中国とどう付き合っていくべきか〜体験的対中外交論⑤(金子 熊夫)

外交評論家 エネルギー戦略研究会会長 金子 熊夫

この連載の初回で触れたように、今年は中国共産党創立100周年で、7月1日には北京の天安門広場で盛大な記念式典が行われました。この場所は72年前の1949年10月、毛沢東が華々しく中華人民共和国の建国宣言を行ったところです。そこで、習近平国家主席は、珍しく毛と同じ人民服を着こんで、一世一代の大演説を行いました。

NHKより

演説の中で彼は、中国を世界第2位の経済大国に育て上げた共産党の歴史的業績を誇示し、一党支配体制を堅持していく覚悟を示すとともに「外部勢力が中国人を奴隷扱いすることは絶対許さない。そのために中国軍を世界一流の軍隊にする」と宣言しました。アヘン戦争(1840〜42年)敗北以来、1世紀余にわたって、列強に散々食い物にされ、辱められた民族的怨念を一気に晴らそうという決意がにじみ出ています。

台湾有事のシナリオ

さらに台湾問題については「台湾問題を解決し、祖国の完全な統一を実現することは党の歴史的任務」であるとし「いかなる台湾独立のたくらみも断固打ち砕く」と述べ、米国、日本など外国勢力を強く牽制しました。

台湾の「武力解放」を可能にするためには、あらゆる軍事力を増強すると言っていますが、その言葉通り、最近特に目立つのが核戦力と海軍力の強化で、核ミサイルの増強とともに、国産の原子力空母の建造計画も着々と進めています。

また、南シナ海に加えて、東シナ海でも尖閣諸島周辺の海域への中国公船の出没も頻度を増していることは周知のとおりです。

海だけではなく空でも、中国機による日本領空侵犯は激増しており、最新の「防衛白書」によれば、自衛隊機による緊急発進(スクランブル)の回数は昨年1年で725回で、そのうち458回は中国機に対してでした(ロシア機は258回)。

米中は戦争するか?

このような最近の状況に照らして、米軍の前インド太平洋軍司令官は「向こう6年以内に台湾有事が起こり得る」と公に述べています。「6年以内」という点については特別な根拠があるわけではないようですが、今後の国際情勢の成り行きいかんによっては、「台湾有事」の蓋然(がいぜん)性は決して排除できません。

その場合に、米中の軍事衝突はどういう形をとるか、もし米中戦争となったらどちらが勝つか、日本にはどういう影響があるか、日本はどういう態度をとるべきか等々、物騒なシナリオがこのところ軍事専門家と評する人々の間で公然と語られています。まるで1930年代、太平洋戦争開戦前の日米間の緊張した状況のようです。

あの時は日本が主役の一人でしたが、もし将来米中戦争となったら、当然日本は脇役のはずです。しかし、完全な局外中立ということはあり得ません。

日米安全保障条約の下、日本は米国の同盟国ですから対米協力の義務があります。しかも、仮に尖閣諸島や沖縄に何らかの累が及ぶ場合には、日本自身の問題としてしかるべく対応せねばなりません。具体的にどういう形で、どの程度まで対米協力を行うべきかについては、今ここで仮定の話をするわけにはいきませんが、私たち一人一人が日頃からよく考え、心の準備をしておく必要はあると思います。

日本はどう対応するか

先日、麻生太郎副首相兼財務相が講演で「台湾で大きな問題が起きれば(集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法の)『存立危機事態』に関係する」と言ったとかで、中国側が激しく反発しました。麻生発言はやや不用意な感じがしますが、私は重要な問題提起だと思います。戦後76年、日本人は「平和憲法」(前文と第9条)を信奉し、戦争とか武力攻撃などと言うことはすべてタブー視し、議論すること自体を忌避してきましたが、何時までもそうしたあいまいな態度が許されるとは考えられません。

米国も中国も、今や超大国として、世界の主導権(覇権)争いを始めていることは明らかです。経済面では、中国は後10年以内に米国を追い越すと予想されており「ドル経済」と「元経済」の競争はますます激烈になっていくでしょう。エレクトロニクス、IT分野でも同様です。特に懸念されるのは、中国の軍事面でのハイテク化が著しく進んでいることで、正確なところは外部からは把握できないものの、高度化が進んでいることは明らかです。

