特殊能力保有者と「97%の世界」

私たちは様々なことを良く知っているようで、実際は何も知らないのではないか。宇宙物理学者が、「私たちが知っている宇宙は3%にも満たない。他の97%は未知の世界だ」とよくいう。暗黒物質、暗黒エネルギーが宇宙を覆いつくしているというのだ。昼のサイエンスとは違うダーク・サイエンスの世界だ。

月の「アルテミス計画」の宇宙飛行士のアーティストコンセプト(NASA提供)

当方は生れてかなりの年月が経過したが、与えられた能力の3%も使っていないのではないかと考えると、まだチャンスはあると希望を感じる一方で、残りの「97%の世界」をどのように引き出すかを考え、かなり絶望的になる。

ところで、独週刊誌シュピーゲル(9月25日号)に興味深いニュースが報じられていた。スーパー・レコグナイザーの話だ。一度見た顔を絶対に忘れない人の話だ。スーパーレコグナイザー(Super Recognizer)は今、未解決の犯罪、犯人を追及する警察から求められている特殊能力の持ち主だ。世界で1%から2%前後の人がひょっとしたら保有している能力というのだ。

スーパーレコグナイザーは人で込み合う駅構内や地下鉄の中でも1度、Wanted(ウォンテッド)指名手配で見た犯人の顔の人物がいたならば、直ぐに見つけ出すことができるという。犯人が髯を生やしたり、眼鏡などを付けて変装していても見付けられる。どのようにして認識するのかは本人以外に分からないが、とにかく1度見た顔ならば忘れないというのだ。顔認証能力に乏しい当方にとっては考えられない能力だ。人間が本来は保有していた「97%の世界」を垣間見る思いがする。

米TV犯罪番組「クリミナル・マインド」には映像記憶力が抜群で、1度読んだ本の内容は決して忘れないスペンサー・リード博士が登場する。博士は仲間の米連邦捜査局(FBI)と連携して犯人の行動分析をするプロファイル捜査官だ。同博士は記憶力が重視される日本の入学試験ならば抜群の成績を発揮するに違いないだろう。分厚い書物や文献を速読し、しかもその内容を忘れないのだ。

スーパーレコグナイザーはリード博士のような映像的記憶力とは違う。顔認証能力が飛びぬけているが、他の分野の記憶力は通常の人と同じレベルだという。ドイツのスーパーレコグナイザーは駅構内でソマリア出身の窃盗犯人を見付けて逮捕している。彼は2年前、指名手配の写真で犯人の顔を1度見ただけだが、2年後、駅構内にいた犯人を直ぐに見つけ出したのだ。また、パトカーで警備中、路上に指名手配で見た人物が歩いていたのを発見し、即逮捕している。捕まった犯人はどうして見つかったかは分からないから戸惑うだろう。

シュピーゲル誌によると、スーパーレコグナイザーの1人はこれまで100件の顔認証をしたが、2件しか間違わなかったという。警察側もこの特殊能力を犯人捜査に役立てるため、同じような特殊タレントを有する人材を探しているという。

ちなみに、この能力は訓練したり、学んだりして修得できるものではなく、生来のタレント(能力)だ。問題はある。スーパーレコグナイザーが見つけ出した犯人を裁判にかけた場合、指紋やDNA分析など科学的証拠がない限り、スーパーレコグナイザーの証言はあくまで参考情報扱いとなる点だ。スーパーレコグナイザー自身、説明できないからだ。特殊能力は司法の世界ではまだ認知されていないわけだ。

スーパーレコグナイザーの特殊部隊を有している英国で、2018年3月、亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘が、英ソールズベリーで意識を失って倒れているところを発見された通称スクリパリ事件で、スーパーレコグナイザーが動員され、ロシアの軍事情報工作員を見つけ出すのに成功している。プーチン大統領は否定しているが、ロシア軍事工作員の仕業であることを見破っているのだ。ドイツでも英国のスコットランドヤードのスーパーレコグナイザー部隊が2015年から16年にかけケルン中央駅内で起きた女性襲撃事件の解決に貢献した、といった具合だ。

今年はスーパーマンの原作者ジェリー・シーゲル(Jerry Siegel)が亡くなって25年目だ。シーゲルは1914年10月17日、米オハイオ州のクリーブラントに生まれた。第1次世界大戦勃発の年だ。彼は1938年6月、学友のジョセフ・シャスター(作画担当)と共にスーパーマンを初めて世に出した。スーパーマンは発表直後からアメリカ国民の心をとらえ、大ヒットとなった。

スーパーマンが世に出た1938年は、ヒトラーがナチスドイツ軍を率いて台頭してきた時だ。2人のユダヤ系米国人(シーゲルはリトアニア系ユダヤ人、シャスターはトロント生まれのユダヤ人)が架空の惑星クリンプトンから地球にきたスーパーマンを生み出したのだ。時代の閉塞感を打破するために創造された英雄ともいえる。

スーパーマンは特殊能力保有者というより、全ての特殊能力を保有したシンボルというべきかもしれない。一方、スーパーレコグナイザーは無限にある特殊能力の一部分を保有しているスペシャリストといえるかもしれない。スーパーマンが人類の救い主、メシア的な存在だとすれば、スーパーレコグナイザーに代表されるスペシャリストは専門分野でその特殊能力を発揮する“使徒たち”といえるだろう。

いずれにしても、スペンサー・リード博士の映像的記憶力、ドイツのスーパーレコグナイザーの顔認証能力は本来、われわれ全てが程度の差こそあれ保有している能力の一部分ではないか。大多数の私たちがまだ使っていない「97%の世界」ともいえる。

「97%の世界」が一斉に花を咲かせた世界を想像する時、私たちは絶望するのにはまだ早すぎる、という思いが湧いてくる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。