「家庭を持てば人生寂しくない」は幻想である

「孤独な人生は寂しいから子供がほしい」「子供を持つことで、生きがいを得たい」という声をよく見る。筆者の知人にも「一生独身は寂しい。配偶者は要らないが子供はほしい」という人がいる。反発覚悟で言えば、そうした発言をする人は、たとえ家庭を持っても、寂しさは癒やされず、生きがいは得られないと思っている。

もちろん、人はの価値観や感じ方は十人十色であるため、「100%全員そうなる」とは断言できない。だが、そうなる可能性は高いと言い切るだけの論拠があり、本稿でそれを示したい。

「寂しさを癒やすためだけに子どもを持つ」という選択は、人生における賢明な結果になるとは限らないのだ。

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家庭は寂しさや生きがいに無関係

人間が寂しさを覚えるのは、どういう時だろうか?それは近くに人っ気がある/ないという物理的な要素と言うより、心理的なものから来るものだ。筆者は「自分は誰にも求められていない」と感じた時に覚える感覚こそが「寂しさ」の正体だと思っている。

仮にあなたは父親で、家に子供が何人もいる家庭を持っていたとする。家には妻がおり、子供は慌ただしく走り回っている。一見すれば、寂しさなど感じる要素はないように思える。

だがその実、家に居場所がないと感じる父親は世の中にかなり多い。なぜか?それは自分を心理的に頼ってくれる対象が存在しないためだ。子供は母親にベッタリで自分には寄り付きもしないという家庭であるなら、この状況はかえって人間がいるからこそ寂しさは強まるはずだ。また、このような状況下で命をかけて家庭を守るという気概を持つのは難しい。

家庭がなくても寂しくない人たち

筆者の個人的肌感覚で言えば、子供がいなくてもまったく寂しそうにしない人間はたくさんおり、それはある程度のパターンに分類することができる。それは友人や親族か、仕事を通じた交流が盛んである場合だ。

たとえば社交的な女性は、独身でも寂しそうな気配がまったくない人はかなり見る。本当の心情は本人でなければ預かり知ることは不可能ではあるが、しょっちゅう友人たちとお茶したりショッピングにいって交流をする女性はよくしゃべり、よく笑い、子供の有無は問題ないように感じられる。

また、精力的に仕事をする男性は、ビジネス上の交流で満足しているように見える。自分の仕事でお客さんから満足の声が届き、取引先と酒を飲み交わす様子を見ていると、むしろ子供がいない自由を謳歌しているように思える。

人生の充実度に子どもは関係ない

結論的には、子供の有無は寂しさや生きがいには関係ないというのが、筆者の至った見解である。

元々、自分の人生を充実化させることができなかったり、人心交流ができないことを不満に思う人達はたとえ子供がいたとしても、子供のために頑張ろうとか、子供からの愛情を得続けるための活動に励むことはできない。この仮説が正しければ、自分の人生の充実度は、自分一人の力に依存するということに帰結することになる。

時々聞く話で「子供の教育のために必死に頑張っている」という教育ママ(パパ)がいる。話を聞いてみると自分自身の人生において、非常に高い向上心があり、その気質はタフでパワフルである。つまり、子どもを持って生きがいを得た、という人は元々が自分一人でも充実した人生を送ることができる気質の持ち主の素質が、子どもによってさらに開放されたに過ぎないといえるだろう。

「子育ては忙しく、寂しさを感じるヒマがなくなる」という意見はどうだろうか?確かにこれはあたっている。だが、寂しさという感情にフタをすることは単に問題を先送りにしているに過ぎない。愛がなければ、ふとした時間の隙間に寂しさを感じてしまうからだ。

少子化が進む現代、今後は子どもを持つ人が珍しくなくなる。そうなれば、自分がマイノリティであるという感覚がないため、家庭を持っていないことにこれまで以上に後ろめたさを感じることはないだろう。結局のところ、寂しさとは自分自身で打ち勝つべき問題なのである。

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。