東京バレエ団「海賊」

小田島 久恵

9月23日から9月26日まで全4回の公演が行われた東京バレエ団の『海賊』の二日目(9月24日)を鑑賞。男性キャストが活躍するバレエ独特の配役で、主役級の男性ダンサーが日替わりで別の役を演じるという面白味があり、主人と従者、ヒーローと悪役が毎日入れ替わるので、今思うと全日程観ておけばよかったと思う。

©Kiyonori Hasegawa

『海賊』はプティパの原本に基づき、版によって選曲や台本が変わるバレエであるため、カンパニーが採用するヴァージョンによって微妙に見どころが異なる。Kバレエカンパニーの熊川版などは、世界的にも珍しいエディションだ。

東京バレエ団は2019年にカンパニー創立55周年記念としてアンナ=マリー・ホームズ版を初演し、現代的で展開のスピーディなバレエが好評を博した。今回の再演では、高度な振付と演劇性、舞台美術と衣裳の美しさに改めて驚いた。衣裳はミラノ・スカラ座バレエ団からの貸し出しで、高級なシルクが贅沢に使われている。

©Shoko Matsuhashi

24日公演では、海賊の首領コンラッドを柄本弾が踊り、恋人メドーラを上野水香が踊った。奴隷の少女役であるメドーラは薄いヴェールを被って登場するが、ヴェールを取った瞬間からバレリーナが宝石のようなオーラを放った。

天才少女として20年前からバレエ界の大スターだった上野が、10代の少女の頃に戻ったかのようなあどけない表情を見せたことに驚いた。ホームズ版のメドーラは、どこかユーモラスで愛嬌があり、逞しい海賊たちの中にいて、花が咲いたような明るさを振りまく。

群舞、ソロすべてに高水準のテクニックが求められ、ステップも複雑で、音楽と凝った絡み方をするので、ダンサーは皆戦々恐々としていたはずだ。そんな素振りも見せず、明るいオーラを発散していたのは流石プロフェッショナル。

東京バレエ団生え抜きのスター・ダンサーである柄本弾は、どの演目でも見る者を魅了するが、『海賊』では高度なサポートをこなしながらたくさんの古典の技術を見せ、全体を引き締める座長としての責任も担っていた。

めざましい活躍を見せ、何度も大きな喝采を集めていたアリ役の宮川新大は、別日ではコンラッドを踊っている。最も有名なパ・ド・トロワでメドーラと息の合った「見せどころ」を踊るのはアリなので、両日とも主役を踊ったことになるかも知れない。どんどんスターのオーラを増していく。

多大なエネルギーを要する個性的なランケデムを踊った樋口祐輝も印象に残った。恐れを知らない思い切りのいい踊りで、少しばかりはみ出しても好感だけが残る。少し前まで、こういう踊りをする日本人ダンサーは少なかった。

裏切り者ビルバントを演じた鳥海創は、最後は主人に撃たれてしまうが、台詞が聴こえてくるような雄弁な演技が素晴らしく、踊りにも勢いがあった。

ギュルナーラ三雲友里加、オダリスクの涌田美紀、二瓶加奈子、伝田陽美、ビルバントの恋人アメイの政本絵美ら、女性ダンサーも華やかで眩しい。オダリスクは1幕で演じられることで独特の見応えがあり、古典のストイックな優美を強く感じさせた。

アリの宮川、別の日の公演で主役をつとめた秋元康臣、同じく別日にアリとランケデムを踊った池本祥真は、今や東京バレエ団の顔だが、以前は別のカンパニーで踊っていた。上野水香も元々は別のカンパニーのスターだった。

そのことを振り返ると、「東京バレエ団に来て輝いた」ダンサーは決して少なくない。バレエ団もひとつの企業と考えると、人材の流出は焦眉の問題であり、人間同士の相性もあるので安々と語ってはいけないことのようにも思われるが、「受け入れて、輝かせる」東京バレエ団の懐の深さは、ちょっと凄いのではないか。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団とピットに入った冨田実里は、新国立劇場バレエ団のレジデント・コンダクターであり、この人選も最初は意外だった。所属を超えて、芸術の世界に融和の精神が流れ込んできている。

冨田の作り出す音楽は鮮やかで、舞台と完璧にシンクロした呼吸感があり、オーケストラ・ピットから飛び出す音も、ひとつとして洗練されていない音はなかった。金管のバス音が一度もずっこけない。あらゆるシークエンスが立体的で、バレエ音楽ならではの幻想的な流れが息づいていて、それが一度も途切れない。これまでにも冨田の指揮を何度か聴いてきたが、今回の『海賊』が一番感動した。

メドーラに恋するが、全く相手にされないパシャ(太守)を演じた木村和夫は東京バレエ団のプリシンバルダンサーとして長年活躍した名役者で、近年では『ドン・キホーテ』の標題役など心に残るキャラクターをうまく演じている。「ああ、木村さんがいる」と客席から見て、いつも有難く思う。

ラスト近くの花園のバレエでは、薔薇のアーチを持ったピンク色の衣裳の女性ダンサーが優美な群舞を舞い、夢の世界が広がる中、メドーラ上野水香が目も眩むようなフェッテの連続技を見せた。先日のベジャールの『ボレロ』も良かったが、古典での上野は格別で、この日は特に素晴らしい出来栄えだった。

モナコで上野を教えたマリカ・ベゾブラゾヴァ女史が19年前のインタビューで「水香にはコッペリアがとてもふさわしいと思う」と語っていたのを思い出した。そのときには「コッペリア以外にも、水香さんはたくさん似合う役がある」と思ったものだが、恩師の目は正しかった。

上野のメドーラは登場シーンからコッペリアのように愛らしく、バレエの世界にしか存在しない雲の上のヒロインだった。ギエム、フェリ、ロパートキナ、ザハロワといったバレリーナが世界にとっての宝物であるように、上野水香も彼女たちと並ぶ。カーテンコールでは一階席の観客がスタンディングでダンサーたちを讃え、ホールはバレエの幸福に包み込まれた。