戦争がもたらした「超円安」はどこまで行くか

池田 信夫

ウクライナ戦争が始まってから、為替レートは1ドル=115円から一時は125円と、1ヶ月で10円も上がり、超円安が止まらない。このきっかけは、25日の国会で、黒田総裁が「現時点で円に対する信頼が失われたということではない」と円安を容認する答弁をしたことだった。

その後、国債が売られ、長期金利0.25%で日銀が28日から2日続けて無制限に国債を買う異例の連続指し値オペを行ったことで、円が急落した。125円は「黒田ライン」といわれるので、市場は介入を警戒したのか、いったん値を戻したが、円の先安感は強い。

国際金融のトリレンマ

問題はこれがどこまで続くかである。教科書的にいうと、短期の為替レートは実質長期金利差で決まるので、日銀が長期金利に天井を設定している限り、円安は止まらない。これは金融業界では国際金融のトリレンマとしてよく知られ、次の三つの条件を同時に満たすことはできない。

A. 為替相場の安定
B. 金融政策の独立性
C. 自由な資本移動

自由な資本移動を前提にすると、AとBはトレードオフになる。日本の場合は日銀が量的緩和をやめられないためBの条件が変えられず、Aの円安を容認するしかないのだ。

円安には一長一短がある。昔は円安になると(輸出産業の多い)日経平均株価が上がったものだが、ここ1ヶ月で2万7000円から2万8000円になった程度だ。それも自動車・電機が大幅に上がる一方、石油製品が大幅に下がり、円安のプラスとドル高のマイナスが相殺された結果である。

国内の投資不足を海外投資が埋めた

次の図はドル円レート(逆目盛)とISバランスを比較したものだが、歴史的にみると今のレートはまだ円高である。1973年に変動相場制になるまで、投資と貯蓄はほぼ均衡していたが、変動相場制で円が上がってから、投資が貯蓄を下回る投資不足になった。

名目為替レート(ドル/円)と貯蓄・投資(GDP比)

1980年代には内需の不足を輸出(外需)が埋めたが、1985年のプラザ合意で急速に円高になったため、資産価値が上がって内需(不動産投資)が激増し、バブルが生まれた。だがISバランスからみると、1990年は貯蓄と投資がほぼ均衡し、需給ギャップが解消した年だった。

このときの為替レートが1ドル=120円台。今とほぼ同じだったが、これは公定歩合が自然利子率(貯蓄と投資が均等化する実質金利)より低かったためで、1990年代に不動産バブルが崩壊すると、また大幅な投資不足になった。

この時期から企業が貯蓄超過になり、これがいまだに解消されないことが需給ギャップの最大の原因である。そのギャップは2010年までは(財政赤字を除くと)貿易黒字で埋められたが、それ以降は所得収支の黒字(海外法人の利益)に置き換わった。これが今回の円安の過去との最大の違いである。

つまり(所得収支を含む)GNPベースでは経常収支の黒字で需要不足を補っているのだが、GDPでみると内需が不足しているので、賃金が上がらないのだ。この大きな原因は円が高すぎて経常収支の黒字が少ないことだ。

これは直感に反するが、上の図でもわかるように、1990年以降の企業の投資不足は、為替レートの円高と相関が高い。特にリーマンショック後の1ドル=80円の時期には、投資が大幅に落ち込み、その後も回復しない。今の状況では、円が下がっても海外法人の利益が(円ベースで)上がるだけで、内需は増えない。

「自然為替レート」はいくらか

では円は、どこまで下がるだろうか。一つの目安は貯蓄=投資になった1990年の120円台だが、このときは「実質金利<自然利子率」だった。今は自然利子率がマイナスなので、不等号はこの逆である。

これが円安になって投資が増えて等号になり、需給ギャップが縮小すると、貯蓄=投資になる自然為替レート(均衡実質為替レート)に近づくと考えることができる。1990年の130円より大幅に安くなれば、生産拠点が国内にもどってきて、投資不足が解消されるかもしれない。

かつて貯蓄=投資だったのは、1ドル=360円の固定為替相場の時代だが、さすがにそれはないだろう。90年代以降の投資不足の時期は、1995年と2010年の異常な円高を除くと、100~120円のレンジなので、自然為替レートはこれよりかなり円安だと思われる。

資源インフレで経常収支は赤字基調になってきたので、長期的には円安の傾向が続くだろう。これは戦争をきっかけにして為替レートが自然な水準に回帰していると考えることもできるが、日銀がゼロ金利を無理に守ることは円安を加速し、経済を不安定化するリスクが大きい。