ロシアが国際法に違反してウクライナに侵略してから、2か月半が経過しました。この戦争で最も懸念されていることの1つが、ロシアの核兵器の使用です。万が一、ロシアが核兵器を使用したら、甚大な人的物的損害をもたらすだけでなく、戦争の帰趨を大きく左右することになるでしょう。
ロシアの核の行使は、それがウクライナ国土に対してであれ、あるいは海上における示威的な使用であれ、ウクライナと西側をより結束させて、対ロ政策をさらに強硬にするであろう一方、ロシアの次の核攻撃のターゲットになることを恐れて、対ロ宥和政策に転換する西欧諸国がでてくる可能性もあります。アメリカは、ロシアの核使用の仕方次第では、事態が制御不能になることを恐れて、報復攻撃をためらうかもしれません。そうなると、核兵器の使用はロシアに大きく利する恐れもあります。
核使用を巡るロシアの姿勢
開戦からしばらくの間、プーチン大統領は核兵器の威嚇を行ってきましたが、ロシア政府はウクライナ戦争における核兵器の使用を公式に否定しています。ロシア外務省のアレクセイ・ザイツェフ情報局次長は5月6日の記者会見で、ウクライナでの特別軍事作戦でロシアが核兵器を使用することはないと述べました。ウクライナでの作戦は、核兵器使用の適用外と明言したということです。かれは「ロシアは『核戦争に勝者はおらず、核戦争を起こしてはならない』との基本姿勢を堅持している」と述べ、ウクライナ侵攻でロシアが核を使う可能性があるとの欧米側の指摘を「意識的な偽り」と批判しています。
その一方で、ロシアの軍事ドクトリンは、伝えられるところによれば、自国や同盟国に核兵器や大量破壊兵器の攻撃があった場合や、通常兵器による侵略で国家の存立が脅かされる場合には、核兵器を使用できるとされています。
これは、今後の戦況の変化において、ロシアの国家存立は脅かされていると戦争指導者が判断したならば、それを防ぐために核兵器に頼る余地を残していると判断できます。ロシア・ウクライナの軍事衝突は、核戦争へとエスカレートする危険性を孕んでいるのです。
われわれは、ロシア・ウクライナ戦争で核兵器が使用される可能性をどのように考えればよいのでしょうか。この問題については、専門家の間で意見が割れています。ここでは、それらの主な分析を取り上げて比較検討してみたいと思います。
核使用リスクが高い論
リアリストのスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)は、その見込みは低いであろうが、ロシアの核兵器の威嚇を西側は真剣に受け止めるべきだと、『フォーリン・ポリシー』誌のブログ記事で以下のように発言しています。
国家は…戦争目的を達成できていないから…エスカレートする。さらに、ウクライナでの米軍不在はロシアの指導者をエスカレーションにより引き付けかねない…ロシアの警告をブラフと退けず、ワシントンは深刻に受け止めるべきだ…ロシアに決定的敗北を科す試みは、合理的指導者が少数の核兵器で示威攻撃を考えることを促しかねない状況を作る…かれ(プーチン)は大規模な核攻撃は自殺になるので命じないだろうが、核を持たない敵への示威攻撃は別だ…ロシアの決定的な敗北をどんなに見たくても、核武装した敵を支障なく圧迫する範囲には限界がある…ウクライナの戦争は悲劇である…もしロシアが傾く運勢からの救いをエスカレーションの梯子を上ることに求めようと試みたら、それは、さらなるより深刻な悲劇になるであろう。
戦争のエスカレーションに関するリチャード・スモーク氏の古典的な研究『戦争―エスカレーションの統制―』(ハーバード大学出版局、1978年)によれば、交戦国は勝利を目指して戦争目的をエスカレートするケースと、敗北を避けるために攻撃をエスカレートする場合があります。
前者の典型的な事例は、朝鮮戦争の時に、アメリカが北朝鮮の侵略から韓国を守る目標から、仁川上陸作戦により戦況を逆転させたことを受けて、その目的をアメリカ主導の朝鮮半島の統一に拡大したことです。このエスカレーションは、中国の安全保障を脅かしてしまい、「中国人民義勇軍」の介入を招いた結果、戦争は泥沼化してしまいました。
後者の事例は、第一次世界大戦におけるドイツの無差別潜水艦戦やアメリカのヴェトナム戦争での段階的エスカレーション戦術による北爆などです。ウォルト氏は、アメリカなどの強力な軍事支援を受けたウクライナ軍がロシア軍を追い込めば、プーチンらの意思決定者が、敗北を避けようとして、戦術核(非戦略核)を使用するリスクは高くなるとみています。
ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)も、同様の結論に達しています。かれはアメリカのテレビ番組でのインタビューにおいて、バイデン政権が戦争目的をウクライナへの支援から、ロシアの弱体化へと拡大したことは愚策だと痛烈に批判しています。これはロシアの生き残りを脅かし、プーチンがウクライナに戦術核を使用する可能性を高めることになると考えられるからです。
アメリカのロイド・オースティン国防長官は、ポーランドでの記者会見において、「ウクライナへの侵略で行ってきた類のことが出来なくなる程に弱められたロシア」を見たいと記者に語りました。
ビクトリア・ヌーランド米国務次官も「私たちの目的は、この戦争がウラジーミル・プーチンにとっての戦略的な敗北で終わることを達成することだ。私たちは、この軍事的冒険が彼と彼の体制にとって極度に高くつくものにしたい」と強調しています。
イギリスのリズ・トラス外相も「ロシアをウクライナ全土から押し出さなくてはならい」と強気の発言をしています。
戦争の直接の当事国であるウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、戦争目的を拡大して、ロシアが2014年に併合した南部クリミアの奪還を目指す方針を5月3日に明らかにしました。
