ルール変更への耐性

日本は伝統という歴史を重んじる国です。この伝統は時として既成事実という言葉にも置き換えられ、過去のベクトルは将来も続くことを前提にすることもあります。つまり、ルールはめったやたらには変えない暗黙のルールがあるとも言えます。

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私は北米での生活が間もなく30年になり、当地でビジネスをし、生活をする中で否が応でもルール変更を受け入れざるを得ないことが日常的に起きています。先日は事業所の一つがある市役所から「ビニール袋、使い捨ての食品梱包材、プラスティックのストローが使用できなくなります」というお知らせが事業者向けに配信されました。私どもは商品の受け渡しでビニール袋を使うことはあまりないのですが、役所として今後それを禁止するというわけです。テイクアウトの容器はどうするのでしょうか?大変革です。ただ、この動きは禁止が出る以前から企業ベースでは少しずつ工夫をしていたところも多く、準備周到なところは慌てふためくことはないでしょう。

5年ぐらい前だったと思いますが、突然市役所からレターが送られ、全ての水道を使用する事業者の下水の逆流防止の試験を毎年義務付けられました。結構な費用が毎年かかるし、そこまでするか、と思ったものですが、今ではそれが様々な意味で人々の生活を安定的に幸せにするのであればやむを得ないコストだと思っています。

このようなルール変更は限りなく行われており、特にコロナで更にルールが変わってしまって「慣れた作業」がなく、いつもルール確認をしなくてはいけないのです。

私が30年前に当地に来た時、驚いたのは税のルールが毎年どんどん変わることでした。会計はAccounting(会計)とTax(税務)を行う部門で分かれています。日本では個人が会計に携わることは少ないので、大手会計事務所を利用する大手企業の担当者ぐらいしかその仕切りを意識することはないでしょう。ところが当地は自分で確定申告をしますのでこの税のルール変更には敏感なのです。

税務担当は毎年ルールが変更になるため、そのたびにニュースレターや冊子を作って顧客に配っていたし、新しい税ルールが発表されるとメディアで大々的に取り上げて理解の周知をしたものです。

それらのルール変更がなぜ頻繁に行われるか、といえば社会環境が日々刻々変わる中で既存のルールが枠組みに当てはまらなくなります。そのため、ルール変更することを役所の業務の一部と捉えているのだと考えています。北米はご承知の通り、歴史が短いため、過去を重んじるというより今を最も適正な形にすることが社会の要請であると考えています。同じようなクレームが多数あるのにそれを放置すれば役所はnegligence(怠慢)と指摘され、責任者はクビになるでしょう。つまり、役所は胡坐をかけないし、市民からの声を受けて何をしなくてはいけないか、常に考え続け、ルール変更を市議会などを介してどんどん決議していくのです。

日本は近代のルールは戦後直後に憲法という大枠ができ、各種法律が次々と生まれます。ところがあの時代から76年たった今も法律の部分改正はするものの大枠を見直すことはめったにしません。その背景はその根本である憲法が全く改正されないからです。日本は何か大きな事象が起きない限りモノを変えません。企業ですら、よほど不都合が生じない限りルール変更はしません。

私は日本のある銀行のインターネットバンキングを利用しているのですが、正直システム全体の構成が古すぎて北米のレベルと比べ物にならないほど世代遅れをしています。銀行はパッチワークで部分変更は継続して行っていると思いますが、小手先ではもうどうにもならないレベルにあります。しかし、全体を見直そうという機運はなさそうです。理由はみずほ銀行のようなトラブルを見てしまうと萎えてしまうのですね。サラリーマンの銀行員では事なかれ主義は役所以上であることは容易に見て取れます。

河野大臣が日本でファックスをまだ使っていることをやや批判気味に話していました。北米ではファックスはまず見なくなりました。そもそも自分が送ろうとしても相手が持っていなければ送れないのです。北米でコンピューターが普及しEmail文化となり、インターネットを介したビジネスとなり、ウェブではチャット機能で必要なやり取りをする時代です。電話は掛けなくなりました。しかし、日本ではファックスがなくなったら困る、という理由で技術の革新が起きない、いや起きてもごく一部の世界だけで日本全体ベースで最新の技術やテクノロジー、社会変革、ルール変更が十分浸透できないことがしばしば起きています。

もちろん、これが日本の素晴らしいところだという意見もあるでしょう。が、伝統を守るのと生活の改善、進歩は違うと思うのです。そこがはき違えられているけれど変えられないのだと思います。

一つだけあえて言うなら1年半を経てもう少しかかるであろうコロナ禍の間に世界のスタンダードは大きく変わっています。日本の人は海外にほとんど出られていませんが、その変化をいつか見て取ることになるでしょう。そのギャップはより大きく、追いつけないほどになっているかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年8月24日の記事より転載させていただきました。