安倍晋三氏の勝利は朝日新聞の敗北

池田 信夫

ネット上では統一教会の話が騒がれているが、これは筋違いである。自民党と統一教会に関係があることは周知の事実で、統一教会が犯罪をおかしたことも事実だが、それはテロを正当化する理由にはならない。

安倍氏はなぜこれほど憎まれたのか

それより私が驚いたのは、彼の死に「これ以上の悪行を積む前に死んでほしい」などという言葉に拍手を送るアベガーが少なくなかったことだ。

小出裕章氏の話は「モリカケがけしからん」といった朝日新聞の受け売りである。これは彼のような団塊の世代ではよくあるが、憎しみはその後も再生産されているようだ。それを植えつけたのは、もっぱら朝日を中心とするマスコミである。

2000年代の小泉改革のころは、マスコミは自民党に好意的だった。それが民主党政権の挫折をへて、第2次安倍政権が生まれたころから政権とマスコミの関係が変わった。特に大きく変わったのが朝日新聞である。

朝日の木村伊量社長(政治部出身)は、2012年12月に安倍氏が首相になる直前に会談し、慰安婦問題に決着をつけることを約束した。このとき木村氏は政権との和解で現実路線に転換するつもりだったが、社会部が反発して紛糾した。

結果的には2014年に出た慰安婦問題の特集記事は、逆に開き直る内容になり、それが世間の反発をまねいて社内の派閥抗争に発展した。木村氏は退陣して社会部出身の渡辺雅隆社長になり、これをきっかけに政治部の社会部化が進行した。

どこのマスコミでも記者の半分以上は(地方支局を含めて)社会部だが、彼らは不祥事を暴くのが仕事なので、反権力の傾向が強い。それに対して政治部は政権と癒着しないとネタがとれないので、政局記事は政治部が書き、スキャンダルは社会部が書くという日本独特の分業でバランスをとっている。そのバランスが2010年代に崩れたのだ。

朝日の「倒閣運動」がもたらした不毛な対立

それを決定的にしたのが、2015年の安保法制だった。4月の閣議決定まではそれほど強硬に反対しなかった朝日が、6月の憲法審査会で長谷部恭男氏が「集団的自衛権の行使は違憲だ」という意見を出したあと、連日1面トップで安保法制反対の大キャンペーンを張った。

これに呼応して憲法学者などが「立憲デモクラシーの会」なる意味不明の運動を開始し、団塊の世代がシールズなる団体をつくって街頭デモを繰り広げた。朝日は森友学園や加計学園のような小さな事件を騒ぎ続け、国会では野党が不毛な対立を続けた。

それは一種の倒閣運動だった。朝日は自民党内の左派を離反させようとしたのだが、宏池会の岸田外相は安保法制を支持し、党内から反安倍の動きはまったく出なかった。それは当然である。北朝鮮からミサイルが飛来し、中国の脅威が高まっている時代に、日米同盟の強化に反対する政治家はいない。

この傾向はウクライナ戦争で強まり、野党も一国平和主義は放棄した。冷戦時代には自民党が共産主義の「間接侵略」の防波堤として統一教会などの「反共」勢力を利用したが、今ではそんな勢力は必要ない。安倍氏はかつては自民党右派だったが、今はむしろリベラルに近かった。

参議院選挙の結果をみればわかるように、アベガーの声はネット上では大きいが、社会の中ではきわめてマイナーな存在になった。彼らの力を過大評価して選挙を戦った野党は、もはや絶滅危惧種である。朝日の反安倍キャンペーンは失敗し、安倍氏は勝利したのだ。