社説も物言わぬ日本のメディア
連休明けから、株価が急落し、9日は680円安、10日も470円安で始まりました。輸入物価の上昇を招いている円安は1ドル=130円が続き、4月の消費者物価は1.9%という7年ぶりの大幅な上昇です。
日銀の黒田総裁も、円安容認の発言をやっと「急速な円安はマイナス」と修正するようになりました。ではゼロ金利政策から転換するのかといえば、そうではなく、大規模金融緩和を継続する方針です。金利を引き上げたくても、身動きがとれない泥沼状態を自ら招いてしまっているのだ思います。
米国のFRB(中央銀行)は4日に金利を0.5%の利上げに踏み切り、パウエル議長は「インフレ抑制」を明確にしています。日本でも「円安が続くと国民の暮らしが苦しくなる」、「日本の労働力の安売り」、「一人当たり国民所得(ドル換算)は円安で韓国にも抜かれる」との声が上がっています。
それに対して、日銀は利上げに動こうとしていません。黒田総裁は本音では、何を考えているのか分かりません。こういう時こそ、本音を明かさない、明かせない総裁を誰かが解明してほしいと思うのです。
新聞の社説で日経は「資源高・円安には腰を据えた政策運営を求めたい」(4月29日)といいつつ、「経済に逆風が吹く中で、金融緩和を修正しにくい状況だ」と、日銀の擁護に回っています。一方で「円安や資源高には焦点を絞った効果的な支援を求めたい」と。効果的な支援策などあるのだろうか。
朝日は「円安の影響を見極め、細心に」(4月30日)と言いつつ、「経済の回復を続けるために金融緩和を続けるのは、現時点では妥当な判断だろう」と、緩和維持論に軸足を置く。一方で「円安が加速し負の影響が広がった場合に備え、日銀も選択肢を検討しておくべきだ」と。選択肢とは何なのか。
読売は「米国の大幅利上げ/世界経済のリスク点検は怠れぬ」(5月6日)と言い、「インフレ抑制のために金融引き締めを急ぐのは理解できる」と主張したかと思えば、「急激な引き締めは景気悪化を招きかねないジレンマを抱えると。ではどうすればいいのか。
政府、日銀がどうすべきなのか、メディアははっきりいわない。ウクライナを侵略したロシアに対しては、「追悼と和解の日に泥を塗ったプーチン演説(対独戦勝記念日)」などと主張は明瞭です。新聞を含む日本のメディアは、政権、政策当局が絡む問題になると、途端に腰が引けてしまう。
他国に対してものをいうことより、自国の政権、政策当局に対してはっきりした主張を展開することのほうがずっと重要なのです。それをしないから新聞が期待外れの存在となり、新聞離れの一因となっている。
安倍元首相が「日銀は政府の子会社だ。日銀が保有する国債の満期がきたら、返さないで借り換えて構わない」(9日)という乱暴な主張を語りました。直ちに強い批判をすべきなのに反応は鈍い。
これは、大企業の資金繰りが苦しくなり、売れ残っている製品、資産を子会社に売り飛ばすのと似ています。親会社の決算の見てくれはよくなっても、グループ全体を統合してみると、経営は改善していない。粉飾決算まがいの行為です。
「政府、日銀統合政府」論は安倍氏が依拠する理論で、事実上の日銀引き受けにより国債発行に歯止めがかからなくなった。統合政府論を自分の都合のいいように使っているのです。
安倍氏の発言は失言ではなく、本音でしょう。そうした考え方で異次元金融緩和と巨大な財政膨張策が始まり、10年近くなる。黒田総裁も任期が5年のところを異例の再任となり、日本の財政、金融は泥沼から足を抜けなくなってしまった。
長期にわたるゼロ金利政策で産業、企業の足腰が弱り、市場メカニズムも働かなくなってしまったのです。異次元金融緩和と一体になった財政膨張策という「背伸びした竹馬」に乗っているうちに、竹馬の足を切ると、ひっくり返る。それが実態でしょう。
今、必要なのは「竹馬の足」の足を切り、自らの足で歩かせる。相当な犠牲、リスクがあっても、そう決断する時が来ているのでしょう。経済紙の日経は「腰を据えた対応を」というのなら、こうした指摘をすべきなのです。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。