ドーピングはなぜなくならないのか:ロシア治安機関による国家ぐるみのドーピング事件(藤谷 昌敏)

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政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷 昌敏

北京オリンピックが2月20日閉幕した。このオリンピックでは、様々な疑惑の判定が見られるなど、国威発揚を第一とする覇権国家で行われるオリンピックがどれほど不透明で不公正な結果となるものかを世界に知らしめた。

中でもロシアのフィギュア選手カミラ・ワリエラが起こしたドーピング疑惑は、若い天才スケーターが起こした不祥事として歴史に名を刻むものになるだろう。ロシアが過去のドーピング問題で国としての参加が認められず、ロシアオリンピック委員会としての参加となっているにもかかわらず、未だにドーピング問題が発生するのはなぜだろうか。

ベルリンオリンピックをナチスドイツが国威発揚の場として利用したのは有名な話だが、戦後も冷戦下、ロシア(旧ソ連)がオリンピックでメダルを獲得することに固執し、短期間で大幅なメダル獲得に成功した。

ロシアは、1968年のメキシコシティ大会で金29、銀32、銅30計91個、1972年のミュンヘン大会で金50、銀27、銅22計99個、1976年のモントリオール大会で金49、銀41、銅35計125個、1980年のモスクワ大会では金80、銀69、銅46計195個(西側諸国不参加)、1984年のロサンゼルス大会(ロシア不参加)、1988年のソウル大会で金55、銀31、銅46、計132個を獲得した。

メダルの合計獲得数を見れば、ロシアは、メキシコシティ大会からソウル大会にかけて、総数642個のメダルを獲得した。その圧倒的なメダル数に強い違和感を覚えるのは筆者だけではないだろう。当時のロシアでは、「オリンピックの大躍進を実現できたのは、政府が国民の健康増進を目的に体育学校を整備し、共産主義に基づく優れたプラクティスを実践したからだ」と宣伝されていた。

しかし、時を経てロシアの最近の成績は、アテネ大会も北京でも第3位、ロンドンでは、とうとう4位に落ち、その後プーチン大統領自ら、「国威発揚のため好成績をあげるよう、各機関に命令した」と言われている。

カミラ・ワリエラ選手のドーピング疑惑

2022年2月8日、フィギュアスケート団体の表彰式が急きょ中止された件をめぐり、地元ロシアのメディアなどはロシアオリンピック委員会(ROC)の一員としてフィギュア団体金メダル獲得に貢献したカミラ・ワリエワ選手が大会前に提出した検体から禁止薬物トリメタジジンが検出されたと報じた。1月の欧州選手権前に採取されたものだという。

検出されたトリメタジジンは心疾患の治療などに使われるが、持久力を高める効果があり、世界反ドーピング機関(WADA)の禁止薬物リストに載っているものだ。カミラ・ワリエラ選手は、心疾患のある祖父と同じグラスを使ったと主張しているが。本来、錠剤かカプセルで服用するトリメタジジンがなぜグラスを媒介にして服用するに至ったのか、極めて疑問視されている。

ロシアの治安機関が関与した国家ぐるみのドーピング事件

旧ソ連の国家保安委員会(KGB)及びその後継機関でテロ行為と国家反逆の防止を任務とするロシア連邦保安局(FSB)は、かなり以前からスポーツ界とつながっていた。米ソ対立の時代、スポーツ分野においても国際的成功が冷戦の勝利のために必要だった。

2014年2月、世界反ドーピング機関(WADA)独立委員会が335ページにわたる報告書を発表した。その内容は、選手やコーチ、競技団体、検査機関などが証拠隠滅で共謀し、さらに政府の関与も示す驚くべきものだった。

同報告書によると、モスクワにあるWADA公認検査機関のグレゴリー・ロドチェンコフ所長は陽性反応を示した選手に隠蔽の見返りで金銭を要求し、第三者委の調査を妨害するため1417検体を故意に破棄した。

また、モスクワにはFSBが関与する「第2の検査機関」が存在し、ここで陰性の検体を保管し、公認検査機関の陽性検体とすり替えていた。公認検査機関は抜き打ち検査のスケジュールを選手に事前に教え、検査官は日常的に選手から賄賂を受け取っていたが、コーチたちは「他の国でも似たようなことをしている。代表選手の務めだ」と選手を説得していた。

公認検査機関には、FSBの職員が出入りし、不正行為の圧力をかけていた。ソチ冬季五輪期間中は、FSBの関係者が施設内で監視し、その後も毎週のように訪れていたという。KGB及びFSBは、有力スポーツ選手の亡命を未然に阻止するだけでなく、成功したスポーツ選手が選手生活や住宅問題など、あらゆる問題でKGBとFSBに相談できるようなシステムを作っていた。

その後、2014年12月、ドイツ公共放送ARDが「ドーピングの秘密 ロシアはいかにして勝者を作り出したのか」と題したドキュメンタリー番組を放映したが、その中で、元陸上選手の妻とロシア反ドーピング機関の元職員の夫が、ロシア国内で行われている不正を証言し、さらに女子マラソンの元強豪リリア・ショブホワが陽性反応の記録を隠して2012年ロンドン五輪に出るため、「ロシア陸連幹部に45万ユーロを支払った」などと暴露した。

ドーピング問題における日本の役割

よもや今回のワリエラ選手のドーピング疑惑が国家ぐるみであるということはないと思うが、ドーピング問題の背景には、ロシアが抱える貧困問題がある。スポーツ用具を買うことすらできない貧困家庭に生まれた子供たちが飛躍するためにはスポーツしかない。そしてコーチなどのスタッフにとっては巨額な金が動くオリンピックは大金を稼ぐビッグチャンスでもある。ドーピングは、選手にとってもスタッフにとっても魅力的な暗黒のツールだ。

近年、日本では、海外からの優秀なコーチの招請、科学的なトレーニング方法の開発、強化施設の増設、強化システムの改善などにより、オリンピックでの躍進には目を見張るものがある。これまでドーピング疑惑が発生したことはほとんどなく、発生したとしてもきちんとした問題の改善が行われている。ましてや組織的なドーピングなどは行われたことはない。

こうした日本には、ドーピングが世界に拡散することに歯止めをかけるために何か役立つことがあるのではないだろうか。ドーピング禁止薬物の高精度分析機械の開発、スポーツ後進国に対する経済援助、モラルの高い優秀なコーチの海外派遣、ドーピング後遺症に悩む選手へのケアなどによって、日本は大いに世界のスポーツ界に貢献できるはずである。

藤谷 昌敏
1954年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程修了。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、一般社団法人経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。