脱毛症に苦しむ妻を、晴れがましい舞台で、弄られた。
有名俳優のウィル・スミスが、司会者のクリス・ロックを殴った。視聴者は一瞬仕込んだ演技かと思ったが、スミスは本気だった。その証拠に殴った後放送禁止用語を使用。そのため、その瞬間(ロシア国内放送のように)15秒だけ音声が切られ、スミスの口が隠され、放送が中断。全米はスミスの怒りが本物だと認識した。
原因を作った司会者のロックは、有名なコメデイアンで、なんでもネタにするプロだ。自分が出演する映画の中でも暴言だらけ。しかしそれは演技と分かっているので、観客はそれなりにずっと受け入れてきた。それが彼の人気の秘密でもある。筆者も何度も笑わされた。
以前にもスミス夫人や坊主頭のことを使った攻撃的なネタを、披露したこともある。つまり前科があるのだ。
今回彼は大きな過ちを冒した。スミスの妻の丸刈りを直接的にからかったのだ。
昔、人気女優デミ・ムーアがカメラの前で、バリカンを使って本当に丸刈りになるシーンのことを、深い気持ちもなく、悪気もなく使った。自分の病気で髪を切らざるを得なく、インスタなどで悩みを公開していたスミス夫人を、揶揄っただけのように生放送でみていた筆者は感じた。
ムーアは97年の映画で、男優先の米軍特殊部隊海軍シールズの訓練に耐える女性兵士を演じた。役柄は男女平等への挑戦。おんなにはできないだろうという考えに戦いを挑む米諜報員役だった。丸刈りはその決意の表れで、当時かなり高い評価を得た。いくら役作りとはいえ、女性の命ともいえる髪を本気で刈られるシーンは、米社会に衝撃を与えた。
筆者は本物の海兵隊の丸刈り現場に立ち会ったことがある。憧れの海兵隊に入隊を希望する高校卒の若者が、真夜中に数十人も次から次にバスで到着。まずは所持品を全て取り上げられる。そして次に向かったのが、床屋。でかいバリカンを持った入れ墨男が待っていた。
沈黙の中の決意が滲み出る厳粛な「儀式」という感じだった。鏡の前で、自分の髪がどんどん無くなっていくのを見ながら、これからお国ために命を賭けるという自覚を20歳前の若者が確認するのが感じられた。
映画でムーアは男世界の中で、女性の自分でも十分やっていける、いくんだという決意を自前の髪を犠牲にする素晴らしい演技で表現して、当時かなりの話題を呼び映画のヒットにも貢献した。
今回殴られたロックは、これからも勇気をもって強く生きていくスミスの妻を励ますために、その例を出しただけだったとも思われた。
1つの証拠として、今回の暴行事件後の楽屋で、ロックはスミス夫妻の名前を大声で呼び「出て来い、勝負しよう」と叫び、周りが抑えるくらい怒りを表した映像も筆者はみた。
悪気がなかったのに、誤解されて晴れの舞台で殴られたことへの怒りだ。
一方のスミスは大切な妻をからかわれた、馬鹿にされたと感じ、頭に血が上ったのだろう。
誤解と言えば誤解だが、ここはやはり司会者ロックの不注意といえる。
暴行事件のすぐあと、スミスは彼にとって初めての主演男優賞を得た。得意のアクションではなく、有名テニス選手ウイリアムズ姉妹の父親役。筆者も見たが本当に晴らしい演技だった。
筆者は40年近く前にハリウッドの取材をかなりやった。今回も友人とつながるアカデミー関係者によると、暴行直後に決まっていた発表を取り消す話も持ち上がったという。暴力は許さないという決意だ。
だが結局予定通り、スミスに男優賞が渡された。スミスは涙ながらに、アカデミーと他にノミネートされた俳優への謝罪をした。その中にロックの名前はなかった。
だがさすがに批判が集中してそれから数時間後、スミスはインスタグラムで、ロックへの名前を出して公式に謝罪した。
これも何度も通ったパーカ―センターなど、深い取材をしたロサンゼルス市警。関係者によると、今回、暴行は明らか。だが負傷などすれば話は別だが、そこまではいっていない。ロックからの被害届が出ていないので、現時点では事件として扱わないとしている。だが、後日届けがあれば、その時は正式に扱う、ケースはいまだに生きているという含みを持たせた。
2017年に、幾つもある賞のうち最も関心が高いともいえる「作品賞」の発表を間違えた事件もあった。殆ど知られていないが、アカデミー賞審査と発表までの過程を、筆者は直接取材したことがある。映画界とは全く関係ない「会計事務所」プラスウォーターハウスクーパースが、公正を期すため全てのプロセスを管理・監督する。受賞した名前が書かれた用紙は、あたかも軍事機密のように責任者の手首に手錠でつながれたアタシュケースに入れられる。しかし、いろいろな理由があったが、今回の暴行事件のような間違いが起きた。
今回のこの事件、日本では妻を守るために止むをえなかった、同情するという意見もあるだろう。スミスの正義感への支持だ。だがそれは平和な日本だから理想が言える。極端に言えば、誰もが銃を持ち、なにかあれば誰もが引き金を引く米社会。少々理屈が通り、感情に任せて暴力を振るって、万が一にでもそれが認められた時の怖さ。これは米社会では、絶対に認められないのだ。どんな理由があっても、暴力への是認は永遠にない。
アカデミー側は正式に調査を開始、スミスに何らかの罰を与えることになるだろう。
コロナとウクライナ危機、暗い話が多い最近だが、映画はやはり人々に希望を与える。2度とこのような事件が起きないことを祈る。