黒坂岳央(くろさか たけを)です。
一昔前は、プライドという言葉にポジティブな印象を持つ人が多かったように思う。「プライドの高い男性に女性はカッコいいと感じる」そんなステレオタイプが古き昭和時代にあったのではないだろうか。しかし、近年この言葉に対して悪い印象を持つ人が増えたように感じられる。
だが、一口にプライドと言っても良いものと、悪いものにわかれると筆者は考えており、それぞれ取り上げたい。今回の記事は統計データやエビデンスのない、個人的価値観に基づく内容となるため、読者間で意見が大きく割れる可能性をあらかじめここに記しておく。
悪いプライドは権威に対するもの
まずは持つべきではない、悪いプライドについて取り上げたい。それは「権威」に対するプライドだと考える。
この場合の権威とは学歴やキャリア、社会的地位といったものである。筆者の個人的感覚だけでいえば、仕事が今ひとつパッとしない人ほど数十年前に卒業した大学名を誇示したり、人徳を得られない人は収入や社会的地位を誇示して人を惹き付けようとする傾向があると感じる。
体験談を取り上げたい。筆者の親戚にやたらと勤務先の会社に高いプライドを持っている男性がいる。この男性は筆者に会う度、「勤務先の売上がアップした」「ニュースでうちの会社が掲載された」と誇らしげにPRしてくる。それだけなら害はないのだが、遠回しに「地方の中小零細企業で働くのは大変でしょう」とどこか見下すような印象の発言をしてくるのだ。勤務先の規模が大きい、という権威がこのプライドの根幹から来ている。だが、話を聞いていてもすごいのは一個人というより、その企業だと感じてしまう。
また、筆者が東京で働いている時はある女性スタッフにつかまり、頻繁に「すごい知人がいる」と自慢をされて辟易とした経験がある。「この間、私の友達が頭脳系TV番組に出演していた!」「私には広尾のタワマンに住んでいる医師の知り合いがいる」と口を開く度に「知り合いがすごい!」という話をされてしまう。どう答えればよいのかわからず、困ってしまった。
こうした「権威」に対するプライドを持っていても、論理的に何もメリットを生み出さない。勤務先や知り合いの権威は自身ではuncontrollable(制御不能)なファクターであるため、本人に一切努力帰属しない。そのため、何かを成し遂げたいという前向きなモチベーションを生み出すこともない。また、シンプルに疎まれて周囲から人がいなくなってしまうだろう。よしんば、勤務先倒産などで権威が崩れてしまった時、アイデンティティは瞬時に崩壊する。
努力を生み出すのは良いプライド
他方において、努力をする気にさせられるプライドは良いプライドだと考える。
たとえば努力する自分への自尊心などがあげられる。「自分なら、このくらいのタスクは軽くこなせるはずだ」と自信を持って課題に取り組むなら、それは行動力を生み出し前向きに自己研鑽努力を生み出すことができる。その際、肝要なのはわざわざ口に出して周囲に己を誇ることをしないことだ。そうすれば疎まれることもない。あくまで自分の内面だけに留めておけば、誰からも反感を買うこともないだろう。そして「あの人なら仕事をキッチリこなしてくれるはずだ」と周囲からの信用にも一役買ってくれるだろう。
筆者の場合は、ビジネスでお客様を満足させることに、高いプライドを持っている。あまり軽々しく口に出すことはしなくないが、フルーツギフト、英語多読のサービスについては「筆者を信じてお金を出してくれた相手には、絶対に心から満足してもらいたい」と思っており、特にカスタマーサポートに一番注力するようにしている。英語講師を外注すれば業務効率向上につながるかもしれない。だが、万が一にでも相手が不満を持つような事があれば、即時対応できるようあえて自分自身が務めるようにしている。
こうした自分自身の努力帰属性の高い分野は、プライドが高いことはポジティブな結果につながるだろう。
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「プライドが高い人は面倒くさいと敬遠される」「プライドが高いことは身を滅ぼす」という具合に、とかくプライドは良くないものと、ネットメディアの記事で取り上げられがちだ。しかし、周囲に軽々しく吹聴せず、自己完結的に努力するエネルギーを生み出すプライドなら、決して悪いものではないと思うのだ。
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