認知バイアス

ここまでは、私たちを操作するマニピュレーターが論理的判断につけこんだ【情報操作 information manipulation】と倫理的判断・審美的判断につけこんだ【印象操作 impressive manipulation】について説明してきましたが、今回はマニピュレーターが心理的判断につけこむ【認知操作 cognitive manipulation】について説明したいと思います。

認知

【認知 cognition】とは、外部の情報を【認識 recognition】して【判断 reasoning】するプロセスであり、同時に人間は、認識・判断した情報を【記憶 memory】し、以降の認識・判断その情報を利用することになります。

認知 (人間の情報処理システムのメカニズム)

  • 認識 recognition
  • 判断 reasoning
  • 記憶 memory

人間が情報を認識するにあたっては、外部の情報を感じる【感性 sensibility】、感じた情報を理解する【悟性(知性) understanding】が作用し、認識から判断するにあたっては、理解した情報から推論する【理性 reason】が作用することになります。

認識

  • 感性 sensibility:外部の情報を感じる
  • 悟性 understanding:感じた情報を理解する

◆判断

  • 理性 reason:理解した情報から推論する

このように、認知は人間の情報処理システムである【心理 psychology】のメカニズムとして機能するのです。

感情

マニピュレーターは、私たちの認知を操作することでその【感情 emotion】につけこみ、私たちの心理を特定の方向に誘導しようとします。ここで感情とは、人間が事物に対して抱く【フィーリング feeling】のことです。心理学者のポール・エクマン Paul Ekmanは、その典型的な例として【6つの基本感情 6 basic emotions】が存在することを実験によって明らかにしました。

人間の基本感情

  • 怒り anger
  • 嫌悪 disgust
  • 恐怖 fear
  • 喜び happiness
  • 悲しみ sadness
  • 驚き surprise

これらの感情のうち、マニピュレーターが情報受信者にしばしば喚起させるのが、攻撃の対象とする【スケープゴート scapegoat】に対する恐怖・怒り・嫌悪の感情です。

感情は【思考 thinking】【身体的反応 physiological arousal】の組み合わせによって発生すると考えられています。有力な仮説が、心理学者のリチャード・ラザルス Richard Lazarusにより提唱されている【評価理論 appraisal theories】と呼ばれるものであり、思考によって自分にとっての対象の価値を評価し、その評価に応じた身体的反応が生じるときに感情が発生するとするものです。マニピュレーターは、スケープゴートに対してネガティヴな評価をさせるように情報受信者の思考を操作するのです。

例えば、新型コロナウイルスの事案の場合、日本のワイドショーは、(1)コロナ感染で生命が危険になるという恐怖の感情を不必要に煽り、(2)コロナ感染の波が繰り返されることを不当と強調することで恐怖の感情を怒りの感情に変え、(3)その怒りの矛先を政府に向けさせることで政府に対する嫌悪の感情を醸成しました。東京五輪についても同様で、(1)五輪を開催するとコロナ感染が拡がるというシナリオを科学的な繰り返し訴えることによって恐怖の感情を不合理に煽り、(2)五輪が中止にならないことを不当と強調することで恐怖の感情を怒りの感情に変え、(3)その怒りの矛先を政府に向けさせることで政府に対する嫌悪の感情を醸成したのです。

なお、感情は身体的反応を伴うため、強い感情は持続しにくい傾向があります。それに対して弱い感情は持続可能です。弱く持続する感情は【気分 mood】と呼ばれます。例えば、「怒り」という感情に相当する気分は「いら立ち」であり、「恐怖」という感情に相当する気分は「不安」です。気分は強い感情を引き出す素因となることがあります。いら立ちが怒りを呼び、不安が恐怖を呼ぶのです。マニピュレーターは、強い怒りや強い恐怖を喚起させる前段階として、しばしば情報受信者の気分を「いら立ち」や「不安」に誘導しようとします。これに騙されないためには、ちょっとした気分の変化にも留意しておくことが必要なのです。

