ロシアがウクライナに侵攻してから、5か月が過ぎました。今もウクライナでは殺戮と破壊が続いています。この戦争がいかに凄惨なものであるのかは、戦争のデータを一瞥すれば分ります。
イギリスの『エコノミスト』誌の記事によれば、この戦争での致死率は平均をはるかに超えているのです。
1816年以後の戦争での1日平均の戦死者は約50人だった。ロシア・ウクライナ戦争はもっと血生臭い…2月24日以後、ロシア兵は約15000人死亡しており、1日平均では約100人だ…この戦争の致死率は、世界大戦を除く欧州での大規模戦争のそれを超えている。
さらに、この戦争の損害は経済にも及んでいます。ロシアに制裁を科した西側は、その逆流もあり、多くの国が高まるインフレに悩まされています。ハンガリーのオルバーン・ビクトル首相は7月15日、ウクライナ侵攻をめぐる対ロシア制裁で欧州連合(EU)は「自らの肺を撃ち抜き、欧州経済は息も絶え絶えだ」と述べました。この発言はかなり誇張されているので割り引いて解釈すべきですが、制裁の西側への反動が深刻になりつつあるのは事実でしょう。
出口が見えない戦争
さらに悪い知らせは、ロシア・ウクライナ戦争の出口が、全くと言ってよいほど見えないことです。ロシアは人口、兵力、武器、経済力等でウクライナに優っており、また、プーチン大統領をはじめとする指導者は、西側が「ウクライナ支援疲れ」やインフレ、天然ガスなどの資源不足から、時間が経てば音を上げるだろうことに期待して、妥協しそうにありません。
それどころか、むしろプーチンはますます強気の姿勢をみせています。彼は「ロシアを敗北させられるなら試してもらおう」と西側を挑発するような発言をしています。また、ウクライナのゼレンスキー政権を念頭に「停戦交渉を拒否するほど、私たちとの合意は困難になると理解すべきだ」と降伏を勧告するとともに、 「ロシアはまだ本気になっていない」と言い放っています。
他方、ウクライナは西側からの増大する軍事的支援に期待をして、戦争での妥協を頑なに拒んでいるようにみえます。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は「ロシアが奪った領土の維持を認めるような停戦は、さらなる戦闘を促すだけだ」と指摘して、戦闘のいかなる停止も拒否する構えです。
こうしたゼレンスキーの対ロ強硬姿勢は、ウクライナ人の戦争への妥協を拒む態度に支えられています。7月26日に実施された世論調査によれば、ウクライナ人の94% が戦争でウクライナが勝つと信じているそうです。また、41%のウクライナ人が、勝利とは2014年1月時点の国境の回復と全てのウクライナ領からのロシア軍の追放を意味すると回答する一方で、同じく41%のウクライナ人はロシア軍の壊滅とロシア解体に向けた国内混乱の促進を勝利と解釈すると回答しています。ウクライナが、勝利を収められると確信する戦争をやめようとしないのは、当然の帰結といえるでしょう。
こうした戦争の手詰まり状態は、識者を悩ませています。早い段階から戦争の終結を主張し続けていたラジャン・メノン氏(ニューヨーク市立大学・コロンビア大学)は、ややあきらめ気味に、説得力のある出口戦略が見つからないと落胆しているようです。「この戦争は、少なくともどちらかが、戦闘は不毛であるか、おそらく大災厄だと悟るまで続くだろう…その間、大殺戮は続き、西側だけでなくそれ以外の国々の経済的苦痛は増し、西側とロシアの直接衝突のリスクは背景に潜在し続けるのだ」との最近の発言は、戦争のむなしさを我々に訴えています。
首をかしげてしまう言説
ロシア・ウクライナ戦争については、日本のロシア研究者が活発に発言をしています。国際関係の理論研究者である私は、ロシアの事情に詳しい地域研究者から多くを学んでいますが、中には、疑問符をつけざるを得ない意見も散見されます。それらは戦争に関する豊富な国際政治研究の成果をほとんど無視しているか、戦略のロジックに明らかに反するものです。
戦争はとてつもない被害を人々に与える惨事であるがゆえに、それを分析する際には、複数の視点からアプローチすることが好ましいでしょう。そうすることで、我々はより正しい答えに近づくことができます。こうした社会科学の方法論上の要請から、ここでは、私が疑問を持った見解を批判的に検討してみることにします。
あるロシア研究者は、ウクライナ情勢が日本の安全保障に及ぼす影響を以下のように述べています。
