オミクロン株による影響の楽観視と悲観視のはざまで、社会に不安が漂っています。日本におけるブースター接種および小児への接種と時期が重なる点が事を複雑化させており、オミクロン株の出現がこれらの接種に推進力を与えている面もあります。
私の専門は言語、特に科学技術文書の翻訳です。科学的に正確な情報に基づき私たち市民ひとりひとりが接種の意義について主体的かつ包括的に考察できる状況が不可欠、との強い思いがあります。この思いが、私が管理するウェブサイト、Think Vaccineの設立の理念であり、本記事を投稿する理由でもあります。
昨年の12月14日前後、多くの報道機関が世界における初のオミクロン関連死を報じました。日本の報道では、「オミクロン株感染による初の死者」、「オミクロン株で初の死者」、「「オミクロン株」による初めての死者」といった文言が用いられました。この文言は、亡くなった人の死因がオミクロン株への感染であったことを、表す、あるいは強く示唆します。
これに関し、報道の基となったイギリスのボリス・ジョンソン首相の発言は以下の通りです。
「sadly at least one patient has been confirmed to have died with Omicron」
「残念ながら、少なくとも一人の患者がオミクロンを有して死亡したことが確認された」
(以下、筆者訳。翻訳による概念の歪曲を避けるため、言語学的に最適な訳ではなく、技術的に忠実な訳を心掛けます。)
died with Omicronは、患者が死亡した当時、オミクロン株に感染していたことを指します。オミクロン株が直接の死因であった場合、文法的には、ofやfromの前置詞を用いて、died of Omicronあるいはdied from Omicronと表現します。よって、報道とジョンソン首相の発言との間には隔たりがあります。
首相の発言は英語圏のメディアでも取り上げられ、”At least one person has died from the new Omicron variant”(「少なくとも一人が新オミクロン株により死亡した」)(CBSニュース, 12月13日)や、”Prime Minister Boris Johnson said a person died of the Omicron variant”(「オミクロン株による死者があったとボリス・ジョンソン首相は語った」)(Newsweek, 12月13日)といった報道がなされました。
私の知る限り、首相の表現からは真の死因が特定できない、といった疑問を呈したメディアは、ごく少数でした(例えば、Daily Mail社の記事”Did Britain’s ‘first Omicron death’ die FROM the Covid variant or WITH it?”(「イギリスの「初のオミクロン死」は、コロナ変異株による死か、コロナ変異株を伴った死か?」))。
12月20日、アメリカにおける初のオミクロン関連死を発表した米テキサス州保健当局の担当者は、本死亡例を”Omicron-related death”と表現しました。これは、文字通り「オミクロン関連死」を意味します。
しかし、この時も、日本の一部のメディアでは「オミクロン株による死者」、「オミクロン株感染による死者」といった表現を用いた報道がなされました。なお、英語圏での報道では、イギリスでの死亡例よりは正確な文言を用いた報道が多くなされたようですが(例:”Texas death believed to be first in US linked to Omicron”(「テキサスの死亡例は、アメリカ初のオミクロン関連死と思われる」)(THE HILL、12月21日))、その一方で、報道の見出しに”Omicron death”(「オミクロン死」)との文言を用いるケースが多く見られました(Forbes紙、The Sun紙など)。
「オミクロン死」とは、2021年に創作された表現であり、その定義は高度に不明瞭です。表現が人に何を連想させるかについては、読者の皆様に判断を委ねます。
特にイギリスの例については、報道の基となる情報と報道との間に乖離があります。死亡時にオミクロン株に感染していた場合、感染症が死期を早めた可能性や、死因が実際にオミクロン株への感染であった可能性を否定すべきではありませんが、死因がオミクロン感染であることが医学的に判明していない状態で「オミクロン株による死者」といった表現を用いることには、疑義があります。とりわけ、ブースター接種や小児の接種について検討する人、悩む人が多い時期に不正確な情報を提供することは、問題ではないでしょうか。
また、感染予防対策が比較的緩い地域で感染力の強いウイルスが流行した場合、一定の割合の死者は死亡時に感染していることが予測されます。そのような状況下ウイルスに感染した状態で亡くなった人の例を、高い感染予防対策が講じられている国でセンセーショナルに取り上げることに、どの程度の科学的・医学的妥当性があるのかについても、検討が必要です。
多くの市民にとって、大手報道機関による報道は、重要な、あるいは唯一の情報源です。イギリスにおけるオミクロン関連死については複数の報道機関に申し入れをしました。これからも、報道の正確性に疑義があれば報道機関に申し入れを行う予定ですが、それと同時に、このような場を借りて情報発信しようと考えています。
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家田 堯
一般社団法人発明推進協会(東京都港区)、知的財産研究センター翻訳チーム主査。翻訳家。英語、イタリア語、ハンガリー語、ロシア語の翻訳実績がある。学生時代の専攻は音楽。mRNAワクチンに関し様々な観点から情報を紹介するウェブサイト、Think Vaccineを運営。