歳を取る最大の恐ろしさは「肉体の衰え」ではない

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

「40すぎると徹夜できなくなる」とか「50超えると物忘れがひどい」、歳を取ることで肉体や精神などに老化の変化が生じる。歳を取って老化することに、恐怖を感じている人も少なくないはずだ。

KatarzynaBialasiewicz/iStock

だが、ここで朗報がある。人間の能力や筋肉は、頻繁に使用していたり鍛え続けることにより、歳をとってもドラスティックに落ちることはないのだ。その事実は、複数の医師や脳科学者からも提唱されている。実際、「運動不足の若者より体力がある」と感じさせる鍛え続けている老人はいくらでもいるし、70歳を超えても的確なビジネスの経営判断ができる人もいくらでも見てきた。何歳になっても意識的に肉体や能力を鍛え続けておけば、老化は極端に恐れる対象ではないと個人的に考えている。

しかし、肉体や脳の老化より、遥かに深刻で恐ろしいものがあると考えている。それは「歳を取ると裸の王様になってしまう」ということだ。これはつまり、本人は過ちを犯していることに気づかないまま、周囲から失笑を買う社会的敗北の構図を意味する。そしてこちらは60歳、70歳という高齢者になるより遥かに早い年代で、多くの人にやってくる。

本稿を通じて、裸の王様化現象の是正策を提唱したい。

歳を取ると周囲からのフィードバックがなくなる

年齢を重ねることで、誰しも他人から叱られたり間違いを指摘されることが減ってくる。これはつまり、フィードバックが得られなくなってしまうということだ。これには「年上や先輩は敬うべき」という我が国の文化的背景や、「歳をとった相手にいってもどうせ聞かない」というある種の諦めなど、複合的な事情から来るものと推測できるだろう。

たとえば、会社で会議の出席に遅刻した時の対応は、若者と年配者とでかなり違いが見られる傾向がある。そしてこの実体験を取り上げたい。筆者が東京で会社員をしていた頃、会議の開始時間ギリギリに参上していた。その際、先輩社員から次のような注意を受けた。「こういう時、若い社員は他の人が快適に参加できるよう、会議前にプロジェクターのセッティングや、椅子と机の調整をしておくものだよ」と。なるほど、と理解して次回から開始時間より少し早めにいって、会議室のセッティングをするように心がけた。

その一方、会議で必ず毎回数分遅れてくる年配社員がいた。誰も直接その人物の遅刻を本人に咎めることはなかった。だが、これでは終わらなかった。その年配社員は会議に遅刻してくることや、その他の普段の仕事ぶりについて、本人のいないところで散々に悪い評価を受けていたのだ。「多少の遅刻は許されている」、本人からするとおそらくそういった感覚を持っているのだろうが、周囲からの評価は極めて冷ややかなものだ。筆者はその一部始終を目の当たりにして、背筋が凍りつく想いをした。これが歳を取るということの恐ろしさなのだと、心底理解したのだ。だが、当人がそのことを知る術はない。当人が預かりしれぬ内に、社会的評価は静かに下がっていき、やがて「老害」「痛い人」と揶揄されていくのである。周囲から自分の行動に対するフィードバックが一切得られない、という状況は極めて恐ろしいことなのだ。

「若い内にたくさん失敗しておけ」という理由は、歳を取るともはや失敗したことに気づけなくなる、裸の王様化現象があるからだ。

市場からの評価に敏感であれ

では、すでに歳を重ねた人にとっては、一生裸の王様として生きていく他ないのだろうか?否、具体的ソリューションは存在する。1つには、市場からの評価にアンテナを立てるということだ。

自分にとっては当たり前の常識的感覚でも、常にそれを疑う視点を持つことである。自分の行動は変わらなくても、社会的環境や価値観の変化で、「常識」が「非常識」になることはよくある。会社におけるパワハラやセクハラ行為も、かつては大きく問題視されなかった時代があった。だが、現代においては、懲戒解雇処分も辞さない厳しい処遇がくだされる。

知らずしらずの内に痛い人にならないためには、どういった行動が痛い人と認定されるのか?を把握することだ。解決のために高い能力は必要ない。若者や部下の気持ちを理解したければ、検索すればいい。たちどころに本音やソリューションが山のように提供されていることに気づくだろう。

考えなしに部下を飲みに誘ってはいけない

たとえば部長の役職についている人物が、「寂しいから部下を飲みに誘いたい」と思って飲みの誘いで声をかけると、部下は快くついてきてくれるかもしれない。だが、それは本心から「部長とご一緒したい」と思ったからではなく、相手の人事的立場での心証を害するリスクを回避したい本音の存在を疑うべきだろう。誘う側は胸襟を開けたフランクな気持ちで飲みに行きたいと思っていても、相手は迷惑に思っている可能性を疑うべきだ。

余暇時間は自分自身のために使いたいと言った価値観が広がりつつある今、飲みの誘いを昭和の感覚のまま気軽にしてしまうと「あの部長に近づくと、貴重なプライベートな時間を奪い取られる」といったネガティブな評価を受けてしまう可能性があるだろう。

自助努力で軌道修正をしていく

歳をとってからも、自分の考えが正しいかどうかを理解するための手段として、「発信者の立場になる」という方法もあるだろう。

筆者はブログやメディアでビジネス記事を書き、YouTube動画を配信したり、講演に登壇している。発信者の立場になると、市場からダイレクトに自分の発信した内容に対するフィードバックを受けられる。称賛の声だけではなく、時には厳しい言葉をもらうことも少なくない。だが、中には建設的な意見や自分では気づく事ができなかった新たな視点の提供などもある。そうしたフィードバックも意識しながら発信を心がけてきたことで、少しずつだがスキルの熟練や、マーケットの感覚への理解が進んだという自覚がある。

また、同時に「声なき声」に耳を傾ける意識も肝要だ。たとえば、YouTubeやブログには「アナリティクス」というデータ分析ツールの導入が可能だ。これを使うことで、こちらの発信する情報のニーズの有無や、改善点を理解できる。筆者はYouTube動画で駆け出しの頃、動画が再生されても開幕後すぐに離脱されてしまう割合が高かった。最初に話の結論を伝えることや、動画を最後まで視聴するメリットを伝える改善の工夫を取り入れたことで、この数値は劇的に改善した。

市場からの評価に敏感であれば、歳をとってから叱られたり、間違いを指摘されなくても自分で軌道修正を続けてられるのである。

人間は社会的な動物であるため、市場から極端に乖離した感覚や価値観で生きてしまうと、一気に爪弾きに遭う。40歳、50歳から裸の王様として生きていくには、残りの人生はあまりにも長すぎる。常に自身の思考や行動を改善しながら、対人関係におけるクオリティを高く維持するためにも、マーケットからの評価には敏感でいることが極めて重要だ。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。