大阪府庁のすぐ近く、大阪城正面の大手前交差点にある公益社団法人國民會館で、武藤記念講座の講演をさせていただいた。「憲法と安全保障:国軍としての自衛隊を憲法は禁止していない~悪いのは憲法ではなく憲法学通説~」という内容だったが、冒頭では「橋下徹氏のウクライナ降伏論」について語らせていただいた。
私は、評論家としての彼の活動には関心がなく、橋下徹氏のツィッターをフォローしてもいない。ただウクライナ情勢をめぐる「降伏」論については、大きな話題になったので、ニュース媒体を通じて見た。そして、不愉快になり、拙文を書いた。一カ月ほど前のことだ。
これが橋下氏の逆鱗に触れ、その後、かなり頻繁に私についてツィッターで言及しているようである。
ウクライナ侵攻巡り橋下徹氏が国際政治学者の篠田英朗氏を侮辱しているとネット批判 niftyニュース
橋下氏自身をフォローしていない私でも繰り返し気づくくらいに、様々な方々にリツィートされている。私が見る限りだが、多くの方々が橋下氏に否定的なコメントを寄せているようだ。そのため私自身が追加することもないように思っていた。だが、あまり他人任せにしているのも申し訳ないような気もしてきたので、そのうちにもう一つ書いてみようとは思う。
とりあえずまずここでは、公益社団法人國民會館でお話させていただいたことを文字にしておこうかと思う(ウェブ用講演録の作成公開は、しばらく先になるかと思うので)。
橋下徹氏の経歴をウェブ媒体で確認すると、私と一つしか年齢が違わず、同じ早稲田大学の政経学部で二年ほど重なっていたようだ(学科は違うが)。橋下氏は、そこから司法試験の勉強を始め、弁護士になられた。司法試験対策で伊藤真氏の授業を受けており、「橋下徹の憲法観の基礎は護憲派の伊藤真の授業にある」と言うほど、かなりの影響を受けたようである。
橋下氏の世界観において、伊藤真氏への憧憬が、対比をなす大学教員一般への蔑視と結びついているところは、非常に興味深い。
私は、父親が弁護士であったため、親戚に「お父さんの事務所を継がないのか」とよく言われていた。強い関心はなく、大学でも政治を学んだのだが、それでも社会勉強と思い、一年ほど司法試験対策用の大学のセミナーに出席してみたことがある。自分の職業にするような魅力を感じることができなかったため、結局やめた。つまり橋下氏とは異なり、伊藤真氏の伊藤塾に通うほどのことはしなかったのだが、それでも伊藤真氏がどういう人物であるかは知っている。端的に言えば、バリバリの「護憲派」である。私が通常「憲法学通説」と呼んでいるものを、どの憲法学者よりもより強く体現しているような方である。
ここで私が「憲法学通説」と呼ぶものは何か。
司法試験受験者のみならず公務員試験受験者にとっては神のような存在である(より正確には、試験に合格するためには神のようにみなさないといけない存在である)元東京大法学部第一憲法学講座担当教授・芦部信喜を、代表例として見てみよう。たとえば、芦部は、自衛権の行使も、自衛隊の存在も、違憲だと断定している。
これに対して、私は、芦部「憲法学通説」を、根拠薄弱のイデオロギー的な偏見に満ちた間違った憲法解釈である、と主張している(拙著『ほんとうの憲法』『憲法学の病』『はじめての憲法』などを参照いただきたい)。芦部ら「憲法学通説」の国際法の誤解と蔑視は、憲法前文が謳う国際協調主義および憲法98条の条約遵守義務から逸脱していると考えている。イデオロギー的な曇り眼鏡を取り払えば、文言において、そして制定趣旨において、本当の日本国憲法は、国際法との調和を目指したものであることは明らかである。それにもかかわらず、「憲法学通説」論者は、イデオロギー的な動機から、本当の憲法を見ないようにする政治運動を繰り広げている。
私と、橋下氏は、かなり根本的な世界観のところで、真逆なのだと言える。
