「人々を殺している」。これはバイデン大統領がフェイスブック社などSNS企業に向けて発した強烈なメッセージです。大統領からすればSNS各社は誤情報の拡散を許しているというわけです。
ワクチンを巡ってはワクチンの開発が早すぎて安全性が担保されていない、不妊、遺伝子への影響、副反応…といった噂が駆け巡り、若い人ほど接種に慎重になり、小さなお子様をお持ちの方に子供に打たせるかと聞けば否定的か様子を見て、と答える方が主流となっています。
デマやフェイクニュースかどうかの判断は非常に難しいと思います。様々な広報、特に政府やしかるべき公的機関、大企業など信頼がおけると思われる情報発信者が発する情報は正しく、テレビに出ているコメンテーターは一意見、インターネットで出どころ不明の面白おかしく煽る内容は「へぇ、そんな見方もあるのかね?」とある程度冷静になれるものです。(とはいえ、かつての「みのもんた教」信者となった奥様方がいたように絶対的なコメンテーターがいることも事実です。)
自分の信頼するSNSからの威力はテレビより強いものでスマホに飛び込んでくるプッシュ型の情報こそ、「まじ?これ、やばくない?」で一気にその人の記憶回路に入り込みます。それはSNS情報源を信頼できるソースと思う傾向があり、「あの人が言っているなら」という流れがこの10数年で一気に開花した背景があります。
例えばグルメ情報ではネットに出ているコメントも一応チェックするけれど案外、自分の知り合いから「あの店、めちゃうまいよ」と言われれば信じる確率は異様に高くなります。困ったことに「めちゃうまいと聞いたよ」でも信じてしまうのです。理由はその発信者の背景をそれなりに知っていて信頼できると勝手に類推しているからです。
SNS世代は商品やサービスを購入するかどうかの決定はリファレンスと称する利用者の意見を相当重視する傾向があります。正直な利用者目線ということでしょう。ところがどうも星の数や点数に印象操作され、星ゼロとか最低評価を下しているところにどうしても注目する傾向も強く出ます。「なぜ、この人はこんなに不満だったのだろう」と。
その不満はその商品やサービス全体の不満なのか、たまたまそういう事態に遭遇したのか、そのコメントを載せた人がクレーマー的な人なのか、さっぱりわからないのですが、その最低点だけは消費者に強く印象付けます。
これは一般的にネガティブに対して人は強く反応する傾向がつよいという心理的要因が一つあります。例えば株が上がって儲かっても内心ほくそ笑む程度でそれを口外したり自身の行動に強く反応しないと思いますが、株価が下がればその何倍もの心理的ダメージを受け、もっと悪くなるのではないかといったように追い込まれるのです。
特にこの傾向は女性に強く、ネガティブインプットに対して男性より強く反応します。その為、デマやフェイクニュースに感じるネタでも「そうかもしれない」と心の中でそれを支持すべく理由を一生懸命探すのです。また、一旦植え付けられた印象は取りにくいものです。
例えば韓国の慰安婦像問題では若者が異様に盛り上がるのはなぜか、と言えば教育や世論を通じて信じ切ってしまっているため、日本政府や一部の韓国人が何を言っても聞く耳を持てなくなるのです。同様に中国で共産党万歳となるのは、はむかうと怖い、文化大革命や天安門の時のようになりたくない、数々の経営者が不正を理由に消えている、といった恐怖心が催眠術のように共産党は素晴らしいに代わっていくのです。日本ではかつてシベリア抑留で苦しんだ日本人が帰国後、人が変わったようになったという話が多いのも同様であります。
とすればデマやフェイクニュースを信じてしまうのは一種の洗脳効果の入り口にあるのかもしれません。
ではどうやってそこから抜け出せるか、ですが、意志の強い人は有象無象の話を一旦、受け流すか、様々な意見をチェックし、また自分の知見からそれを判断することが可能です。ところがスマホ世代はまずそんなことはしません。情報源は一つであり、それをしっかり受け止める、するとAIが似たような情報をさらに持ってきて「やっぱねー、そうなんだよ」と一人納得してしまうわけです。
では世の中にデマやフェイクニュースが昔からなかったのかと言えばいくらでもありました。健康食品で騙された高齢者の方は数知れず。つまりSNSだけが理由ではないのですが、SNSは飛躍的にその役割を普及させたということかと思います。今では政治や経済、経営にも強く影響し、その勢いは止まらないでしょう。
私がフェイスブックもツィッターも一切やらないのはそのプラス価値よりマイナス効果が大きいと考えているためです。私は人に惑わされたくないのです。自分なりに間違っているかもしれないけれど様々な信頼できる情報を踏まえ、自分の考えを持つようにしています。それゆえに私はスマホなんて一日に数回チェックするだけで使う時間はせいぜい15分あるかないかだと思います。電話という機能を別にすればスマホが1週間なくても全然困りません。それは逆に言えば現代の情報化社会を冷静な立場で自分が飲み込まれないように防衛しているともいえるのかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年7月21日の記事より転載させていただきました。