東京都の重症者受け入れ可能数がここ1ヶ月で倍増していることをご存知だろうか?
あまり報道されないので知らない方も多いと思うが、以下のグラフの通り、感染拡大の主戦場である東京都下の「新型コロナ重症者における人工呼吸器装着数(受け入れ可能数)」は第5波まっ最中である8月1日の215件から、8月31日には421件へと倍増しているのだ。
重症者受け入れ可能数が倍増
このデータはNPO法人ECMOnetがHPで公表しているもの。CRISIS(日本集中治療医学会専門医認定施設、日本救急医学会救急科専門医指定施設を中心に全国ICUベッドの80%をカバーしている横断的ICU情報探索システム)のデータだけに、その信憑性には疑いの余地はないだろう。
このデータを見て多くの人は「医療はこんなに頑張ってくれてるんだ、ありがとう」という素直な感想を持たれると思う。たしかにその通り、重症医療の現場は本当に大変なので素直に感謝すべきだと思う。
しかし、このデータを見たとき、私はそれとは全く別の意味で「日本医療の絶望的な闇」を感じてしまった。なぜなら日本の医療はこの1年半ずっと、国民には外出自粛やマスクを、飲食店には営業自粛を、経済全体には活動抑制を求めてきたのだ。その大前提は「医療逼迫・医療崩壊を防ぐ」という大義名分だったのである。第1波のときも第2波のときも、3波・4波のときも、1年前も1ヶ月前もずっと一貫して「医療逼迫・医療は限界、医療崩壊だ!」と言い続けてきたのだ。「病床はすぐに空けられてもスタッフはすぐに確保出来ない」とか「新しいスタッフが来ても機器操作などの教育に時間がかかる」などの理由で重症患者受け入れ可能数はすぐには増やせない!とまことしやかに言われていたのだ。その中で、「重症者受け入れ可能数がここ1ヶ月で倍増」したのである。じゃ、1年前の、1ヶ月前の医療逼迫・医療崩壊は何だったのか?と言うことにもなろう。
イザとなったら発揮された日本医療の縦の機動性
ちなみに私はこれまで、こうした硬直した医療体制を「機動性の欠如」と批判してきた。
・「医療崩壊」を叫ぶほどに見えなくなる「日本医療の根本の問題」
というのも、欧米の先進各国は日本よりも圧倒的に病床が少なく、しかもコロナ患者は何十倍も多かったのだ。それにもかかわらず、柔軟に病床をやりくりしてなんとか医療崩壊ギリギリで凌いできた。緊急でない手術(白内障や膝の手術など)を延期し、病床の多くをコロナ患者用に確保したのである。一方日本は、数値の上では他先進国に比してかなり有利なはずなのに「すぐには病床は確保できない」、「医療現場はギリギリで踏ん張っている、もうこれ以上は無理」と言うことで、ほとんど機動的な病床確保が出来なかったのである。それ故にこれまでずっと「医療逼迫」「医療崩壊」と報道され続けてきたのだ。
その中で上記のように重症病床が一気に「倍増」した。いままで「無理」と言われていた縦の機動性が突如機能しだしたのである。第5波における医療体制はこれまでの第3・4波と何か根本的に変わったのだろうか?外人部隊でもやってきたのだろうか?
私はSNSでこのことを「今まで医療逼迫と言ってたのは嘘だったのか!」と書いて多くの方々からご批判を受けた。
たしかに少しい言い過ぎかもしれない。現場の医療従事者の方々にとってみれば「これまでも限界まで頑張ってきた、いまは更に耐え難きを耐えて頑張っている。それなのにいままでが『嘘』と言われたら悲しくなる」と言うところかもしれない。…そう、たしかに誰も嘘などついていないのだ。みんなが現場で必死に頑張っている(多分)のである。…ではこの件、一体どう考えればいいのだろうか?
