政教分離をやめよ

kanzilyou/iStock

安倍元首相への銃撃テロ以来、政治と宗教の関係について議論が白熱している。

テロとは無関係な議論であり、なぜここまで白熱しているだろうか。思わず陰謀論を語りたくなってしまうが、それは冗談としてこの議論の中で「政教分離」が強調されているが、筆者は政治と宗教の関係を考えるうえでこの政教分離という言葉自体に問題があると考える。「政教分離は誤解されている」という主張は正しいが、誤解しか招かない言葉だろう。

分離という言葉の響きにより「政治と宗教は交わってはならない」と解釈され、政治家と信仰者の物理的身体的距離までが問題視されている。

既に一部報道では政治家が旧統一教会関係者を講師として勉強会に招いたこと自体を問題視しているが異常という他ない。

政治家は信仰者との接触を避けるのではなく、むしろ積極的に交流し彼らの価値観や思考様式を学び宗教への理解を深めるべきである。信仰者との交流で得た知識・経験は文化財保護・多文化交流・観光振興施策などに活かせるはずである。

政治家と信仰者の物理的身体的距離が問題視されると信仰者は政治家から信仰の有無、信じる宗教・神について質問される可能性が生じ、これは信教の自由を脅かすものである。

ただでさえ日本は信仰告白に勇気のいる社会なのに、その強要を誘発する政教分離とはなんなのだろうか。

留意したいのは政教分離は日本国憲法に明記されていない言葉ということだ。

この言葉を誰が発明したのか知らないが、高い権威を付与したのは憲法学者だろう。

日本で最も読まれている憲法の基本書、芦部信喜著「憲法 第七版」の憲法20条の説明に「国家と宗教の分離の原則(政教分離の原則)」が明記されている。そして漢字四文字だから政治スローガンになりやすい。

日本国憲法は信仰者の政治活動を禁止しているわけではない。政治家による宗教系の集会・勉強会への参加を禁止しているわけでもない。信仰者による献金・選挙活動だって全く合憲である。歴代総理大臣・有力政治家にも信仰者は結構いる。大平正芳首相がクリスチャンだったことはよく知られているし、麻生太郎元首相や石破茂氏もクリスチャンである。

衆議院選挙2017 自民党のクリスチャンの立候補者 石破茂氏、麻生太郎氏、北村誠吾氏
第48回衆議院総選挙が10日、公示された。この選挙で戦う候補者の中には、何人かのクリスチャンがいる。それぞれどういう信仰的背景を持った人物かを紹介したい。自由民主党では鳥取1区の石破茂氏、福岡8区の麻生太郎氏、長崎4区の北村誠吾氏。

こうした合憲行為も政教分離のスローガン下では何か「逸脱」のような印象を抱かれてしまう。憲法で明記されていない言葉で政治と宗教の関係が語られることは弊害が大きい。

政治と宗教の関係について語りたいならば政教分離の語の使用をやめることである。

国による特定宗教の優遇を禁止することで信教の自由の確保しようとした政教分離の語が宗教の異様性を主張する根拠となり、逆に信教の自由を脅かしている。本末転倒である。

政治と宗教の関係について議論するならばまずもって政教分離の語の使用をやめ憲法の条文に基づいて丁寧に議論すべきである。