ロシアの隣国である日本は、大規模な侵略を受ける可能性は小さいとしてもロシアの脅威と決して無縁ではない。またそれ以上に、軍事力による領土奪取の前例が東アジアおよび世界に与える影響によって、安全保障環境が悪化しうる国である。また、世界平和・世界秩序の維持を中心的に担うべき国の一つでもある。ロシアによる侵略を終わらせることは、日本が欧米と共に負う責務である。
侵略国は「前例」に従うのか
このパラグラフは、普通に読むと、ごく当然のことを言っているようにみえますが、よく考えると、かなりあやしい前提に依拠した議論になっています。ロシアのウクライナ侵略が「前例」となって、アジアの現状打破国が同じような侵略行為に及ぶ恐れがあると読めます。それでは、国家は他国に侵攻するかどうかを決める際に、前例に大きく影響されるものなのでしょうか。有力な国際政治研究は、この問いに対して「ノー」と答えています。
政策立案者が威嚇の信ぴょう性を判断する際に、何に影響されるのかを体系的に深く研究したダリル・プレス氏(ダートマス大学)は、その答えを「過去の行動」ではなく「バランス・オブ・パワー」に見出しています。一般常識で直感的に考えれば、我々は他人の行い(例えば約束を守るか)を判断する際には、その人の過去の行動からしばしば推察します。しかしながら、このことは国家間関係には当てはまらない可能性が高いのです。
彼の画期的な研究『信ぴょう性を計算すること』(コーネル大学出版局、2005年)によれば、ヒトラーはミュンヘン会談でイギリスが示した「宥和政策」から西欧は弱腰であり、さらに領土を拡張しても対抗してこないだろうと考えて、ポーランドに侵攻したのではありません。ヒトラーも将軍たちも、チェコスロバキアやポーランドへの侵攻計画を立案する際に、イギリスやフランスのドイツに対する「警告(威嚇)」の信ぴょう性を議論していないのです。彼らは、イギリスやフランスの出方をバランス・オブ・パワーから推察していたのです。
1938年にナチス・ドイツがチェコスロバキアに侵攻しようとした際、同国の将軍たちは、ドイツは英仏の軍事行動を排除するのに十分な軍事力をまだ持つに至っていないと判断していました。こうした判断のもと、ヒトラーは(不本意ながら)「ミュンヘン協定」により、ズデーデン地方を獲得することで危機を収束させました。
1939年になると、バランス・オブ・パワーは、ドイツの軍事力の拡充やソ連との不可侵条約の締結により、ドイツ優位になりました。ポーランド危機に際して、イギリスとフランスはドイツの侵略を看過しないと威嚇していたのですが、ドイツはそれを軽く見てポーランドに侵攻しました。
ここでのポイントは、ドイツがイギリスやフランスの過去の「宥和」から学習して、侵略をしても両国は見逃すだろうと判断したのではなく、自分が強くなったのだから、両国は手出しできないはずだと計算して、ポーランドに兵力を進めたということです。
このような指導者の敵国の行動に対する判断は、アメリカの意思決定でも観察されます。ワシントンの政策決定者は、ベルリン危機やキューバ危機において、ソ連の出方を判断する際、同国が過去にとった行動の「前例」ではなく、バランス・オブ・パワーに頼っていたのです。
この研究成果が正しいとするならば、現状維持国が挑戦国の要求に屈したとしても、その信ぴょう性は低下しないのです。そして、ここから得られる政策的含意としては、「国家は信ぴょう性(信頼性)確保のための戦争を行うべきではない」(同書、160ページ)ことが挙げられます。なぜならば「危機において敵国に折れても、国家の信ぴょう性や自国のパワーに対する認識は傷つかない」(同書、157ページ)からです。
このロジックをロシア・ウクライナ戦争に適用すれば、アメリカは潜在的な現状打破国の将来の侵略を抑止するためだけの目的で、ロシアのウクライナ侵攻に関与するのは間違いだということです。仮にアメリカがロシアのウクライナ侵略を黙認したとしても、中国やロシアが、それを安易に「前例」とはみなさないということです。
習近平もプーチンも、アメリカはロシアの侵攻に及び腰だったから、アジアで自分たちの勢力拡張行動を黙って見過ごすはずだ、などと単純に計算したりはしないでしょう。そうではなく、かれらは現状打破行動をとった場合、アメリカがどの程度強く出てくるかをパワー・バランスにもとづき判断するに違いありません。
ヨーロッパとアジアの役割分担
こうした国際政治研究の知見が正しいとするならば、アメリカや日本がヨーロッパでの戦争に政治的・軍事的な資源を傾斜的に投入することは、アジアでのバランス・オブ・パワーを中国やロシア有利に傾けます。このことは、これらの現状挑戦国にアジアでの機会主義的な勢力拡張を許すスキを与えかねません。
