東京夏季五輪大会のショー・デイレクターだった小林賢太郎氏が過去ホロコースト問題を揶揄する発言をしていたとして世界の反ユダヤ主義の言動を監視する「サイモン・ヴィ―ゼンタール・センター」(SWC)から批判され、五輪大会開幕直前に辞任に追い込まれるという出来事があったが、アゴラによると、小林氏の1998年の発言を同センターに連絡したのは中山泰秀防衛副大臣だったというのだ。
なぜ日本の防衛副大臣がカルフォルニアに本部を置くSWCに小林氏の過去の発言をわざわざ連絡したのか、詳細な事情は知らないが、日本が国を挙げて取り組んできた五輪開催直前にそのような情報を同センターに通報した防衛副大臣の行動はやはり批判されても仕方がないだろう。
アゴラの記事によると、同副大臣は親イスラエルの政治家だという。だから小林氏の23年前の発言を同センターに通達したのではないかというが、それではセンターに通報する前に小林氏の23年前の発言の真偽やその背景について自ら検証されたのだろうか。多分、副大臣に小林氏の過去の発言を報告した人物がユダヤ人問題に精通している方だったので、その情報をそのまま鵜呑みにされたのかもしれない。しかし、当方は少々合点がいかない。
当方は、生前のヴィ―ゼンタール氏と過去2度、ウィーンの同氏の事務所内で会見したことがある。小柄ながら鋭い眼光で相手を見つめる姿には一種の威圧感があった。当方は当時、同氏にどうしても聞きたい質問があった。「戦後半世紀が過ぎるが、何故いまもナチス幹部を追跡するのか」ということだ。それに対し、同氏は笑顔を見せながら「生きているわれわれが死者に代わってナチスの罪を許すことなどはできない。それは死者を冒涜することになるからだ」と答えてくれた(「ウィ―ゼンタール氏の1周忌」2006年10月2日参考)。
文芸春秋の月刊誌「マルコポーロ」がホロコーストの記事を掲載し、その中で「ガス室」の存在に疑問を呈したことが契機で、同誌が廃刊に追われた時、当方は同氏の見解を聞くために事務所を再び訪れた。ヴィ―ゼンタール氏は「ユダヤ人は杉原氏(リトアニア元領事)が第2次世界大戦中に多くのユダヤ人を救済してくれたことを決して忘れない民族だ。同時に、誹謗、中傷、迫害された事実も決して忘れない民族だ」と説明、マルコポーロ誌事件が「ユダヤ人社会に大きな痛みを与えたばかりか、日本・イスラエル両国関係にも将来マイナスの影響を与える恐れがある」と警告を発した。
同氏との会見は多くを学ばされた。特に、ユダヤ人の死生観だ。全てを水に流してしまう日本人とは違い、ユダヤ人は「死者の権利」も尊重する。だから、ユダヤ人は過去の出来事を安易には忘れないのだ。
ヴィ―ゼンタール氏は1908年、ウクライナのガラシア生まれ。父親は第1次世界大戦中に死亡。ガラシアは戦後ポーランド領土に併合された。大学卒業後、建築家になった。ナチス軍がポーランドに侵攻、家族と共に強制収容所送りに。45年6月、米軍によってマウトハウゼン強制収容所から解放された。その後の人生を、世界に逃亡したナチス幹部を追跡することに費やした。1100人以上の逃亡中のナチス幹部の所在を発見、拘束することに成功している。そのため、同氏はナチ・ハンターと呼ばれるようになった。
このコラムを書き出したのは、ヴィ―ゼンタール氏の名前をつけたSWCを見つけたからではない。ヴィ―ゼンタール氏は逃亡するナチ関係者を追跡する時は多くの情報を入手し、厳格に一つ一つ検証し、「彼はナチ関係者」と結論するまで慎重だったことを思い出すからだ。
オーストリアでクルト・ワルトハイム大統領(1918-2007年、元国連事務総長)がナチ・ドイツ時代、ナチドイツ軍将校としてユダヤ人虐殺に関与した容疑が表面化した時だ、欧米諸国は一斉にワルトハイムを戦争犯罪容疑者とレッテルを貼って糾弾した。その時、ヴィ―ゼンタール氏は「彼が戦争犯罪に関与した事実はない。ただし、彼はメディアに追及されて、自身のナチ時代について嘘を言っただけだ」と述べている。この発言はもちろん世界ユダヤ人協会ばかりか、欧米諸国からも批判的に受け取られたが、ヴィーゼンタール氏は自説を曲げなかった。世界のユダヤ人社会でもヴィ―ゼンタール氏は多くの批判者を抱えていた。
小林氏が23年前、どのような背景から反ユダヤ主義的と受け取られる発言をされたかはよく知らないが、やはり軽率だったといわざるを得ない。一方、同氏の過去の発言を海外の反ユダヤ主義言動を監視する団体に通報した中山副大臣の行動は少々深刻だ。現職の副大臣が外国の団体にさまざまな波紋を投じる可能性のある情報を流すことは良くない。情報を弄ぶことは危険だ。
ユダヤ人は反ユダヤ主義的言動に対して非常に敏感だ。時には、犠牲者メンタリテイ―が強すぎるのではないか、と感じることもある。ただし、ユダヤ民族が歩んできた歴史は単なる一民族の歴史というより、他の民族に先駆けて苦難の路程を歩まざるを得なかったディアスポラの歴史でもある。その意味から、われわれはユダヤ民族に対して根拠なき偏見を捨て、一定の敬意と尊敬を払うべきではないか。