ヒューリスティック

心理学者のジョゼフ・ルドゥー Joseph E. LeDouxは、人間が恐怖の感情を認知するとき、脳内において2つの情報処理経路がありることを発見しました。

脳内の情報処理経路

  • 低位経路(早い思考):情報入力→視床→扁桃体→情報出力
  • 高位経路(遅い思考):情報入力→視床→大脳皮質→扁桃体→情報出力

ここで【視床 thalamus】とは人間の感覚の窓口となる部位、【大脳皮質 cerebral cortex】は記憶と照合して合理的な分析を行う部位、【扁桃体 amygdala】とは恐怖に関わる身体的反応を統制する部位です。低位経路は、大脳皮質を通らないショートカットであり、合理性は確保できないものの速い判断が可能となります。一方、高位経路は、遅いものの合理的な判断が可能となります。低位経路は高位経路と比較して合理性は低いものの、外敵から素早く身を守るにあたって有効な判断を与えます。これは進化の過程で身につけた生得的なシステムであると考えられます。

心理学者のダニエル・カーネマン Daniel Kahnemanは、このような人間の速い思考と遅い思考を扱う【二重過程理論 dual process theory】を一般化しました。

思考の2つのモード

  • システム1:感情による無意識の認知過程であり、自動的で速い
  • システム2:理性による意識的な認知過程であり、能動的な労力が必要で遅い

システム2を経由することによって、人間は物事をより高い確度で認知することができますが、それに費やすコストや時間も増大するため、多くの場合において、人間はシステム1を経由して物事を認知しています。このようなシステム1に見られる認知のショートカットのことを【ヒューリスティック heuristics】と言います。

例えば、私たちが水道水を飲むときには、水道水の水質を検査することなくそのままグラスに注いで飲むのが普通です。これは「水道水の水質は確保されている」という無意識の先入観に基づき、しかも何も疑わずにグラスという道具を使って、水道水を飲んでいるのです。このことは、水を飲むという私たちが人生で何度も繰り返す行為に要する時間と労力を節約し、私たちの人生を豊かにしてくれるのです。

また、熊が山道で私たちを突然襲ってきたら、私たちは恐怖の感情を発生させ、何も疑わずにその場から逃げるものと考えられます。この際に私たちは、襲ってきた物体がクマ科の動物であることを正確に認定したり、戦って勝てる確率を求めたり、死んだフリをするのは俗説かどうかを検討したり、よくできた縫いぐるみで私たちを驚かせようとするイタズラ好きの友人の可能性を疑ったりすることはしません。私たちは経験情報に照らし合わすことなく、生物として【先験的 a priori】に与えられた保身の判断を基にその場から一目散に逃げるのです。

ちなみに、前回説明した道徳的判断のうち、義務論はシステム1、帰結主義はシステム2が関与していると言えます。

認知バイアス

ヒューリスティックは人間生活にとって非常に重要な認識過程ですが、一方で【認知バイアス cognitive bias】が発生しやすいことが知られています。認知バイアスとは、人間が物事を認知する際に、先入観・偏見によって物事の真の状態を見誤る傾向のことです。ここでは、マニピュレーターが頻繁に悪用する認知バイアスを紹介したいと思います。

まず、次の問題を解いてみて下さい。

<問題>倫子さんは26才、エンゼルスの大谷翔平選手と同じ岩手県奥州市の出身です。非常に聡明で性格も明るく、学生時代は野球部のマネージャーを務めるなど野球観戦が大好きな独身女性です。さて倫子さんは次のどちらの可能性が高いでしょうか?

A:倫子さんは銀行員である
B:倫子さんは銀行員であり、大谷翔平選手のファンでもある

これは前出のダニエル・カーネマンが設問した【リンダ問題 Linda problem】と呼ばれる有名な人間心理の問題を私が日本社会風にアレンジしたものです。この問題においてBはAに含まれるので、正解は論理的にAとなりますが、多くの人がBと答える可能性があります。これは、説明から倫子さんを銀行員の【プロトタイプ=基本型 proto-type】と考えることは困難ですが、大谷翔平選手のファンのプロトタイプと考えれば理解が容易になることによります。このように代表例をプロトタイプと勝手に思い込んで過大評価してしまう認知バイアスのことを【代表性ヒューリスティック representative heuristic】といいます。

代表である対象が、プロトタイプではなく【ステレオタイプ=紋切り型 stereotype】であるとき、代表性ヒューリスティックは、より強い認知バイアスとなります。例えば時代劇で、「代官」や「越後屋」というキャラクターが登場すれば、それは間違いなく悪役であると認定してしまうはずです。