知るべきは敵(ウイルス)にもまして自軍の本当の戦力
たしかに「誰も嘘をついていない」のは事実かもしれない。しかし、私は思う。その裏には「誰も真の戦力を知らない」という空恐ろしい事実が隠されているのではないかと。
医療体制を「軍隊」にたとえてみよう。
(国民の安全を守るという意味で医療は「国の安全保障」でもあり、また緊急事態宣言下のこの状況においてはさして的外れな例えでもないと思う)
通常軍隊というものは、兵隊・将校から上層部まで、系統だった組織で構成され、現場からの情報はもらさず上層部にあがり、逆に上層部から現場へは指揮命令が下る。先進各国の医療システムも、おおよそこのような情報網と指揮命令系統を持っているのが普通である。イギリスなどは、このコロナ禍で病床の3割を一気にコロナ病床に転換し、医師や看護師などの強制徴用・配置も行ったと聞いている。それは病院と医療従事者の殆どが公的部門として国の管理下に置かれているから可能なことなのである。
では、日本の医療システムはどうだろうか。
ご存知のとおり、日本の病院の8割は民間病院、その多くは中小病院である。言ってみれば、中小を中心とした8000を超える民間部隊が国内に存在し、それぞれの部隊のトップには一国一城の主(多くは医師)が君臨しており、それぞれには独自の理念があり、部隊の運営や情報管理は基本的にトップの自由に任されているのだ。これはなにも悪い面ばかりではない。日本の医療が「質が高く、受診も容易で、コストも安い」3拍子揃った世界一のクオリティーと評されていたのは、それらの部隊間の競争がもたらした恩恵と言っていいだろう。
しかし、この感染症パンデミックという非常時においては、その「民間部隊の競争的乱立」は、国際的に見てかなり不利に働いたと言えるだろう。日本の病院は平時から「競争の中で自由に運営」が原則であるため、日々の患者受入数やベッド稼働率などの情報を中央に報告する義務も習慣もない。スタッフや病床にどれだけの余裕があるのかはある意味ライバルに知られたくない企業秘密で、出来れば出したくない情報でもある。普段からお互いがライバル関係であることから、このコロナ禍においても横目でチラチラと他院の動向を伺いながら、自院の今後の動向を探っていく。そんな病院が多かったであろうことは容易に想像ができる。
しかし、戦時において、最前線の現場の本当の情報が上がってこないというのは、組織として致命的な欠落である。東京都の場合はこれが顕著だ。東京都は今年の2月、重症用確保病床の公表値を500床から1000床に上方修正した。そもそもこの500とか1000とかいうまるで子供のお小遣い金額のようなアバウトな数値が出てしまうこと自体、またそれが毎日更新されずずっと同じ値で張り付いていること自体、現場から上がってくる情報の信頼性を疑うものである。(その後病床は1000→1024→1207床へと増えたが、依然として日ごとの更新はなく、9月3日現在も4月末と変わらず1207のままである)
一方、冒頭のECMOnetの「重症者受け入れ可能数」は日々常に更新され変動しており、東京都が把握している「重症病床確保数」より現場の実情を反映しているデータだと言えるだろう。しかし実はこれ、全く公式なデータではないのだ。学会を中心に集まった有志の現場医師が善意で毎日報告しているものなのである。こうした「重症者受け入れ可能数」などの重要極まりない数値が国や都というコロナ対応の最上層司令部でも把握されておらず、学会という民間団体の有志の善意で賄われているということ自体がおかしな話なのである。そして、あろうことかそのデータが8月に入って突如2倍に増えたのだ。
簡単に言えば、日本の医療現場の本当の実力は「ブラックボックス」だと言うことが、この1ヶ月の受け入れ可能数倍増で判明したということだろう。司令部である国にもその底力がわからないし、都道府県にも、病院経営者にも、もちろん医療現場スタッフにもわからない。総理大臣にもコロナ対策分科会の方々にも、そして私にも、全くわからないのだ。
先日、尾身さんが理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)傘下の東京都内の5つの公的病院で、新型コロナウイルス患者用の病床が30~50%も使われていないことが判明したが、おそらく尾身さんは、それぞれの病院は限界まで頑張っている、と思っているだろう。いや、本当に限界なのかもしれない。もちろん全国には本気で限界の病院も多いだろう。「限界を超えて戦ってくれている現場スタッフに失礼だ」というご意見もあるだろう。しかしその「現場は限界を超えて‥」というその思いすらも「予想」であることが今回の件で判明したわけである。
1年半ずっと「限界!」って言ってた人が突然2倍のキャパを出してきたら、「え?本当のところはどうなの?今までのは何だったの?」と言いたくもなる。
百歩譲って、いや千歩譲ってこれまでのことに目を瞑ったとしよう。本当に大事なのは今後のことである。これまでの経験上、感染の波の周期はおおよそ4ヶ月だと予想される。ということは、順当であれば12月の冬に次の波が来ることになる。第5波は夏だった。しかし、次の感染の波は呼吸器感染症が圧倒的に増加する冬なのである。当然、今回より多くの被害が出ることは想定しておくべきだろう。果たしてその時、医療はどこまで出来るのか?どこまでが「限界」なのか? 我々はいつまで自粛すべきなのか? 飲食店はいつまで営業停止しなければいけないのか…?
自軍の戦力を正確に把握出来ないということは、それらの戦局を左右する大きな意思決定について我々は何の手がかりも持ち得ない、ということなのだ。今回の「突如の2倍」はそうした判断の手がかりを失ってしまったということを意味するのだ。その意味で、私はこの「突如の2倍事件」に「日本医療の絶望的な闇」を見てしまったのである。
◇
7月19日、英国は感染拡大のさなかに「コロナ規制全面解除」の方針を打ち出した。日本が緊急事態宣言やまん延防止等重点措置で規制を強化していたのとは対象的だ。
ある意味極端に見えるこの方針の裏には、「英国医療の戦力ならこの波は超えられる」という英国ジョンソン首相の「読み」があったのだろう。一方、日本の医療の戦力は今回の件でどこまでが限界なのかわからなくなってしまった。読めなくなってしまった。戦力が読めない以上、我々はいつまでも生活の自粛や経済活動停止などの感染対策を強化する方向に走らざるを得ない。
たしかに医療制度の根本からの改革は今年の冬の感染拡大には間に合わないかもしれない。民間病院にいきなり公的な使命を負ってもらうことは困難だろう。しかし、少なくとも我々は「パンデミック時において医療キャパの把握すら正確にできなかった」ことを覚えておくべきだ。感染症パンデミックは今年で終わりというわけではないのだ。せめて、こうした根本的な問題が存在するということを、多くの国民が認識しておくべきである。改革の波はそこからしか始まらないのだから。