この点について、エルブリッジ・コルビー氏は次のように警鐘を鳴らしています。「我々全てのために、日本は明確かつ力強くアメリカがアジアに集中するように後押ししなければなりません。アメリカの現在の注意と関心はヨーロッパと今や中東に分散しています。放っておくと、日本は悲惨なことになるでしょう」ということです。
上記のロシア研究者の政策提言は、「自己敗北的予言」すなわち自らが避けようとした災厄を自ら招いてしまう愚行になりかねません。「世界平和や世界秩序のためにロシアを懲らしめる」という言説は、「水戸黄門」のような勧善懲悪のストーリーを好む人々の道徳観念に合致しますので、無批判に受け入れやすいものです。
また、「侵略の前例を許すと、邪悪な指導者は、それを見て別の侵略を企てる」との推論は直観に合致するものです。しかしながら、直観に頼った単純な道徳的思考は、しばしば間違いを犯します。社会科学としての国際政治研究の成果は、それを正してくれる、我々の力強い味方です。ロシア・ウクライナ戦争やそれが我が国の安全保障に及ぼす影響を考える際に、こうした知見を活かさないのは、知的資源を無駄にすることにほかなりません。
なお、アメリカがアジアへのリバランスを実行することは、ロシアの侵略からウクライナやヨーロッパを見捨てることを意味しません。ここで重要なことは、国際システムにおけるパワー分布に見合った安全保障の役割分担を確立すべきだということです。
第1に、西欧諸国はウクライナに対して、もっと多くの軍事支援をできるはずです。下の表は、西側の関係各国の対ウクライナ軍事支援額を棒グラフで表したものです。
これをみれば一目瞭然のように、アメリカがとびぬけて高い金額を出資しています。第2位のイギリスでさえ、アメリカの10分の1程度しか拠出していません。ヨーロッパの政治経済をけん引するドイツは、イギリスよりかなり少ない支援にとどまります。この点について、前出のコルビー氏の次の指摘は的を射ています。すなわち「アメリカは100ドルの内3.47ドルを防衛に使う…ドイツは1.44ドル…我々の負担を増やす前に、同盟国の負担を引き出したらどうだ」ということです。
さらに、フランスにいたっては申し訳程度と言われかねない対ウクライナへの軍事支援額になっています。要するに、西欧の主要国はヨーロッパの安全保障という公共財の相応のコストを負担せずに、アメリカに「ただ乗り」しているのです。
ウクライナがロシアと戦うための費用を西欧諸国がもっと負担すれば、アメリカは台頭する競争相手である中国をアジアで封じ込めることに、より集中することができます。その結果、ヨーロッパでもアジアでも、バランス・オブ・パワーがより保たれるようになるのです。
第2に、NATOに加盟するヨーロッパ諸国は、ロシアに対抗する十分な軍事力を保有しています。アナトール・リーヴェン氏(クインシー研究所)は、ロシアと西欧の戦力バランスについて、「2021年時点で、NATO主要5カ国の(予備役を含めない)現役の地上兵力は50万人を超えており、それに比較するとロシアは28万人であり、大半は現在、ウクライナに釘付けになっている」と分析しています。
攻撃が防御を突破するのに、通例では3:1の優位性が必要であることを考慮すれば、ロシアが約2倍の陸上戦力を持つNATOの防衛力を粉砕するのは困難でしょう。ロシアがNATO域内に攻め込んできたとしても、西欧諸国だけで、これを撃退する十分な戦力を保有しているのです。
侵略国の野望は無限なのか
ロシアが帝国復活の野望を抱いている話は、一般によく聞かれます。上記のロシア研究者も、同じように以下のことを主張しています。
ロシアがウクライナ全体、さらには旧ソ連地域全体を領土ないし属国とし、欧米中心の世界秩序を壊そうとする野心を持っている限り、例えばドンバス併合が認められればそれで満足してウクライナへの干渉をやめるということはありえない。時が経てばまた攻撃的な行動を始めるだろうから、国境の正式な変更が仮の停戦ラインの設定より安全ということはないのである。欧米・日本は、ウクライナの主体性を尊重し、中小国の独立を守る国際秩序を維持していかなければならない。
このパラグラフも、至極まっとうなことを言っているように読めます。しかしながら、よく考えてみると、いくつかの深刻な問題を抱えていることが分かります。
ロシアは本当に旧ソ連の復活、ひいては世界秩序の転覆といった壮大な野望を持って、ウクライナに侵略したのでしょうか。もしかしたら、本当にそうなのかもしれません。プーチンは、自分自身をピョートル大帝になぞらえるなどして、その偉大さをアピールしていますから。しかしながら、この仮説はエビデンスにより、ほとんどまったく支持されません。
