冷戦の生き残り「共産党」議席失う

欧のチェコで8日、9日の両日、議会選挙(下院、定数200)が実施され、アンドレイ・バビシュ首相が率いるポピュリスト運動「ANO2011」が反バビシェで結束したリベラル・保守政党の野党連合(Spolu)と左翼のリベラルの政党「海賊党」と「無所属および首長連合」(STAN)の選挙同盟に僅差ながら敗北した。その結果、野党連合が連立政権の組閣に取り組む予定だが、選挙結果を受けて新政権の組閣を要請する立場のミロシュ・ゼマン大統領(77)は10日、バビシュ首相との会合後、倒れて病院に搬送され、集中治療室(ICU)に入るという事態が生じ、政権移行プロセスにストップがかかっている(「チェコ総選挙後の政権交代は不透明」2021年10月12日参考)。

フィリプ党首「選挙結果は失望した」(2021年10月11日、KSCM公式サイトから)

ここまでは前日のコラムの内容だ。チェコ総選挙で看過できないことは、チェコ共産党(ボヘミア・モラビア共産党=KSCM)が議席獲得に必要な得票率5%のハードルをクリアできずに議会進出を逃したことだ。すなわち、チェコ共産党が議席を失ったのだ。1948年以来初めてのことだ。

チェコ共産党政権は1989年のビロード革命で崩壊したが、その後も共産党は存続し、議会では議席を維持してきた。その点、民主化後、政治の表舞台から完全に姿を消すか、他の名称で細々と生き延びてきた他の東欧諸国の共産党とは異なる。チェコの場合、共産党の名称だけではなく、マルクス・レーニン主義を標榜しているのだ。

旧チェコスロバキアで1968年、民主化を求める運動が全土に広がった。しかし、旧ソ連ブレジネフ共産党政権はチェコのアレクサンデル・ドプチェク党第1書記が主導する自由化路線(通称「プラハの春」)を許さず、ワルシャワ条約機構軍を派遣し、武力で鎮圧した。

旧ソ連共産党政権の衛星国だった東欧諸国で1956年、ハンガリーで最初の民主化運動が勃発した(ハンガリー動乱)。「プラハの春」はこのハンガリー動乱に次ぎ2番目の東欧の民主化運動だった。ドプチェク第1書記は独自の社会主義(「人間の顔をした社会主義)を標榜し、政治犯の釈放、検閲の中止、経済の一部自由化などを主張した。チェコで「プラハの春」が打倒されると、ブレジネフ書記長の後押しを受けて「正常化路線」を標榜したグスタフ・フサーク政権が全土を掌握し、民主化運動は停滞した。フサーク政権下では民主運動はその後、一層厳しく弾圧された。

劇作家のバーツラフ・ハベル氏(Vaclav Havel)、哲学者ヤン・パトチカ氏、同国の自由化路線「プラハの春」時代の外相だったイジー・ハーイェク氏らが発起人となって、人権尊重を明記した「ヘルシンキ宣言」の遵守を求めた文書(通称「憲章77」)が1977年、作成された。チェコの民主化運動の第2弾だ。そして1989年11月、ハベル氏ら反体制派知識人、元外交官、ローマ・カトリック教会聖職者、学生たちが結集し、共産政権に民主化を要求して立ち上がっていった。これが“ビロード革命”だ。チェコ共産党はこの民主化後も生き延びた。KSCMは1989年、チェコスロバキア共産党(ヴォイチェフ・フィリプ党首)の後継政党として結成された。

チェコ共産党は前回の総選挙(2017年)では得票率7.76%で15議席を獲得した。バビシュ政権を閣外で支援してきたチェコ共産党は今回の選挙では得票率3.62%で5%の壁をクリアできずに議席を失った。もちろん、チェコ共産党は次回の選挙戦に出馬してくるだろうが、5%の得票率のハードルをクリアをできるか否かは不確かだ。ハードルは益々高くなっていくのではないか。

共産党の今回の敗北について、フィリプ党首は11日、「私たちには強力な左翼党の必要性を有権者に納得させる能力がなかった。私にとって大きな失望であり、KSCMにとって大敗北だ。近代史上初めて、共産党がチェコ共和国の議会制民主主義の一部ではなくなることを意味するからだ」と述べている。

チェコの共産党の歴史で興味深い話は、冷戦時代の最後の共産党書記長フサーク氏が死の直前、1991年11月、ブラチスラバ病院の集中治療室のベッドに横たわっていた時、同国カトリック教会の司教によって懺悔と終油の秘跡を受け、キリスト者として回心したことだ。無神論世界観を標榜する共産党の最高指導者が死の床でカトリック信者に回心したという話はチェコ国民に大きな反響を与えた。フサーク政権下で多くの宗教人が迫害され、収容所で拘束されてきたことを知っている国民にとって、神の業をみる思いでフサーク氏の回心劇を聞いたことだろう(「グスタフ・フサークの回心」2006年10月26日参考)。

今回の選挙でチェコ共産党は議席を失った。共産党の敗北は冷戦時代を体験した国民にとって遅すぎたかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。