「生きる」にも「死ぬ」にも大変な時代

「風が吹けば桶屋が儲かる」というわけではない。ロシアのプーチン大統領がロシア軍をウクライナに侵攻させて以来、エネルギーや食糧の価格は急騰し、物価が高騰してきた。厳密に言えば、エネルギー価格はその前から高騰していたが、ウクライナ戦争でそのテンポが速まった。

埋葬件数では世界1を誇るウィーン中央墓地に埋葬されている楽聖べートーヴェンの墓(2017年10月撮影)

エネルギーや食糧の価格は急騰した欧州

家人が買い物から帰ってくると、「全てが高くなったわ」とため息を漏らすことが多くなった。例えば、パプリカだ。数カ月前は3個入りの袋が1.9ユーロ前後だったが、ついに3ユーロを突破したという。日本のライスに近いということでイタリア・ライスをよく買うが、安くて結構美味しいことから多くの人が買うため、直ぐに売り切れる。

ドイツ人らの主食ジャガイモも高くなったが、まだバカ高くない。2キロで買うより、5キロ入り袋のお徳用ジャガイモを買うほうが得だ。ただし、5キロ入りジャガイモを買うと、その後、数日間はジャガイモ料理が食卓を飾る。腐らないうちにジャガイモを料理しなければならないからだ。

スパゲッティや小麦粉も高くなった。料理やケーキ作りに欠かせられないバターは特別サービスの日にまとめて買う人が多い。消費者が知恵を使って如何に安く、いい食材を買うかで奮闘しているのだ。

ちなみに、オーストリアの4月のインフレ率は7.2%だ。ガソリン代、ガス代は2ケタ台のインフレだ。肉類は10.7%、パン類は8.2%、ミルク・チーズ6.9%といった具合だ。

今、食べている食材がいかに高くなったかを家人と話している時、オーストリア国営放送の夜のニュース番組の中で、「葬儀代も高くなりました。安価で神聖さを失わない葬儀が求められている」というニュースが流れてきた。

葬儀代も高くなった欧州

当方はいつ死んでも不思議ではない年齢に入ったこともあって、葬儀代について考える機会が増えた。日本でも冠婚葬祭の費用が高いと聞くが、欧州でも葬儀代が結構高いのには驚いた。

米作家ラングストン・ヒューズは、「墓場は、安上がりの宿屋だ」と述べたが、ウィーンでは墓場は高くつく。数年前、知人の銀行マンと話した時、彼は、「残された家族のために今から死んだ時の墓場代を貯金しておけばいいですよ。ウィーン市では平均8000ユーロ(約100万円)はかかりますからね」と教えてくれたことがあった。ウィーン市では、安上がりの墓場を見つけることは難しくなった。

ウィーン市当局は市民の悩みに答え、簡易な葬儀を勧めている。葬儀の費用についての心配が、失った人の悲しみよりも大きくてはいけない。だから、手頃な価格でありながら、ある程度の尊厳のある葬儀が大切となる。欧州でも火葬が増えてきている。埋葬する場所が少なくなったこと、その埋葬を含む葬儀代が高くなったからだ。

そこで考えられている最も安価な火葬の費用は約1350ユーロ(約18万円)だ。これには、火葬場への移送、火葬自体、棺、骨壷、部品、記念写真などのサービスが含まれる。その後、骨壷を家に持ち帰ることができる。これは最も安価なオプションだ。墓地に埋葬するには、少なくとも900ユーロを追加する必要がある。

土葬が基本のキリスト教の欧州社会

ちなみに、キリスト教の欧州社会では基本的には土葬だ。ローマ・カトリック教会の教えでは、基本的には死者は埋葬される。神が土から人間を創ったので、死後は再び土にかえるといった考えがその基本にあるからだ。旧約聖書でも、「火葬は死者に対する重い侮辱」と記述されている。そのうえ、火葬は、「イエスの復活と救済を否定する」という意味に受け取られたからだ。

フランク王国のカール大帝は785年、火葬を異教信仰の罪として罰する通達を出している。ドイツのプロテスタント系地域やスイスの改革派教会圏では1877年以来、火葬は認められ、カトリック教会でも1963年7月から信者の火葬を認めている(「変りゆく欧州の『埋葬文化』」2010年10月29日参考)。

最近はドナウ川に火葬後の遺灰を撒いたり、ウィーンの森に遺灰を撒くといったケースも報告されている。もちろん、その場合、ウィーン当局の許可が必要となる。市民が皆、遺灰をドナウ川に散布すれば、青きドナウ川は直ぐに遺灰だらけとなり、魚は住めなくなり、人は夏泳ぐこともできなくなる。

いずれにしても、簡易な葬儀のコストは1350ユーロ、平均8000ユーロ、豪華な葬儀の場合1万ユーロ以上となる。どの葬儀を選択するかは、生きている人間の最後のチョイスだ。死ぬ前に「1350ユーロの葬儀でお願いします」とレストランで食事を注文するように、葬儀関係者に通知しておけば、残された家人は悩むことなく葬儀を挙行できるわけだ。

新型コロナウイルスの感染拡大で多くの人が亡くなった。そしてウクライナ戦争では兵士だけではなく、民間人も犠牲になっている。感染防止のために亡くなった家人を葬ることが出来ないために悲しむ人々、イタリア北部ロンバルディア州のベルガモ市では、軍隊のトラックが病院から亡くなった人々を運び出すシーンは痛々しかった。

戦地では、埋式する場所がないため袋に入れられ、そのアイデンティティすら不明のまま埋められていく。21世紀に入って、「死」は私たちの日常生活から遠ざかるのではなく、再び身近になってきた。

「生きる」ための衣食住代が高騰してきた。移動し、仕事、活動するためのエネルギー代も高くなった。そして人生の最後のイベント(葬儀代)も高くなった。明らかな点は、「生きる」ことも「死ぬ」ことも容易ではない時代を迎えているということだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。