第1に、この主張はとんでもない政策を暗黙に提言しています。彼はロシアが際限もなく攻撃的な行動をとるとほのめかしています。停戦ラインをどこに引こうが、国境をどのように確定しようが、ロシアは満足せずに、時期が来れば再び侵略を試みるアクターとみなされています。そうであれば、ロシアに攻撃をやめさせる方法は、1つしか残りません。それはロシアを国家として抹殺することです。このロシア研究者は、ロシアを世界から消し去ることを擁護するのでしょうか。
第2に、ロシアは軍事的に弱すぎて、旧ソ連の時にワルシャワ条約機構の加盟国だった東欧諸国を支配下におさめられないでしょう。ましてや「世界秩序」をひっくり返すことなど、ロシアにとっては夢物語でしかないでしょう。
現在のロシアがウクライナで限定的な作戦行動しかとれないことは、西側の軍事オブザーバーのほぼ共通した見解になっています。カナダ軍は、ロシアが戦争における戦略目標を下げたと、次のように的確に分析しています。
人員と装備のかなりの損耗により、ロシアはウクライナで野心を達成する軍事力がもはやないようだ。今や戦略目標を下げざるを得ず、漸進的領土の統制を新しい公式の論拠としている。
ロシアは緒戦で電撃的に首都キーウを陥落させようとしましたが、みじめな失敗に終わりました。そこでモスクワは、ウクライナ東部のドンバス地方の征服に戦力を集中投下せざるを得なくなったのです。
こうしたロシア軍の惨状について、元米国防長官のジェームズ・マティス氏はロシア軍の戦いぶりを「哀れ」と形容するとともに、ウクライナでの軍事行動は「非道かつ戦術的に無能、作戦上おろかであり、戦略的にばかげている」とこき下ろしています。元米海兵隊だったダン・カルドウェル氏も「ロシア軍はワルシャワ、ベルリン、パリを奪取できない」と断言しています。
第3に、ロシアは経済的に弱すぎて、東欧諸国を強引に統治することはおろか、世界秩序を破壊することなど到底できないでしょう。ロシアのGDP(2022年)はイタリアより少なく韓国と同程度です。ロシアの世界全体のGDPに占める割合は、わずか1.6%ほどです。このような中級国程度の経済力しか持たないロシアが、どうやって東欧を占拠したり、世界の経済体制を転覆したりできるのでしょうか。
仮にロシアが東欧諸国に手を伸ばしたところで、ウクライナで経験したような現地の強いナショナリズムの抵抗にあうでしょう。ですから、どんなに想像力を働かせても、予見しうる将来において、旧ソ連帝国の復活や世界秩序を崩すことなど、ロシアにとって実現不可能な野望であることは自明であるように思います。
第4に、日本も欧米諸国も、国際秩序を守るという名のもとに、安易に世界各地の紛争に介入することは控えるべきです。国際政治の世界において、ナショナリズムは継続する力強いイデオロギーです。このことはウクライナ人がロシア人の侵略に対して、必死に抵抗していることからも伺えます。
アメリカやロシアはアフガニスタンに侵攻した際に、現地の人たちから強力な抵抗を受けて、撤退を余儀なくされました。アメリカのヴェトナム、イラク、リビアへの軍事介入は愚行に終わりました。
スティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)が、古典的研究『同盟の起源』(ミネルヴァ書房、2021年〔原著1987年〕)で明らかにしたように、大国が中小国に対して戦力を投射することは、ナショナリズムの反発を受けるだけではなく、周辺国から脅威とみなされやすく、敵を結束させる副作用を生み出します。ワシントンの政策立案者に対して、世界各地への安易な介入を戒めて戦略的抑制を説くリアリストの政策提言は、こうした現実政治の要請から生じているのです。
ロシア研究者の同国に関する深い知識には敬意を払いますが、既存の国際政治研究は、論理的で経験的に裏打ちされた深い洞察を提供してくれます。ロシア・ウクライナ戦争は、ロシアだけを観察すれば、その本質が理解できるような事象ではありません。そこには戦争や戦略のロジックが働いています。だからこそ、我々には戦争のダイナミズムを明らかにする国際政治理論や関係各国の戦略関係を説明する理論が必要なのです。
編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年7月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。