ローマ教皇「東京五輪の勝利を祈る」

東京夏季五輪大会は23日開幕する。来月8日までの大会期間中、世界各地で自国代表選手の活躍を追う人々の声が響き渡る。

▲天皇閣下を謁見したフランシスコ教皇(2019年11月25日、バチカンニュース公式サイトから)

ところで、世界に約13億人の信者を誇るローマ・カトリック教会の最高指導者、ローマ教皇フランシスコも大のスポーツ好きで、東京五輪にも強い関心を寄せている1人だ。教皇のスポーツ好きを反映してか、バチカンニュースも東京五輪については頻繁に報じている。

フランシスコ教皇の場合、出身地がアルゼンチンということもあって大のサッカーファンだ。サッカー欧州選手権と同時期にブラジルで開催された南米サッカーの祭典「コパ・アメリカ2021(南米選手権)」の行方を公務の隙間をぬって、テレビ中継を追っていたといわれる。教皇の祈りが聞かれたのか、南米選手権ではアルゼンチンが11日、12大会ぶりに優勝を飾ったばかりだ。

バチカンニュース(7月19日)は東京五輪を「パンデミック下で開催される大会」とする一方、「教皇はスポーツを民族、国家間の調和を促す手段となると高く評価してきた」と説明、「日本では、パンデミックゆえに開催が1年延期された。開かれる五輪大会については、喜びと悲しみ、誇りと懸念が混ざり合った思いで迎える人々が多いだろう」とホスト国側の事情に配慮し、「(それゆえに)オリンピックの5つの輪で象徴されている全ての民族、国家間の兄弟姉妹、調和の価値を改めて発信する大会となってほしい。多くの困難、想定すらできない不確かな時代に直面している。五輪のメッセージは間違いないく全ての人々に今必要なことだ。我々は皆同じボートにいる」と述べ、東京五輪開催の意義を強調している。

東京五輪大会を“悲しき五輪大会”と評する人々がいる。なぜならば、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため競技は無観客で行われ、スポーツ選手同士の抱擁は禁止され、メダル授賞式では濃厚接触を避けるために大会関係者と競技者の接触を避け、受賞者自身がメダルを首にかけることになっている。これまでの五輪大会では考えられないような状況で競技が行われるからだ。

日本では東京五輪の「開催中止」を主張する国民も多いと聞く。それに対し、フランシスコ教皇は、「スポーツは若者たちにとって教育的な側面を持っている」と強調する。フェアプレイ精神もそうだが、「敗北の価値」をも学べるという。フランシスコ教皇は、「人間の偉大さは勝利した時より、敗北した時のほうがより多くを学ぶものだ。その点、スポーツは人生と同じだ」という。

フランシスコ教皇は今年初め、イタリアのスポーツ新聞「ガゼッタ・デロ・スポルト」との長時間インタビューの中で、「勝利は一種のスリルだ。それを表現することは難しい。一方、敗北の中でも素晴らしい勝利を含むものもある。なぜなら、ミスがどこにあったかを理解すれば、それを克服したいという渇きが湧いてくるからだ」と説明している。

フランシスコ教皇は2017年2月、パラリンピックの使節団に対し、「スポーツは出会いと連帯の文化だ。あなた方は克服できない障害も制限もないことを示している。スポーツは普遍的な言語だ」と述べている。

フランシスコ教皇は、「東京夏季五輪大会が競争心と団結力を結び付け、境界線を乗り越え、分ちあう大会となることを希望する。五輪参加選手は単に金メダルを獲得する夢を追うだけではなく、人間の友愛のメダルを勝ち取ってほしい」と語っている。

なお、フランシスコ教皇は日本好きだ。同教皇は2019年11月23~26日、念願の訪日を果たしている。若い時、日本に宣教師として行きたかったが、健康問題があって実現できなかった。教皇は日本のキリスト教迫害時代の信者の信仰に強い関心を持っている。2014年1月に行われたサンピエトロ広場での一般謁見で、中東からの巡礼信徒に対し、厳しい迫害にもかかわらず信仰を守り通した日本のキリシタンを例に挙げて励ました、という話が伝わっている。

フランシスコ教皇は訪日の際、日本国民へメッセージを送っている。その中で、日本が過去、2度の原爆の被爆を受けたことを想起し、日本国民への深い同情と連帯感を吐露している。

東京夏季五輪大会がコロナ禍で困難と試練にある世界の人々に「団結と連帯する姿」を見せる歴史的な大会となることを期待したい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。