もっぱら安倍晋三前首相は、もっともステレオタイプ化された政治家の一人と言えます。2015年の安保法案の議論の際には「治安維持法と徴兵制度を復活させるとともに全権委任法を成立させて独裁政権を樹立し、日本を軍国主義化して米国といっしょに戦争をしたがっている」といったようなステレオタイプを安保法案に反対する勢力ら割り当てられました。普通に考えれば、バカバカしいレッテルですが、当時はこのことを本当に信じる国民も少なくなく、マスメディアもこのようなステレオタイプを示唆するような報道を繰り返していました。その結果、安倍政権の政権支持率は急落するに至りました。多くの国民は、マスメディアが誘導するままに、システム1の感情によって安倍政権を嫌悪したのです。しかしながら、時間の経過に伴い、国民は次第にシステム2の理性による認知を行うようになり、政権支持率を徐々に回復させるとともに安保法制を支持するようになりました。

リスク認知

近年、マニピュレーターは、情報受信者のリスクに対する認知過程である【リスク認知 risk perception】の認知操作を頻繁に行っています。ここでは、新型コロナウイルス感染症に関する事例を交えて紹介したいと思います。

2020年の日本人の新型コロナウイルス感染症の死者数は約3500人ですが、これは、通常の肺炎で死ぬ人の約1/20、平場でコケて死ぬ人の約半分、風呂で溺れて死ぬ人の約2/3の人数です。多くの国民はコロナによる死については強い恐怖の感情を持っていますが、通常の肺炎で死ぬことや平場でコケて死ぬことや風呂で溺れて死ぬことに恐怖の感情を持っている人はほとんどいないものと推察されます。日本国民は、なぜコロナだけに恐怖を感じるのでしょうか。それは、マスメディアがコロナを過剰に報道しているからに他なりません。

ワイドショーのコロナの恐怖を過剰に煽る報道によって、欧米と比較してコロナの感染者数が桁違いに少ないにもかかわらず、コロナの恐怖は日本国民の記憶に完全に定着してしまいました。このとき、国民はコロナの感染を容易に想起するようになり、次第に感染する頻度が実際に高いのではないかと錯覚してしまうのです。このように、想起しやすいことを過大評価する認知バイアスのことを【利用可能性ヒューリスティック availability heuristic】と言います。

メディアは報道を行う際に、ありきたりの普通のことよりも、普通とは異なることを中心に報道を行っています。このことによって私たちは多様な知識を得ることができます。しかしながら、このことは私たちの認知を歪めてしまう要因にもなるのです。図-1は、米国における様々な要因による1年の総死者数を横軸に、被験者による推定値(幾何平均)を縦軸にプロットしたものです。


図-1 米国における実際の年間死者数と推定の年間死者数の関係(Lichtenstein et al.)

本図を見ると、頻度が多いありきたりの死因ほど少なく見積もられ(破線よりも下)、頻度が少ない珍しい死因ほど多く見積もられている(破線よりも上)ことがわかります。このような認知の歪みは、メディア報道に大きな影響を受けていると考えるのが合理的です。このようなリスク認知の歪みは人間の思考に誤った信念を形成します。そしてその信念を確証する事物にだけ着目するようになります。この認知バイアスを【確証バイアス confirmation bias】と言います。

例えば、日本のコロナ感染状況は世界的に見て「さざ波」であるにも拘わらず、「日本は感染が止まらない」という錯覚を起点に「感染が止まらないのは政府が愚かなためだ」「感染が止まらないのは国民に危機感が足りないからだ」「感染が止まらないのは首相のメッセージが弱いためだ」「感染増加は連休のためだ」「感染増加はGoToキャンペーンのためだ」「感染増加は酒を出す飲食店のためだ」といった思考が主流となっています。しかしながら、これらの言説は科学的な論証の結果として得られた結論ではなく、確証バイアスに基づく単なる個人の認識を主張しているに過ぎません。

図-2は世界の感染曲線と日本の感染曲線を比較したものですが、第1波から第5波までピークの位置や増減のタイミングがほぼ一致しています(日本の感染曲線のピークは世界の感染曲線のピークより5~10日程度の時間遅れを伴っています)。つまり、日本におけるコロナの感染の波は、世界共通のマクロな自然要因(例えば気温変化)やコロナウイルスの変異といったグローバルな要因が大局的な影響を与えているのであって、日本政府の愚かさや国民の危機感の不足や首相のメッセージの強弱やGoToキャンペーンの有無や飲食店で酒を出すか否かが影響していないことは自明です。