「(憲法解釈は憲法学者の多数決で決定すべきだ、という主張を前提にした)「憲法は国際法に優越する」というドクトリンを振りかざす「憲法学通説」論者は、憲法9条のように、不戦条約や国連憲章の引用と言ってもいい文言から成立している条文についてすら、徹底的に国際法の介入を拒絶する。日本を迷走させてきた大問題の態度である。
憲法前文に、「平和を愛する諸国民の公正(justice)と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という言葉がある。これについて、芦部は、「冷戦中の二極対立構図から距離をおき、中立外交を目指すことを憲法が命じているものだ」、などという政治漫談的な解説を加えている。日本の主権回復を果たしたサンフランシスコ講和条約の際の議論に照らして言えば、現実の「片面講和」は違憲で、ソ連も含めた「全面講和」だけが合憲だ、というイデオロギー運動の話である。
実際には、「平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)」は、第二次世界大戦中の「大西洋憲章」及び「国連憲章」第4条を見れば、「United Nations(連合国/国連加盟国)」のことを指していることは当然なのである。そのため、現実の日本は、憲法前文の文言にのっとり、連合国/国連加盟国の筆頭国であるアメリカ合衆国との間に国連憲章第51条の集団的自衛権を根拠にした安全保障条約を結んで「生存と安全を保持する」仕組みをとった。
ところが、芦部ら憲法学通説は、この素直な憲法典の読解、憲法制定の趣旨の理解、および日本の現行法制度の仕組みを、「憲法は、冷戦中の二極対立構図から距離をおき、中立外交を目指すことを憲法が命じている」などという空想だけで否定しようとする。せいぜい、われわれ憲法学者の多数(及び伊藤塾の塾長と受講生)は、そのように信じているのだから、それが絶対だ!といったことを、言うだけである。全国の大学法学部に張り巡らされた明治期からの人事制度と、司法試験・公務員試験の仕組みを背景にして、そう言うだけである。
私と、橋下氏は、かなり根本的な世界観のところで、真逆なのであろう。
もし日本人が、憲法によって、非武装・中立を絶対義務として命じられている国民なのであれば、日本人がウクライナ人に対してもそれを説教してしまうのも、ありがちなことである。
プーチン大統領は、ウクライナに対して「非武装・中立化」を強要しようとしている。その根拠は、プーチンの個人的な歪なイデオロギー的信念である。日本の「憲法学通説」論者たちも、日本人に「非武装・中立化」を強要しようとしてきた。その根拠は、「憲法学者の間の多数説=憲法学通説」によってのみ決定される憲法解釈に依拠した「国際法に対する憲法の優越」説なるものだが、実はやはりイデオロギー的な自作自演の理由でしかない。
橋下氏は、憲法改正論者とされるが、基本的な憲法理解・世界観は、伊藤真氏のそれなのであろう。そうだとすれば、橋下氏の現実離れしたウクライナ降伏論も、橋下氏なりの世界観にもとづくものであることがわかってくる。
若い時分に憲法学の教科書に書かれている嘘の国際法の説明を本物だと誤認してしまい、ついつい憲法学通説の曇り眼鏡を通して国際情勢を語る癖をつけてしまうと、橋下徹氏のようにしかウクライナ情勢を見ることもできなくなってしまう。
しかしウクライナ人は、芦部信喜や伊藤真氏を信奉していないし、そもそも知りもしない。私に言わせれば、日本国憲法を、芦部・伊藤説で解釈すること自体が、根拠薄弱なイデオロギー的偏見でしかない。実は、日本人にとっても、迷惑な話でしかない。
私は、憲法学通説をこれ以上信奉し続けると、日本は取り返しのつかないガラパゴス国家になってしまう、と言い続けている。同じように、橋下氏のウクライナ論は、日本をガラパゴス国家化する道である。