この点、日本では、憲法の「平和主義」のために、軍事技術の研究開発が厳しく制限されており、機密保持体制も十分確立しているとは言えないし、一般市民や民間企業の安全保障感覚は鈍く、中国とは全く比較になりません。日本国内のことは、ほとんど中国に筒抜けになっているのに、中国のことは真相を日本は把握できません。これでは到底日本は自らの安全保障を確保できません。この点については、一刻も早く憲法(第9条)を改正して、普通の国家並みに機密保持ができるようにするべきです(ただし、憲法改正問題は複雑なので、ここではこれ以上深入りしません)。

日米同盟が外交の基本

さて、こういう議論を始めるとキリがないので、この辺で止めておきますが、最後に、本題に戻って、日本は今後中国とどう付き合って行くべきかについて、精神的な面に絞って私見を申し述べておきたいと思います。

前回の本欄で、聖徳太子以来の日中関係の歴史を駆け足で振り返ったように、日中関係は常に極めて複雑で微妙でした。江戸時代以前のことはさておき、明治維新以後に限れば、日清戦争で勝った日本の優位は、第二次大戦で一挙に逆転し、中華人民共和国成立(1949年)以後は、中国の核武装(64年の東京オリンピック中に第1回核実験)により中国の軍事的優位が決定的になりました。

現在の中国と戦争したら日本は勝てません。米国との協力によってかろうじて自らの安全を確保できるに過ぎません。このことは(言われなくても分かっていることですが)しっかり心得ておかねばなりません。米国との同盟関係は吉田茂元首相が敷いた日本外交の基本路線で、これを揺るがせてはいけません。

世間では「対米従属」などと自虐的に言う人がいますが、その考えは間違っています。軍事力が不十分な国が最も強い国と同盟関係を結びその援護を受けることは自然であり、決して恥ずかしい事ではありません。むしろ、非武装中立などという幻想に囚われ、現実を直視しようとしない態度こそ危険です。このことは日本の民族的な宿命であって、徹底的に自覚しておかねばなりません。若い日本人にもそうした現実的な教育をする必要があります。

その上で、私は、絶対に日本は再び中国と戦争をすべきではなく(やったら破滅的結果しかない)、戦争にならないように自ら対処していくべきです。仮に中国から挑発されても決して戦争はすべきではありません。いかに悔しくても、ときには屈辱だと感じることがあっても、我慢しなければなりません。これは決して臆病になったり、卑屈になるということではなく、毅然として耐えるということです。私は、それを「韓信の股くぐり」と呼んでいます。

君は「韓信の股くぐり」ができるか

この中国の故事に基づく表現は、若い人にはピンと来ないかもしれませんが、ネットで検索すればすぐ分かります。簡単に言うと、大きな目的を実現するためには、小さな恥辱を受けても我慢して、決して不用意に戦ってはならないということです。これは決して単純な敗北主義ではなく、ある意味では、相手の挑発に乗って戦争するより勇気と知恵が要ることでしょうが、日本はこれで行く以外にありません。そうした覚悟をもって、中国と対峙して行かなければなりません。

読者諸賢はご記憶と思いますが、私は、昨年12月6日の本欄「わが師の恩」の中で、佐藤泰舜禅師(元永平寺貫主、新城市勝楽寺の元住職)の「日中不再戦」の石碑を見て感動した話をしましたが、これこそ、まさに日本人が、そして中国人が、しっかり心に刻むべき言葉であると思います。

決して中国との関係で日本人が卑屈になり、へり下るべきではありませんが、多少の不愉快は我慢して、軽挙妄動しないことが大事です。こちらが毅然とした態度をとっていれば、いつか相手も理性に目覚め、友好的な態度をとるようになるはずです。

現在の習近平を頂点とする中国共産党の基本姿勢には抵抗せざるを得ませんが、いかに中国共産党といえども、永久に今のような傍若無人の、自己中心的な態度は続けられるはずはなく、必ずいつか正気に戻るはずです。例えば、わずか三十数年前、胡耀邦政権時代には日中蜜月時代が確かに存在し、心と心が通い合う付き合いが出来ました。私自身もあの頃の思い出は鮮明に記憶しています(本シリーズの第1、2回参照)。問題なのは中国共産党であって、中国の人々ではありません。彼らとの友情関係がいつの日かものをいう時が必ず来ると信じています。

(2021年7月29日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)

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編集部より:この記事はエネルギー戦略研究会(EEE会議)の記事を転載させていただきました。オリジナル記事をご希望の方はエネルギー戦略研究会(EEE会議)代表:金子熊夫ウェブサイトをご覧ください。