小田急車内で犯人がサラダ油をまいた本当の理由

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

小田急線の社内で事件が起きた。刃物を持った男が殺人未遂で逮捕されたのだ。犯人は「勝ち組の女性を恨んでいた」と供述しており、サラダ油をまいて引火させようとしたのだという。

小田急電鉄 Wikipediaより

ネットではこの事件に対して「ガソリンと異なり、サラダ油はライターなどで炎上させることはできない。犯人は愚か者だ」と嘲笑する流れが広がっている。確かに少し調べれば、そのくらいは誰でもわかる話である。とあるギャグ漫画では、サラダ油を使って炎上させようとするシーンが笑いネタとして使われているほどであり、サラダ油を選んだのは愚かな行為といえる。だが、筆者は犯人がサラダ油を選んだのは彼の知能が欠けているからというより、入念に犯行準備をする気力がなかったことが真相だと考えている。

この事件には現代社会を生きる我々に、様々な教訓を投げかけているようにように感じた。筆者は犯罪プロファイリングなどの専門家ではない。あくまで独断と偏見だけで、個人的に感じた内容でお届けする。

サラダ油をまいたのはバカだからか?

ガソリンとサラダ油、火を付けると燃え上がりそうなイメージがある点で共通している。だが決定的に両者が異なるのは引火点による違いがある。本稿では燃えない理由の解説は割愛させて頂くが、とにかく引火点による事情でライター一本でサラダ油を激しく炎上させることはできない。そのため、

「このくらい少し調べればわかるのに、その程度の知能もないのか」

「人生がひっくり返る大犯罪を犯そうという段で、下調べができない時点で負け組」

など、嘲笑する反応が相次いだ。だが調べてみると意外な事実が判明する。犯人は中央大学理工学部中退という経歴があり、現代日本の大学進学率が54.4%(2020年文部科学省調査)で中央大入学と考えると、むしろ平均的な日本人より勉強できる部類に位置すると言えるだろう。また、「快速急行は停車駅が少ないから、乗客が逃げられないと思って選んだ」といっており、まったく知恵が回らない人物とも思えない。つまり、犯行は頭の中にある知識だけを拠り所に行われたと考えられる。犯人に足りなかったのはインテリジェンスというより、犯行の下準備だったのだ。

「普通、ちょっと知恵が回ればそのくらいの下調べをするものでは?」というのは、冷静で落ち着いた状況にいる正常な人の思考だろう。ググれば数秒後に出てくるような情報を調べることをしなかった犯人、それができないほどに心理的に追い詰められていて、衝動的な犯行に及んだのではないか?と思わされてしまう。本当はガソリンをまきたかったが、2019年に起きた京アニ火災の事件がガソリン販売厳格化の契機となり、購入を断念させたのかもしれない。この仮説が正しいとすると、ガソリンを除いてライター一本で激しく炎上させられる液体がとっさにわからず、揚げ物に使えるサラダ油を採用したのではないだろうか。

「無敵の人」が生まれる社会

何より気になったのはこの犯人の動機だ。「人生に不満。勝ち組の女性に恨みを抱いていた」と供述している。思うような人生を歩めないことに対する、憎しみが犯行に駆り立てたと見られる。犯人は女性との出会いを希望していたが、うまくいかなかったようだ。もしかしたら、「女性に振り向いてもらえない→自分は魅力的な男性に思ってもらえる能力がない→自分を認めない女性が憎い」と歪曲した感情が芽生えていったのかもしれない。また、「勝ち組」という言葉を使っていることからも、「負け組の自分と、勝ち組の他者」という社会の中の対比構図を見い出していた可能性がある。

最近、失うものが何もなく、自暴自棄になって犯行に及ぶ「無敵の人」という言葉が流行っている。この無敵の人が生まれるタイミングは、今後の人生の期待値がゼロになった時ではないだろうか。つまるところ、人間は現状の苦しみそのものではなく、それを解消するための未来への期待値が一切ない状況にこそ絶望するものだろう。「現状は苦しいけど、努力すれば切り開くことができる」と思えば、人間は必死に努力できるものである。

また、SNSでは「勝ち組(のように見える)」の優雅な人生が可視化されるようになった。SNSがない時代は、周囲の人間関係間で相対評価がなされていたが、今ではそれがボーダーレス化した。結果、現代社会はコンプレックスを強く感じやすいと言えるだろう。

生まれた瞬間から、永遠に超えられない階級の壁が立ちふさがり、物心ついた時から一生涯単純労働に従事し、教育の機会を奪われている国が世界にはある。その一方で、日本は義務教育制度があり、相対的に努力が報われやすい比較的健全な社会である。しかし、近年は過去に比べると格差が大きくなってきており、「努力をしても人生は好転できない」と思いこむ人が増えたなら、今後も無敵の人が生み出される可能性は否定できない。

「人は人、自分は自分の人生がある」と割り切れれば、社会や他人に恨みを抱くことは今より少なくなるはずだ。しかし、近年の風潮として「勝ち組として生きるには?」「負け組にならないために」といった二元論の文脈で語られる傾向が従来より多くなったように思う。SNSの浸透が、この傾向を後押ししたのかもしれない。いずれにせよ、格差が広がる傾向が続き、あらゆる人がオンラインに見える化した時代においては、社会に刃が向けられてしまうような歪んだ承認欲求を、上手に処理できるような道徳的教育の必要性を感じずにはいられない。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。