ある地方議会議員が自治体職員から入札に係る秘密情報を聞き出し、業者に提供、見返りを受け取る。経済小説の陳腐な題材になりそうな事件だが、実際、たびたび目にする。
2022年7月30日の各種報道によれば、同日逮捕された江東区議は江東区の所有施設における清掃管理業務の発注に関する秘密にすべき入札関連情報を、業者の依頼を受けて、江東区幹部から聞き出して伝達、見返りに現金を受け取ったとのことである(例えば、産経新聞の記事参照)。容疑はあっせん収賄(業者側は贈賄)である。
情報漏洩については別途、(上記幹部職員も含めて)入札妨害に係る犯罪の問題になろうが、当局の主たる関心事ではないのだろう(以下、実際に不正があったという前提での記述になる)。
このような絵に描いたような不正はいつになったらなくなるのだろう。この区議は議員歴30年のベテランで、その前は衆議院議員の秘書だったようだ。つまり昭和の時代を知っている世代で、不正があったというのならば、こうした便宜を図ることが政治家の役割であるという歪んだ自覚がその根っこにあったのかもしれない。
ここ四半世紀で入札不正に対する世間の目が厳しくなり、これを取り締まる各種法令の強化、摘発の積極化がなされても、そういった事件がなくならないのは、あるいは、それを見逃す職場の慣行、雰囲気がいまだ残存しているからなのかもしれない。どのような経緯でこの事件の摘発に至ったのか、気になるところである。
議員から行政に何らかのアプローチをすることは、それ自体不正ではない。「どこそこで住民が迷惑している。何とかならないのか。」といった「情報提供」や「住民サービスへの要望」はよくある話だ。やるなら記録を残してオープンにやればよい。不透明になるから、圧力が横行し、結果、不正の温床になってしまうのだ。
そうした議員と行政との間の不透明なやりとりにこそ不正の温床があり、政官財のしがらみで行政が歪められているという問題意識を持ったある自治体の若い首長が、就任早々行ったのが、議員からの不当な圧力や不正の働きかけについての全職員へのアンケートだった。
そこで多くの意見が寄せられ、その声を受けた首長は、議員からの連絡を「記録に残す」ということを断行した。各種方面からの反発も強かったが、それによって(不当な)圧力は随分と減ったそうだ。中には行政への連絡を積極化した議員もいたが、それは「こんなにいいことをしている」というアピールのために、記録に残すことはウェルカムな話だということのようだ。そういう良好なコミュニケーションは行政としてもウェルカムな話だろう。行政サービスを向上させるための取り組みなのだから。
不透明だからうまくいっていた部分もあっただろうが、透明さの欠如は不正を生み出し、縁故主義を蔓延させる。公共入札については、かつてはこの不透明な部分は「必要悪」と呼ばれ、清濁併せ呑む「どんぶり」的な発想が有効な問題解決だと考えられてきたようだが、現在では、公正な競争と透明な契約が強く求められている。
もちろん記録を残すだけで全てが解決する訳ではない。政治と行政が癒着していればそもそも何の意味もない。密会されれば対処しようがない。性悪説に立てば、結局は発覚時のペナルティーを重くする以外の有効な手立てはなくなってしまう。
冒頭の事件でどういった種類の情報が漏洩されたのか不明だが、その情報が入札参加業者の間で共有されていたとするならば、その情報とは予定価格の可能性が高い(多くの場合、落札価格は予定価格に張り付いている)。当該業者限りというならば最低制限価格と予想できる(ほとんどの場合、落札価格は最低制限価格に一致する。
もちろん、価格以外の情報の可能性もある。他の応札業者に関する情報との追加報道もその後目にした。)。仮に最低制限価格だった場合、不正の予防のためにはそもそも最低制限価格を定めなければよいという議論もあるかもしれない。しかしこれは本末転倒だ。交通事故を防ぐために車を走らせるなという議論がナンセンスであることを想起すればよい(もちろんどんな場面でも下限価格が必要だとは筆者も思っていない)。
最低制限価格を当てさせないために最後ランダムに係数をかければよいという議論は、多少の意味はあるかもしれないが、振り幅が小さければあまり不正防止の効果がない。振り幅が大きければ、制度の趣旨に反することになる。事前に公表してしまえば、確かに秘密でなくなるので情報の価値が失われる。この場合、最低制限価格付近で競い合っているのであれば、複数業者が同額でクジを引くことになるが、それで果たしてよいと割り切れるか。
こうした仕組み作りの議論をどこまで詰められるか。「議員や職員のモラル、高い職業意識」というキーワードに行き着くまでが勝負である。