このようにウクライナが強気の姿勢に転じるのには、米欧の莫大な軍事支援を受けていることがあります。
アメリカは、第二次世界大戦後、初めて「武器貸与法(レンド・リース法)」をウクライナに適用しました。これはアメリカがロシア・ウクライナ戦争へ、実質的に介入することに他なりません。これについてアダム・トゥーズ氏(コロンビア大学)は「ワシントンで検討される金額は膨大だ。ウクライナのGDPの3分の1に相当する。議会で承認されれば、我々は全面戦争に出資することに他ならない意味になるだろう。レンド・リース法は戦時介入である」と指摘しています。
ロシアのショイグ国防相は5月4日、NATOからウクライナに武器が渡る際の輸送手段は「すべて破壊する対象になる」と警告を発して、西側のエスカレーションに神経をとがらせています。アメリカのきわめて強力な支援を受けたウクライナは、ロシアが動員をかけてドンバス地方などに展開する部隊を大幅に増強しない限り、ロシア軍を敗北へと追い込むことになるかもしれません。
このシナリオが実現すると、ミアシャイマー氏の見立てが正しければ、ロシアは核兵器を使用するインセンティヴを高める恐れがあります。
核使用リスクが低い論
他方、ロシアが核兵器を使用するリスクはないと判断する専門家もいます。第1に、プーチンらの核威嚇はブラフに過ぎないとして、その使用の可能性を否定するものです。
その代表的な論者が、アメリカの元ロシア大使のマイケル・マクフォール氏(スタンフォード大学)です。かれは「(プーチンの)エスカレーションの威嚇はチープトークだ」から無視すべきであり、「プーチンは、はったりで騙そうとしている」と断言しています。
第2に、プーチンは核使用に踏み切る「レッド・ライン」を明確に引いており、NTAOがその線を越えなければ、ロシアは核兵器を使用しないとの楽観的な見方があります。
戦略家のローレンス・フリードマン氏(キングス・カレッジ)は、「我々は、屈服か愚かな核戦争かの選択をプーチンに与える不必要な危機というものを自分自身に言い聞かせていると思う。かれは非常に明確なレッド・ラインを持っている。すなわち、NATOが直接介入しないことであり、これは遵守されている」と判断しています。
「核の悪夢」を防ぐ、傾聴すべき戦略
このようにロシアの核使用へのエスカレーションについては、専門家の間でハッキリと見解が分かれています。それでは、われわれはロシア・ウクライナ戦争における「核の悪夢」をどのように考えればよいのでしょうか。
国際社会に存在する「核のタブー」や「核戦争への制御不能なエスカレーション」のリスクが、核兵器の行使へのハードルを高くしているために、ロシアがそう簡単に核使用に踏み切るとは思えません。しかしながら、万が一、ロシアが戦術核をウクライナで使用したら、それがもたらすコストは甚大なものになります。ウクライナで最悪の核戦争が行われる可能性がある限り、ロシアの核兵器の威嚇を甘く見るのは慎むべきではないでしょうか。
我が国では、アメリカが高いコストとリスクを科すと公約すれば、ロシアの核使用は抑止されるという、古典的な「合理的抑止理論」に基づく主張が「専門家」から聞かれます。しかしながら、これらの条件が満たされたとしても、核武装国が、核兵器の行使から見込める利益は現状維持のコストを上回ると期待すれば、抑止は破綻しかねません。ロシアの核使用のインセンティヴを上げないこととウクライナの独立を守ることを両立させる戦略が、アメリカやNATO諸国、ウクライナに求められるのです。
その1つのアプローチとして、傾聴に値すると思われるのが、戦略理論家のエドワード・ルトワック氏の次の主張です。すなわち、「核兵器が発明されてなければ、ロシアをウクライナから排除してプーチンを失脚させる二重目標の追求は望ましい。破滅的戦争からの唯一の出口はドネツクとルガンスクの帰属を決める住民投票だ。これならウクライナは独立を保てるし、ロシアの勝利にも敗北にもならない」という中庸を求める戦略です。
日本も当事者として真剣に議論すべき
ロシアの不法で非人道的で残虐な侵略に、ウクライナは勇敢に立ち向かっています。こうしたウクライナ人の意思や行動をわれわれが尊重するのは言うまでもないことです。
不偏不党の報道を信条とするガーディアン紙は「ウクライナは戦争目的を決めるあらゆる権利がある」といいます。その一方で、「NATOもそうだ。その1つの目的は潜在的な核対立の可能性を高めないことだ。西欧の指導者は挑発的な要求やエスカレーションの要求を即座に拒否すべきだ」とバランスの取れた見方を示しています。
伝えられるところによれば、NATO加盟国のドイツ国内では「ロシアが危険であり、西側諸国のウクライナ支援やロシア制裁の拡大でロシアが自暴自棄になり、核戦争を引き起こされる危険性はどれくらいあるのか、ロシアが核使用に至らないウクラナ支援の限界点はどこにあるのか」という議論が、討論番組を含め熱く行われているそうです。これはドイツの「近所で起きている超大事件」としての怖さを反映するものだということです。
ドイツと同様に我が国もウクライナを支援して、ロシアと対決する道を選びました。日本はロシア・ウクライナ戦争の「当事者」なのです。われわれは当事者として、核戦争に至らないようにしながら、ウクライナの独立をロシアの理不尽な侵略から守る方策をもっと真剣に考えるべきでしょう。そして、その実現に必要な進言があるのならば、日本政府は同盟国であるアメリカに申し出てよいのではないでしょうか。
編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。