一死君国に報ずるは素より武人の本懐のみ、豈戦場と銃後とを問はむや。優先奮闘戦場の華と散らんは易し、誰か至誠一貫俗論を排し斃れて已むの難きを知らむ。
~ 山本五十六 『述志』より抜粋 ~
【起】
民主主義の劣化・溶解への懸念が世界を覆っている。
幸いにして日本ではまださほど顕在化していないが、多くの民主主義国家で分極化傾向が如実に表れており、対立構造に歯止めがかからず、機能不全に陥る例が散見される。
つい先日のフランスの国民議会選挙では、マクロン大統領の与党が100議席以上を失って過半数割れの事態となった。今後の政権運営が心配である。いわゆるブレクジットを巡って大混乱に陥ったイギリスはもとより、ドイツや東欧各国にいたるまで、欧州では、不安定化する民主主義が、不気味な崩壊への序曲を奏で始めているようにも見える。
アメリカでは、既にトランプ大統領誕生時から分極傾向が顕在化していたが、最近、更に拍車がかかっているようにも見える。つい先日には、約半世紀ぶりに判例を覆して、人工中絶権の合憲性を認めない連邦裁の判断が物議を醸し、社会を大きく分断した。これまたつい先日、突貫でまとめた銃規制法案は何とか可決されたものの、合意のための骨抜き法案とも言われており、本質的には、未だに賛否は大きく分かれている。秋の中間選挙で民主党が敗れれば(その可能性が高い)、米国の民主主義の流動化にも歯止めがかからないであろう。
【承】
そんな中、相対的に勢いがあるのが権威主義的国家だ。もちろん、いわゆるゼロコロナのためのロックダウンに悩む中国、ウクライナ侵略が思うように進まないロシアなど、彼らは彼らの悩みがあるのも確かだ。
ただ、つい先日、イランがBRICSへの加盟を申請したニュースが世界を駆け巡ったが、対ロシア制裁への参加国数(世界約200か国中40数か国)などから見ても、民主主義国の混乱を横目に自信を深める中国人たちの発言を聞いていても、当然に虚勢もあろうが、多くは、自分たちの方が正しい、と自信を深めているのもまた確かであろう。
そもそも、西欧諸国が歴史的に奉ずるリーダーのチャンピオンは、共和政ローマが生んだ英雄のユリウス・カエサルであるが(イギリスではシーザー、フランスではセザール、ドイツではカイゼル、ロシアではツァーだが、カエサルという名字の各国語読みである)、彼がやったことは、共和政ローマの混乱を、権力の集中という形で突破しようとしたことであり、実際の帝政(元首政)は、彼を継いだオクタヴィアヌスから始まるが、道筋を作ったのは、最後は終身独裁官にも就任して、民主主義者たちから危険視されて殺害されたカエサルと言ってよい。
プーチンに言わせれば、「私は、西欧諸国が生んだ英雄の筆頭とも言うべきカエサルの真似をして、事実上、ツァー(皇帝)になった(なろうとしている)だけだ。ウクライナ侵攻がうまく行かず、しんどい時期ではあるが、相手(欧米)の民主主義の自壊を待とう。」ということかもしれない。もちろん、そんなことを許してはならないわけだが。
【転】
では、なぜ、民主主義は劣化するのか。人に支えられているのが民主主義である以上、民主主義の劣化とは、それを支える人の劣化であることには相異ない。アリストテレスを待つまでもなく、民主主義下においては、国民のレベル以上の政治家を望むことは無理であり、「国民の劣化=民主主義の劣化」であることは自明だ。
人の劣化とは、更に言えば、心を落ち着けてバランスよくしっかりと考える能力の低下に他ならない。裏を返せば、容易に「扇動者」(デマゴーグ)の言説に心が動かされてしまう態度、或いは何に対しても心が動かないような態度のことである。
それらは、思想家として筆者が尊敬する佐伯啓思氏の見解を私なりに解釈すれば、①偏った考えに容易に熱狂してしまう態度(熱狂主義:ファナティシズム)、②現実を直視せず、面倒くさいことを考えずに快楽・楽しいことに突き進む態度(快楽主義:ヘドニズム)、③何事も当事者としてではなく、斜めに眺め、冷笑的になる態度(冷笑主義:シニシズム)、④極端に数字や合理など、いわば目に見えるものだけを信奉して判断する態度(科学主義:サイエンティズム)に大別される。
これら、いずれかの態度にベットする(過度に寄りかかる)のは、ある意味で楽なことであるが、皆がそうなってしまうと、当然に民主主義は劣化する。乱暴に分ければ、パンとサーカスだけを望む民衆か、冷めた態度に終始する民衆化に二分されてしまう。
【結】
7月10日投開票の参議院選挙が迫っている。一部の熱狂主義者を除いて、残念ながら盛り上がりにはかけているように見受けられる。偏った私見かもしれないが、私の知るかぎり、即ち、民主主義を守るために、真剣に政治を考えて一票を投じようという人は、残念ながら、ほぼいないということだ。
私の上司でもあったこともある玉木雄一郎氏(国民民主党)は、少し前に雑談した際にこんなことを述べていた。「朝比奈君、真ん中というのは、是々非々というのは、なかなか大変だよ。ネット社会が広がるにつれ、真ん中というのは、右からも左からも叩かれる。右や左は、反対側から叩かれもするが、仲間がいるので防壁も出来る。真ん中は、仲間がおらず(見えず)、叩かれる一方だ」
マックス・ヴェーバーは、かつて、『職業としての政治』の中で、「政治とは、情熱と判断力の二つを同時に用いて、堅い板に力を込めてだんだんと穴をくり抜いていく作業である」と喝破した。違う意見を様々に調整して合意を得て物事を動かして行くのが政治とも言える。
国民全員に、バランスの取れた、地に足のついたしっかりとした姿勢で物事を判断するように求めるのはどだい無理とは承知しているが、せめて、ある程度の数(出来ればマジョリティ)がそうならないと、民主主義は立ち行かず、極論のぶつかり合いの中で崩壊してしまう。
聞く耳だけで、大人過ぎて、何も動かないのも困るし(岩盤をくり抜く作業をしてくれないのも困るし)、騒いでばかりの子ども過ぎて、合意が得られず何事も動かないのもまた困りものだ。
さて、誰に投票したものであろうか。世界や地域をじっくりと眺めて、断固として一票を投じたいものである。
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参院選そのものについての見解は、本メルマガにもURLを掲載している、JB Pressでの拙稿を是非ご覧ください。
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