図-2 世界と日本の感染曲線の比較

ワイドショーが終始混乱させてきた日本のコロナの議論は、確証バイアスの集合体と言えるくらい科学的な証拠が欠如しています。

認知バイアスの事例

ここで、一つの事例を分析してみます。

<事例>テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』 2021/07/28

羽鳥慎一氏:浜田さん、4連休の影響もあるとは思いますが、ただ感染は収まっていないという状況になってます。

浜田敬子氏:菅総理は「人流は減っている」と言っていたが、数字を見ると3回目の緊急事態宣言の時には2週間で効果が出てきた時には47%くらい人流が減っているが、今回は20%くらいしか減っていない。減っているけど減り幅が少ないということで、それほど感染拡大の防止には効果的になっていない。あとは、五輪の開催と感染の拡大は関係ないという人がいるが、でもやっぱりメッセージとして若い人の街頭インタヴューを見ると「五輪を開催しているんだからいいんじゃない」と言って外出している人がいたり、勿論テレビ観戦で自宅にいるから外出が防げているということもあるとは思うが、やっぱり、こちらでは感染拡大を防止したい、でも五輪は開催するという二重のメッセージによって危機感が薄れているという側面もある。

7月28日に感染が収まっていない状況に対して、浜田氏は、(1)緊急事態宣言による人流の減り幅が少ないこと、および(2)五輪開催の影響を挙げています。

まず事実として、3回目の緊急事態宣言時の東京の人流については、4月25日の緊急事態宣言からの減少ではなく4月29日から始まったゴールデンウィークによる減少であり、しかも実効再生産数は緊急事態宣言前から減少していました。3回目の緊急事態宣言で人流が抑えられて感染が収まったとする浜田氏の主張は恣意的であり、個人の信念に基づく確証バイアスが作用しています。

また、7月12日の4回目の緊急事態宣言以降、東京の人流は低下を始め、特に7月23日の五輪の開催日からは、3回目の緊急事態宣言時と同程度の減少速度で減少しています。人流のリバウンドはまだ観測されていないので「減り幅が少ない」というよりは、減少が始まってから間もないとするのが妥当です。浜田氏は個人の信念に基づく確証バイアスによって「緊急事態宣言による人流の減り幅が少ない」という結論を無理やり導いています。

次に感染拡大に対する五輪開催の影響ですが、五輪の開催は7月23日なので、このコメントがあった7月28日の時点では五輪開催後の感染はまったく報告されていないと考えるのが妥当です。しかも五輪開催後は人流は順調に減少しています。「五輪開催で危機感が薄れて人流の減り幅が少なく感染が収まっていない」という認知は、利用可能性ヒューリスティックと確証バイアスの影響を強く受けています。

さらに言えば、浜田氏が「五輪を開催しているんだからいいんじゃない」という若者のステレオタイプの街頭インタヴューを見て若者の危機感が薄れていると主張するのも利用可能性ヒューリスティックと確証バイアスの影響を強く受けた【軽率な概括 hasty generalization】です。街頭インタヴューはサンプル数が極めて小さいのに加えて、テレビ局の編集意図が加えられている可能性があると同時に、インタヴューされる若者も五輪を外出の言い訳にしている可能性も考えられます。このように客観的なデータの検証を十分に行わずに個人の認識を振りかざして恣意的に結論を導く行為は、ジャーナリズムとはかけ離れたものです。

ここで最も注目すべきことは、利用可能性ヒューリスティックと確証バイアスに陥りながら浜田氏が無理やり導いた結論が「政権は無能である」という点です。このような恣意的な主張が毎日繰り返されることによって、ワイドショーの視聴者には「政権は無能である」という記憶が定着します。ここに利用可能性ヒューリスティックが視聴者に認知の歪みを形成させ、さらには確証バイアスで森羅万象を政権の無能さに求めさせる認知操作が展開されているのです。

認知操作とプロパガンダ

ここまで認知バイアスに関する基礎知識と事例を示しました。各論の[認知操作とプロパガンダ]においては、様々な認知バイアスを系統的に紹介していきます。

認知操作とプロパガンダ

認知バイアス:個人の認知における心理学的傾向
記憶バイアス:個人の記憶における心理学的傾向
社会バイアス:集団の認知における心理学的傾向
プロパガンダ:認知操作により自説に誘導する

さらには、個人の記憶における心理学的傾向である記憶バイアスおよび社会集団の認知における心理学的傾向である社会バイアスを紹介した上で、認知操作により自説に誘導する各種の【プロパガンダ propaganda】について詳細に紹介したいと思います。

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