「銀行員の大量離職」は中国でも問題になっていた

「銀行が人気だったのもひと昔前の話、若者世代を中心に銀行を辞める人が急増中ー」

・・・これは日本国内のニュースではありません。

世界最大の巨大銀行・中国工商銀行(ICBC)を抱えるお隣の大国・中国でも、「こんな閉鎖的な職場、もう我慢できない!」と、銀行を退職してしまう若者が急増しているというのです。

一般的には、「銀行の組織文化が権威主義的で旧態依然としているのは、昔からある大企業だからで、古い日本文化の弊害だ」と思われがちです。

ところが、近年になって資本主義的な体制を整えて台頭してきたばかりの中国でも同じ問題が生じているのを見ると、問題の本質は「日本文化うんぬん」というより、商業銀行が共通して陥りやすい“構造上の問題”が存在する可能性があります。

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『半沢直樹』で描かれた“銀行の閉鎖性”は日中共通だった

東方新報の記事『銀行を去る若者たち急増 もはや憧れの職業でなくなったバンカー』では、一流大学を卒業した若い新入行員たちが、銀行業務の張り合いのなさや閉鎖的な慣習に疑問を持ち、次々と組織を去っていく様子を取り上げています。

ある若い女性行員は、銀行の実態について以下のように語ったそうです。

銀行はまるで城壁に閉ざされた城下町のような職場で、城門外の人は入りたがるが、城門内の人間は外に出たがる。

(引用元:『銀行を去る若者たち急増 もはや憧れの職業でなくなったバンカー』)

親や親戚を安心させることはできるけれど、働く本人はまったくやりがいを感じられない、という事情は日中共通のようです。(退職後に「なんでせっかく良いところに入れたのに辞めたの?」と、周囲から不思議に思われるのもよく似ています。)

また、若手銀行員が冷遇されている様子については以下のように書かれています。

いくつかの中国メディアが銀行員をやめようとしている若者、あるいは銀行員をやめた若者を個別に取材していた。くだんのコラム筆者は、銀行系ETCカードの販売ノルマをこなすために連続4週末の休日を返上してガソリンスタンド前に立たされたことや、一日中、コップ一杯の水も飲む暇もないカウンター業務の厳しさや、銀行周囲の植え込みの剪定作業まで命じられる雑務の多さに対する不満をぶちまけていた。

(引用元:『銀行を去る若者たち急増 もはや憧れの職業でなくなったバンカー』)

入行前には金融業務の第一線で華々しく活躍することを夢見ながら、実際に支店に配属されてみると、雑用ばかりを押し付けられる現実に失望している・・・。

そんな現状が記事の中で伝えられています。

中国の若手行員たちの苦境についての記事を読む中で、日本の銀行に勤務していた筆者自身も、「新入行員に課せされた必須業務」として、支店の忘年会で出し物を披露する役割をおおせつかった記憶がよみがえってきました。

上の年次の先輩たちから、

お前たち新入行員の人事評価は、出し物の出来しだいだからな。上席の方々をどれだけ喜ばせられるかで決まるからな。

お前たちの芸がウケるかどうかで、監督役の俺たちも“きちんと新人を教育したか評価が左右されるから、俺たちのキャリアに泥を塗らないようにちゃんと準備しろよ。

と、冗談のような内容を大真面目に言い渡され、ピリピリとした雰囲気の中で同じ支店の同期たちと一緒にコントの練習をしたものです。

今でこそ笑い話として思い出せますが、当時は「くだらねぇ、こんな仕事するために就活がんばったわけじゃないのにな・・・」と、心の中で毒づいていたものです。

中国の銀行事情に話を戻すと、先ほどあげた東方新報の記事の中では、雑務ばかりの日々にうんざりする以外にも、昇格をかけた試験のプレッシャーや、飲酒の強要、暴力行為といったパワハラにも苦しめられていることについても触れられています。

具体的には、以下のように書かれています。

ほかにも、金融商品販売のノルマ達成のために、接待で吐くほど酒を飲まされることや、家電や酒、月餅などをもって顧客参りをする苦労、毎月のようにある昇進試験などのプレッシャーに耐えきれないと訴える新入銀行員もいた。

