東洋経済オンラインの記事が話題になってツイッターのトレンドに入っているが、中身はアゴラでこれまで指摘してきたことと同じだ。
陽性者数を基準にしたコロナ対策をやめよ
デルタ株は感染力は大きくなったが、致死率は低下した。次の図をみれば明らかな通り、陽性者は増えたが、死者は今年1月や4月に比べると少ない。致死率は0.1%程度で、インフルとほぼ同じだ。
これは高齢者に対するワクチン接種の効果が出てきたものと思われる。いつまでも検査陽性者を基準にして騒ぐのはやめるべきだ。
行動制限は社会を破壊するだけで感染は減らない
これも次の図で明らかな通り、デルタ株の最大の感染ルートは家庭なので、飲食店などを営業制限しても意味がない。「感染をゼロにしたら経済が回る」などというゼロコロナ幻想を捨て、無意味な行動制限で社会を破壊する緊急事態宣言はやめるべきだ。
この根底には、日本医師会に支配された医療行政のゆがみがある。検査や入院などの調整をすべて保健所に集中し、無症状でも入院が原則という1類相当(新型インフル等感染症)の扱いが医療資源の逼迫の原因だ。
コロナを5類に落として特措法31条を改正すべきだ
厚労省が1類相当にこだわるのは、5類に落とすと病院をコントロールできないからだ。その原因は、医療法で患者の受け入れを「要請」しかできない弱い権限である。今年2月の感染症法改正で「勧告」はできるようになったが、罰則は病院名の公表だけだ。
「5類に落としても開業医にはコロナを診る設備がない」という反論もよくあるが、開業医や個人病院がコロナ患者を入院させる必要はない。今は行政がお願いベースで、大病院をコロナ専門にして、それ以外の患者を個人病院に転院させる分業体制がとれないことが問題なのだ。
保健所の権限を守るために「計画経済」で全国民に迷惑をかける1類相当指定は本末転倒である。医療法と健康保険法を改正し、行政の命令権限と罰則(保険医の指定取り消し)を明記すべきだ。少なくとも特措法31条を改正し、緊急時には行政が病院に命令する権限が必要だ。
開業医偏重の行政が医療資源のゆがみを生む
日本の医療行政は医師会との利害調整が中心で、診療報酬も開業医に有利に決まってきた。大病院との分業もできていないので、風邪の患者も大病院で見てもらえるフリーアクセスで、大病院も開業医も診療報酬の単価が同じだ。
おかげで勤務医の労働条件は過酷で、大病院の救急救命医や研修医などの時間外労働の上限は年間1860時間と一般労働者の2.5倍である。このため医師や看護師の離職率が高く、勤務医はつねに不足している。
医療資源も開業医や個人病院に偏在し、病院の8割が民間病院なので、160万の病床のうちコロナ病床は3.6万しかない。バラバラにできた開業医と後から整備された大病院が対等の商売敵なので、医療資源の融通がむずかしく、保健所はお願いしかできない。
特に地方では「地域医療構想」で病床の削減が進んでいたため、せっかく調整した病床を他県にゆずることができない。このため隣県搬送もほとんどできず、神奈川県で重症患者があふれてもガラガラの静岡県に搬送できない。
開業医中心の医療を近代化するとき
戦後日本の医療は、医療資源が不足していた時代に開業医中心で整備され、それをサポートする形で医療行政ができた。国民皆保険という世界でも珍しいシステムができたのも、開業医が全国にいるおかげだ。
地域の中での発言力の大きさで、医師会は自民党の最強のロビー団体である。医師会の政治団体、日本医師連盟は毎年2億円を自民党に献金する最大の団体である。武見太郎会長の時代には厚生省よりはるかに大きな権限をもち、今の中川会長はその伝統を受け継いでいる。
政治家と役所と業界はジャンケンポンの関係にあるといわれる。政治家は役所に強いが、資金源の業界には弱い。役所は業界を監督するが、族議員の圧力には弱い。厚労省は多くの族議員を擁する医師会の圧倒的な政治力に勝てないのだ。
医療は今やGDPの9%を占める巨大産業である。非効率的な大病院と個人病院の二重構造を放置していると、団塊の世代が75歳になる2025年には医療費は60兆円に激増し、社会保障財政は破綻する。コロナは厚労省が病院経営を近代化できるかどうかの試金石である。