「日本人のための日中韓興亡史」(さくら舎)という新著で、もっとも読んでもらいたいのは、日中関係でも日韓関係でもなく、中韓関係である。そこでアゴラでも、そのエッセンスを何回かの記事で紹介したい。
中国や日本の建国神話を見ていても、それが事実としても自分のつくった国がいまのような国になるとは思っていなかったと思う。三皇五帝はともかく、夏や殷の人たちが中原を超えて拡大する国に自分のクニがルーツになるなんて思っていなかっただろう。
日本も『記紀』には神武天皇は大和こそ日本の中心だと思って国を建てたとしているが、実際にはその子孫が、彼の創ったクニを発展させて日本国家にした。しかし、始皇帝や崇神天皇の国が中国や日本の始まりであることは動かない。
しかし、韓国朝鮮では、歴史観が頻繁に変わって、奇想天外な展開を示している。7世紀から8世紀にかけて新羅が朝鮮半島をほぼ統一した。韓国朝鮮語も新羅の言葉だ。
もともと群小国があったのが、北から高句麗が、南から日本が進出し、新羅、百済も成長し、4勢力が拮抗したのだが、新羅はます日本領の任那を併合し、唐が百済と高句麗を滅ぼして併合するのに協力したが、唐は新羅も併合しようとしたので日本の援助も請いながら抵抗し、唐が吐蕃や渤海と争っているのにつけ込んで、百済の旧領と高句麗の一部の割譲を受けた。ただし、そのときに、唐の従属国化した。
高麗は漢族系の王建が、新羅の反政府派、高句麗遺民などの協力を経て、新羅を倒して新王朝を立てた。そして、新羅系の学者が編纂した正史『三国史記』において、新羅、高句麗、百済が統一されて統一新羅になり、それを高麗が継承したという歴史観を創った。
その高麗は、元の支配下に入ったが、最後はその支配から逃れ、満洲方面にも進出しようとしたが、明国に逆らうべきでないと言うことを掲げた李成桂(もとは全羅道全州の出と言うが、長く満洲にあった家系)が高麗を滅ぼして李氏朝鮮を建国した。
言うまでもなく、新羅、百済、高句麗の言葉はそれぞれ違ったし、同一民族意識などなかった。新羅の始祖は卵から生まれたそうだから、どこから来たか分からないということだし、三つの王家の一つは日本人である。
高句麗は満洲の少数民族だし、百済はその一派が南下してソウル付近を植民開発したと正史に書かれている。三国統一でなく唐と新羅の侵略でしかなかったはずだ。
一方、中国から見たら、殷の残党が箕子朝鮮を、漢の時代に北京付近にあった燕という藩王国の残党が箕子朝鮮を滅ぼして衛氏朝鮮を建国したと『史記』には書いてある。そして、漢の武帝がこれを滅ぼして併合し、楽浪郡などを置いた。しかし、満洲の少数民族であった高句麗に侵略されたという認識だ。
その後、新羅、百済、高句麗を併合したが、新羅が反抗し、対渤海戦略に協力するというので、従属国としての独立を認めたということになる。
一方、李氏朝鮮になってから、高麗時代の民間伝承のなかに、箕子朝鮮に先立つ壇君朝鮮という民族不明の国があったという話があったといいだし、現在ではこれが韓国朝鮮国家のルーツだといっているが、中国人が相手にするはずない。また、高句麗も中国の少数民族の国で北朝鮮とも韓国とも関係ないとユネスコでも念を押した。
さらに、戦後の1957年になって北朝鮮の学者が、満洲の黒竜江省にあった渤海は朝鮮民族の国であって、当時は新羅と渤海という南北国が並立した時代だったといい出した。そして、公式には、朝鮮の統一は高麗の成立を持って実現したと言うことになっている。
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