(引用元:『銀行を去る若者たち急増 もはや憧れの職業でなくなったバンカー』)

かつて話題をさらった『半沢直樹』の中でも、「飲酒の強要」という形とは少し違いますが、上司がやらかした失敗を部下や若手行員に押し付けて責任回避する、という理不尽が行われるシーンが何度も出てきました。

上にあげたような「責任の押し付け」がまかり通る状況というのは、ただ単に「粗暴な上司がいる」だけでは発生しません。

実際は、「誰も上司側と部下側の言い分を公平に聞かず、上の立場の者の意見だけが尊重される」という、フェアな精神に欠けた“権威主義的な組織”だからこそ、このような理不尽が起こるのです。

ここまであげてきたような「銀行のおかしな部分」について、日本と中国という国民性・宗教観・政治体制・経済発展の時期などが異なる両国で共通していることを見ると、どうも「銀行がおかしいのは日本文化のせい」というわけではなさそうです。

“ダメな金融商品を売らされる”からブラック化する?

筆者としては、銀行が「世間の求めない金融商品を“押し売り”しなければならない立場」だからこそ、モラルの荒廃や、一見意味のない慣習によって組織をまとめようとする状況が生まれるのではないか?という仮説を持っています。

というのも、筆者は銀行員時代に営業店(法人営業を担当する支店)だけでなく本部勤務も経験したことがあるのですが、営業店では日常的に見られたパワハラのような振る舞いも、本部勤務時代にはほとんど目にすることがありませんでした。

また、上司や先輩もフランクで、営業店時代には当たり前だった「違う意見を言っただけでつまはじき者になる」というような雰囲気は全くありませんでした。

同じ銀行の中でも本部と営業店で文化が異なる理由について、筆者は「営業店が“汚れ役”を担う組織だから」だと考えています。

銀行の営業店は、「顧客が損する可能性が50%近くある」と言われる投資信託をはじめ、顧客にとってメリットの薄い金融商品をゴリ押ししなければならない“ヒール役”です。

そもそもが“汚れ仕事の実行役”という立場であるがゆえに、「モラルある行動」など度外視されるようになってくるのではないでしょうか?

少し話はそれますが、筆者は銀行退職後に経営コンサルタントとして活動するようになり、ある時、「明らかに顧客の損になるような酷いサービス」を扱う営業会社と出会いました。

結局、その会社には深入りせずに関係を切ったのですが、会社の事務所を見学した際、意外にも「銀行の、営業店の雰囲気にそっくりだ!」と感じました。

銀行と違って歴史ある大企業でもなければ高学歴出身者が集まるわけでもない、よくある零細企業だったのですが、若い社員を“脅し”のような形で従わせて営業に向かわせる様子を見て、「顧客に喜ばれないものを売る商売だと、必然的に“行儀の悪い”組織になってしまうのかな…?」という感想を抱きました。

銀行組織の特徴である「モラルの低さ」以外にも、「権威主義」の特徴が濃い組織として、極端な例ではありますが「暴力団」をあげることができると思います。

暴力団は銀行どころではない、正真正銘の“悪の組織”ですが、例えば「目上の者には徹底服従」、そして「形式的な慣習やルールを重んじる」という点では銀行と共通点があります。(いま思えば『半沢直樹』は、ヤクザ映画の雰囲気にも似ていたように感じます。)

やはり「後ろめたい仕事」を実行する集団である以上、組織内の一人ひとりに“自分の頭で考える余地”を持たせることは好ましくないのでしょう。

そして、存在意義のない形式的なルールであっても、それを徹底的に守らせることで「嫌な仕事でも疑問を持たずにやり切る」というマインドを持たせることに価値が置かれているのではないでしょうか?

以上のように考えれば、文化背景の異なる日中両国の商業銀行の間に、意外なほど共通点が多いことも納得できます。

「ニーズの薄い金融商品をゴリ押ししてでも収益をあげなければならない」という、両国の金融機関に共通する背景こそが、「銀行員の大量離職」の根本原因だということです。

「若手が次々に辞めてしまう」という問題について、組織としてパワハラ防止を徹底することも一つの対症療法ではありますが、より根本的には“顧客に喜んでもらえる商品・サービス”を開発し、提供できる組織になることが急務といえるでしょう。