「自分がされて嫌な事を他人にしない」が難しい理由

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

日本人なら、誰しも小学校の道徳の授業で「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません」ということを学ぶ。本質的に人間は一人では生きられず、社会的な動物であることを考慮するとこの教えは正しい。「社会から支持される人物になる」ということは、結局のところ、社会的に有利に生きるために自分自身の生存戦略へとつながるからである。

Andrew Rich/iStock

だが、誰しも学んだであろう、この当たり前すぎる教えを徹底できる人は決して多くない。自分が不要な商品・サービスを売り込まれるのは大嫌いなのに、相手の迷惑を顧みず不快な売り込みをかける営業は後をたたない。誰かから攻撃を受けることに喜びを覚える人などいないのに、直接会ったこともない人を誹謗中傷する人が世の中には存在する。

筆者が長年抱いてきた「自分がされて嫌な事を他人にしないが難しい理由」。この度、脳科学の実験結果の助けを借り、解にたどり着き、理由の言語化に至ったので本稿で取り上げたい。

脳科学の実験で明らかになった驚愕の事実

脳科学者の中野信子氏が、この記事のインタビューで興味深いことを語っている。とある脳科学の実験において

  • 普通の服装をした女性
  • ビキニ姿の女性

この2人の女性を被験者の男性に見せた。その結果、脳は異なる反応を見せたのだという。普通の服装をした女性を見た時、多くの男性の脳内で「相手に共感する領域」が活発化したというのだ。その一方、ビキニ姿の女性を見た際に「モノを見るかのような反応」が見られたという。

この実験結果から「人の脳は自分にとって魅力的な相手を見た時、人間というカテゴリではなくモノとして認識する」という解釈ができるだろう。そしてこの実験結果に「自分がされて不快なことを相手にしないを実践することが難しい謎」を解く重要な鍵が隠されている。

人は本質的に自分本意である

あらゆる人は自分の利益を求めて行動する。

リチャード・ドーキンス氏の「利己的遺伝子」説を借りるなら、生物は遺伝子によって操作される機械のようなものとされる。あらゆる思考や行動は、自分の遺伝子を後世に残す本能的、本質的な欲求につながっており、これが利己性を生み出しているというのだ。「理性や道徳性といった”人間らしさ”は、連綿と続いてきた遺伝子の複製に伴う進化の産物である」という同理論は、我々に一石を投じる衝撃を与えた。

もちろん、人間は昆虫とは違う。アリはあらかじめ遺伝子に書き込まれたプログラムによって、完全に行動が制御されている。だが、人間らしさは遺伝子に突き動かされている部分もある一方で、社会の営みや教育の中で「後天的に獲得される要素」も極めて大きいことは否定できない。

以上のことから、「自分がされて嫌なことは相手にするな」は教育や経験による比重が極めて大きいために、できる人、できない人にわかれると思うのである。

ここまでをまとめると、人間は本能的に利己主義だが、教育の力で自己を社会に迎合させる。だが、このことが正しく機能するのは、あくまで相手を人間と認識できている場合に限る。問題は相手を人間であるということを忘れた場合に起きるということである。

営業マンの不快な売り込み

筆者はサイエンスの専門家ではないのだが、自己体験的にこの理論を裏打ちする経験がある。

東京で会社員をしていた頃、昼食の休憩時間に保険の営業マンがやってきて、頻繁に保険の加入を勧めてきていた。その際、こちらが息抜きのリフレッシュ中であり、相手に明らかに不快に感じているという表情を見せているのに、おかまいなしに加入を迫ってきた。時には、筆者が机の上で仮眠をとっている時にすら、揺り起こされて営業を受けることもあった。正直、この営業マンに対しては、かなりの嫌悪感を覚えていたのである。そして「なぜ、自分がされて嫌なことをするのか?」とずっと思っていた。だがある時、まるで雷を受けたような衝撃を覚えた。かつて、同じことを自分もしていたことに気づいたからである。

筆者は若い頃、電話のテレアポ営業の派遣の仕事をしていた。「断られてもめげるな。とにかくかけ続ければ数撃ちゃ当たる」といった趣旨の指導を受けた記憶がある。研修に従い、相手の迷惑を顧みずにどれだけガチャ切りされてもかけ続けた。筆者の成績は中の上、たくさん契約を取るとインセンティブも出る。続けて契約を取れると強い快感を覚えた。

ある時、いつもどおり電話をすると相手が出た。この頃には、相手からの多少の罵倒に対してはすっかり耐性がついていた。迷惑そうな、怪訝そうな声が返ってきてもお構いなし。「こっちは仕事でやっているんだから」と自らの行為を省みることはしなかった。だが、この時の相手からは、ガチャ切りや罵倒とは違った反応があった。「あのな、兄ちゃん。こういう電話は本当に迷惑なんだよ。こっちが血の通った人間ってことを忘れてない?休んでいる時にかかってくると辛いから、もうやめてもらえないかな?」静かに、そして冷静に諭された時、はじめて電話の向こう側にいる相手が自分と同じ人間であることを思い出したのだ。はじめから知っていたはずなのに、正しく認識できなかった。自分は電話の向こう側にいる相手を人間ではなく、お金という物質にしか見えていなかったのである。

仲のいい友達や家族に同じことはできないし、自分も絶対に同じことはされたくない。そんなことを自分は相手に延々とやっていた矛盾に気づいて驚愕した。

遺伝子と自己意識のせめぎあい

筆者が営業を受けた保険の営業マンは、こちらをお金にしか見えていなかっただろうし、世の中のパワハラ上司は部下がサンドバッグにしか見えていないだろう。

利己的な本能を抑え、利他的な行動を取るには教育の力が必要だ。大局的に俯瞰すれば、この世の中は社会的、利他的な行動を取ることで、社会的に有利な結果をもたらしてくれる構造になっている。ビジネスも顧客からの感謝を集めることにフォーカスすれば、お金は結果として自然についてくると信じている。

自己意識の操縦桿を遺伝子から奪い返し、利己的に走りがちな本能を抑えて、どこまで大局的視野を持って取り組めるか?「自分がされて嫌な事を他人にしない」を実践し、社会的な支持を得られる人物になれるかどうかは、教育の力を借り、目の前の相手を血の通った人間と正しく認識できる者だけが実現できる難易度の高い勝負なのである。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。