よりも下がった。子育てをする立場としては、夜景のきれいなタワマンより、子供と一緒にボール遊びのできる広い庭に価値を感じるのである。

これは会社員でも同じことが言える。専門職の高いスキルがあれば、フルリモートの企業で働く選択肢も持てるだろう。たとえばそうした職業の筆頭としては、ITエンジニアなどがあげられる。そうした職業は待遇も悪くない傾向だ。ちなみに上述の30代前半男性も、フルリモート勤務のITエンジニアをやっており、気分転換で海の見える場所で仕事をすることもあるようだ。

「年収1000万タワマン住みなのに、貯金ゼロ!?」といった記事を見るたび、「生活レベルをあげてしまう魔力に誘われてはいけない」と改めて感じてしまう。

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。