「家庭教師のトライ」の売却価額1100億円は高いか

関谷 信之

「中学受験は課金ゲーム」

マンガ「二月の勝者」中のセリフです。

現在の、塾や受験予備校など教育産業界の状況を、よく表しています。一人の子供にかける教育費が、上昇しているのです。

少子化による客数減少を、客単価上昇が補っている状態と言って良いでしょう。結果、市場規模は縮小せず横這いが続いています(※)。

一方、小規模の塾の倒産が増えています。もし、倒産した塾の子供を獲得し、一定以上のシェアを取ることができたら?

上昇した一人当たりの教育費×獲得した子供の数=莫大な収益

を獲得できる。

「勝者総取り」

も夢ではない。イギリスのファンド CVCキャピタル・パートナーズ(以下CVC)は、そう考えたのかもしれません。

では、どこと組むか?どこが育つか?

選んだのは、「家庭教師のトライ」(株式会社トライグループ 以下トライ)でした。

買収価額は1100億円。純資産(約100億円)の約11倍です。トライにそれだけの価値があるのか。今回は、トライグループについて考察したいと思います。

筆者撮影

「家庭教師」のトライに価値はあるか

「家庭教師」派遣業は(ざっくりと言えば)“プラットフォーマー”です。

教えることのできる人材を採用(登録)し、生徒を斡旋する。このビジネススタイルは、売手と買手を結びつける“クラウドワークス”や“ランサーズ”等プラットフォーマーと変わりありません。

よって、トライはプラットフォーマーであるがゆえの問題を抱えています。

1. 提供サービスの品質にバラつきがあるこ
2. 自社にノウハウが蓄積しないこと

の2つです。

かつてトライで家庭教師をされていた多くの方々が、今回の買収劇についてコメントしています。目立つのは

「トライは、仕事を家庭教師に『丸投げ』している」

というものです。この「丸投げ」が上記2つの問題の要因です。

指導・育成がないまま「丸投げ」されると、教育の品質は家庭教師“自身”の資質に依存します。人によって、品質にバラつきがでる。また、実践で得た知識は共有されず、属人化してしまう。自社にノウハウが蓄積しにくいのです。

さらに、トライは「家庭教師」事業であることに起因する問題も抱えています。それは

3. 標準化できないこと

です。

家庭教師は、オーダーメイドです。子供によって、学力や環境が異なります。教材も、子供が使っている教科書や塾のテキストを用いることが多いでしょう。そのため、企業側でカリキュラムを組んだり、指導方法を標準化することが難しいのです。

品質にバラつきがある。ノウハウが蓄積されていない。業務標準化できていない。

もし、トライが、“家庭教師「だけ」のトライ”だったら、CVCが買収することは無かったはずです。

「オンライン授業」のトライに価値がある

しかし、トライには「家庭教師以外」の有望事業があります。オンライン授業“Try(トライ) IT(イット)”です。

Try IT プレスリリースより

“Try IT”は、2015年に開始した、映像授業をオンライン上で配信するサービスです(原則無料。質問は1件500円)。

オンライン化により、上記3つの問題が解消されます。

1. 同じ映像(講師)のため、品質にバラつきが無い
2. 再生回数や質問など情報が集約されるため、ノウハウが蓄積できる
3. 登録家庭教師の数(20万人)に比べ、オンライン講師の数は少ないため、指導方法などの標準化ができる

ということになります。

さらに、オンラインのメリットに加え、“Try IT”には独自の強みがあります。

「品質が高い」のです。

“Try IT”の授業映像をみると、トライに対する印象は大きく変わります。

( あくまで主観ですが、筆者が、(劣等生だった)中学・高校生だったころに、このサービスがあればどれだけ救われたことか…そう感じました)

資格学校(社会人向け)講師の方に、“Try IT”の授業映像をみてもらいました。対象は、英語・社会・数学の3教科です。評価は、筆者同様「品質が高い」というものでした。

理由は

1.講師力が高い
各講師の話し方が、中高生向け(子供向け)に統一されている。噛まない。聞きやすい。

2.教材の質が高い
操作方法やユーザインタフェース、画面レイアウトが工夫されている。そのため、テキストを見ることなく映像だけで学習できる。1科目15分程度にまとまっているため、集中しやすい。

高い講師力と教材品質により、面白い授業になっている。その結果、15分があっという間に感じた。

とのことでした。これらを踏まえると、トライには

「商品開発力がある」

と考えるべきです。

類似するオンラインサービスを提供している、リクルートの“スタディサプリ”と比較しても、「品質」に遜色はありません。

違いは「量」です。“Try IT”の授業数は4000本。対して“スタディサプリ”は4万本。大きな差があります。“Try IT”は、カバーする範囲が狭いのです。基礎に重点を置いており、応用・受験対策の授業が少ない。このことが量の差をもたらしています。

もし、現在の品質を維持しつつ、範囲を応用・受験対策まで広げ、有料化できたら?

あくまで可能性の話です。

しかし、トライは「アルプスの少女ハイジ」のCMで、既に全国的知名度を獲得しています。この知名度と、今後の可能性を考慮すると、あながち1100億円は高い買い物とは言い切れないのです。

トライの企業理念

“Try IT”は、今のところ無料で提供されているサービスです。

トライは、無料で提供する理由を、「社会貢献」、具体的には「教育格差の是正」としてます。

いつでもどこにいても学びの機会が得られ、
「勉強がわかるって楽しい」
「将来の夢や進学の目標を持つきっかけになった」
そのような想いを抱く子どもたちが日本中に溢れる社会を作りたい。地理的要因や経済的理由によって、子どもたちの可能性に差異が生じてはならない。
Try ITの「永久無料」にはそのような願いが込められています。(中略)

株式会社トライグループ
代表取締役社長
二谷 友里恵
(「映像授業のTry IT」 ウェブサイトより)

これは、企業理念と言っても良いでしょう。

現経営陣は、今後の経営に「一定」の関わりを持つとのこと。理念を貫きつつ、CVCと共に1100億円を超える価値の企業に育てることができるか。手腕が問われるところです。

【参考・補足】
学習塾・予備校市場に関する調査を実施(2021年) | ニュース・トピックス | 市場調査とマーケティングの矢野経済研究所
・株式会社トライグループ 第32期(令和2年5月31日現在)決算公告(令和3年4月28日)