名著で読むウクライナ情勢

潮 匡人

「大使とは、自国の利益のため、外国で嘘をつくために派遣される誠実な人間をいう」という見解を述べたのは、イギリス大使ヘンリー・ウオットン卿であった。(中略)一般公衆の間で外交官たちが不評判なのは、ヘンリー・ウオットン卿のそれのような、たまさかの冗談のせいばかりではない。もっと重要なこととしては、マキャベリの箴言と、外交の理論と実際が積極的に同一視されたためであるといえよう。

H・ニコルソン『外交』東京大学出版会)

いや、最近のロシア国連大使の安保理での発言や、ロシア駐日大使のBSフジ番組での発言を想起すれば、「たまさかの冗談」で済ませる気にはなれない。ロシア大使は、ロシアないしプーチンの利益のため、平気で嘘をつく。「もっと重要な」マキャベリの箴言については、月刊「正論」5月号の連載書評欄で、バーリン著『マキアヴェッリの独創性 他三篇』(岩波文庫)を取り上げて紹介したので、参照いただきたい。

ここでは以下、かつて『諸君!』(文藝春秋)誌上で連載していた「複眼書評」風に、ウクライナ情勢を読んでみよう。

乾一宇著『力の信奉者ロシア その思想と戦略』(JCA出版)の「まえがき」はこう書き出す。

ロシアは力を信奉する国である。パワー・ポリティックスの立場から、どの国も大なり小なり力を重要視する。ロシアの場合は、それが度を越している。(中略)ロシア語には「安全」という言葉はない。「危険のないこと」の言葉をもって代用している。「危険のないこと」は相手との関係において生じるもので、相対的なものである。その感じ方が、ロシア人は特別である。これくらいでいいだろうとは思わない。/力の均衡ということを考えない。均衡に達したとすると、それを少しでも凌駕しようとする。その少しが、どんどん拡大していく。相手より倍になっても安心することはなく、止めどもなく「危険のない」状態を求めていく。

2011年発行ながら、今日の情勢を見通していたかのような卓見である。

著者は防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。陸自幹部学校指揮幕僚課程、米軍ロシア語課程等を経て、駐ルーマニア防衛駐在官(初代)、陸上幕僚監部調査部班長、第3施設群長(兼座間分屯地司令)、防衛研究所研究室長などの要職を歴任。退官後、日本大学大学院総合社会情報研究科教授(兼日本国際問題研究所客員研究員)も務めた。

ちなみに同書は、いま連日NHK番組に出演している防衛研究所の兵頭慎治(政策研究部長)も「高水準の学術書」と「書評」した(「ロシア・東欧研究」第40号)。同書が援用した和辻哲郎著『倫理学』(岩波文庫)にも注目したい。

ロシアについて、第4章「人間存在の歴史的風土的構造」第2節「人間存在の風土性」でこう述べる。

「ほとんど先天的ともいうべき土地拡大の要求」というふうに言い表される。これが人間の草原的性格である。(中略)ロシア人は草原をつくり、また草原に入り込むことによって、草原的性格を習い取ったのである。そこでは一方にこの単調な比類のない辛抱づよさ(傍点ママ・以下同)が目立っている。(中略)ここに辛抱づよさと結びついた、受け身の、退却によって勝つというような、独特な戦闘的性格が現れてくる。

その上で、同章同節をこう結ぶ。

アメリカにおいて民主的な共和国が成熟しつつあったちょうどその時に、ロシアにおいては君主の独裁政治が比類なき強さに発展しつつあった。ここにわれわれは草原的人間の忍従的性格がいかに自発的合理的な傾向よりも強いかを看取しうると思う。

地政学リスクといった軽薄な用語とは似ても似つかぬ重厚な「風土」考察といえよう。ちなみに「人間存在の構造契機としての風土性を明らかにすること」を目指した和辻の『風土 人間的考察』(岩波文庫)は、中国についてこう述べる。

(前略)シナの人間は沙漠的なるものと無縁ではない。彼らに著しく意志の緊張があり(傍点ママ・以下同)、従ってその忍従性の奥に戦闘的なるものをひそめていることは、モンスーン的性格と沙漠的性格との結合を語るものであろう。

いま改めて噛み締めたい指摘ではないだろうか。

3月20日現在、ロシアとウクライナとの間で、断続的ながらも停戦交渉が進んでいる。そこに一縷の望みを見出す論者が少なくないが、ニコルソンは前掲著でこう指摘する。

譲歩がなされ、条約が結ばれても、それが個々の紛争の最終的解決をなすものとはみなされず、むしろ弱さや退却の証拠であるとみなされ、つまり将来の勝利を準備するためにただちに利用されるべき一つの利点としてみなされがちである。

けっして、ウクライナの「弱さや退却の証拠」とみなされ、つまりロシアにとって「将来の勝利を準備するためにただちに利用されるべき一つの利点」とみなされるような停戦合意や条約であってはならない。同書エピローグの結びにも耳を傾けたい。

われわれは皆、国際道徳といったものがどの辺にあるか知っている。たとえ他の国がこの境界を侵犯することがあっても、少なくともわれわれはそれを尊重すべきである。(中略)すなわち、他人はそうであるかもしれないが、お前はそうであってはならない。これがわれわれのモットーであるべきである。これをモットーとすることにより、われわれは結局勝利することになろう。

われわれは結局勝利する。そう信じることが未来への希望を生む。少なくとも今は、そう思いたい。

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