オーストリアで来月10日を期して中国発新型コロナウイルスの感染前の状況に限りなく近づくことになる。クルツ首相ら政治家はそれを「正常に戻る」と表現する。どのような状況が正常かという問題にはあまり深く追及しない。なぜならば、人それぞれ、正常の意味が違うからだ。はっきりとしていることはコロナ感染予防の規制措置を限りなく撤廃していくことだからだ。
クルツ首相は28日の記者会見で「6月10日」を期してこれまで実施してきたコロナ規制を撤廃、ないしは緩和すると発表した。オーストリアで今月19日、新型コロナウイルス感染防止のロックダウン(都市封鎖)が解除されたばかりだ。レストラン、喫茶店、映画館、フィットネスセンター、博物館、劇場、ホテル業など、ほぼ全分野が営業を再開した。その緩和テンポをさらに加速するわけだ。例えば、ソーシャルディスタンスは2mから1mに短縮する。営業時間は午後22時までから24時まで。レストランではこれまで1テーブルで4人のゲストに制限されていたが、それを8人までに拡大。劇場やイベントも室内は1500人、野外3000人にまで認められる。
もちろん、レストランや劇場に入るためには通称「3G」の証明書を提示する義務がある。「3G」とは、ワクチン接種証明書((Impfzertifikat))、過去6カ月以内にコロナウイルスに感染し、回復したことを証明する医者からの診断書(Genesenenzertifikat)、そしてコロナ検査での陰性証明書(Testzertifikat)のいずれかをレストランや喫茶店に入る前に提示しなければならない。3種類の証明書を所持している国民はGeimpft(接種した)、Genesen(回復した)、Getestet(検査した)国民ということから、頭文字の「G」をとって「3G」と呼ぶ。一種の通行証明書だ。
問題はマスクの着用だ。クルツ政権でもウイルス学者らとの間で最後まで議論があった。廃止論と継続論だ。最終的には地下鉄などの公共場所やスーパーではマスク(FFP2)を引き続き着用するが、野外などではマスク着用は廃止していく。
クルツ首相は、「FFP2の着用義務化はウイルスの感染防止に大きく貢献した」と述べ、マスクの効用を評価している一人だ。家庭医出身のミュックシュタイン保健相は、「マスクの着用は重要だ」という姿勢を崩していない。クルツ政権で経済界を支持基盤とする国民党はコロナ規制の緩和を、ジュニア政党の「緑の党」は国民の健康維持の立場をそれぞれ強調し、コロナ規制の緩和問題で両党が対立してきたことは周知のことだ。
コロナ禍が1年半以上と長期化したこともあって、国民の間でコロナ疲れが見られてきたが、ワクチン接種が進み、「今年の夏は家族と一緒に旅行できる」といった希望を感じる国民が増えてきた。飲食業、ホテル、博物館などが再開してきたことを受け、国民の経済活動も次第に活発化し、雇用市場でも一時期約50万人の失業者、時短労働者の数も減少傾向が見られだした。
クルツ首相は、「コロナ規制のために結婚式を出来なかった若い世代も6月10日以降はゲストを招いて結婚式が挙行できるようになる」と発表し、若いカップルにエールを送っていた。ちなみに、オーストリアで昨年、3万9662組が結婚式を挙げた、前年度比で14%減だ。参考までに、昨年1万4870組が離婚している。前年度比でこれまた8.9%少ない。離婚理由は48%が男性側に責任があった。女性側の責任は29.7%という。
コロナ禍の下で夫婦が顔を見合わせる機会が増え、いがみ合い、意見の対立が表面化したり、経済的な理由も持ち上がってきたことが考えられる。婚姻、離婚とも前年度比で減少したのは、コロナ禍で婚姻届け、離婚届などの手続きが停滞し、関係者が迅速に対応できなかったことが主因だろう。「今秋に入れば、離婚件数が急増する可能性が予測できる」という声も聞かれる。
オーストリアでは過去1週間の新規感染者数は人口10万人当たり50人を割った。コロナ・アンプルもレッド(感染危険が高い)地帯はなくなり、入院患者数も減少、集中治療患者も減少し、医療関係者をホッとさせている。同時に、ワクチン接種も一回分の接種者数は400万人を超え、2回接種者数は130万人を超えるなど、順調に増加してきた。12歳から15歳までのワクチン接種も計画されている。
同国では昨年、夏季休暇前、新規感染者数が急減し、それを受けてコロナ規制が緩和されたが、秋に入り新規感染者が急増し、第2ロックダウンを余儀なくされた苦い経験がある。クルツ首相も、「コロナウイルスは消滅していない」と警告し、国民一人一人に感染防止のために自制を呼びかけている。
新規感染者が突然、急増し、集中治療患者が増えない限り、オーストリア国民はこの夏、休暇を家族や友人たちと共に楽しむことができるだろう。ところで、「正常化とは何を意味するのか」、「再び獲得する自由をどのように享受すべきか」といった少々哲学的な思いにとらわれる国民も少なくない。外で1杯のコーヒ―を飲むことが正常化であり、自由を意味するのか。家族と一緒にレストランに行き、博物館を訪ねることが正常化なのか。そのために1年半以上も我々は耐えてきたとすれば、少々苦い思いが湧いてくる。多分、1杯のコーヒーを楽しむことは日常生活の正常化を意味するが、それだけならば少々空しくなるだろう。
近代の精神分析学の道を開いたジークムント・フロイト(1856~1939年)は愛娘ソフィーをスペイン風邪で亡くした時、その苦悩を後日、「運命の意味のない野蛮な行為」と評した。それでは私たちにコロナ禍は何をもたらし、何を強いてきたのか。ドイツの社会学者エーリッヒ・フロム流に表現すれば、「(コロナ禍)…からの自由」だけではなく、「…への自由」についても真剣に考えていきたいものだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。