安倍元総理の追悼演説、私が願うのはこの2人

7月8日の凶行で命を奪われた安倍晋三・元総理。その追悼演説をめぐり、周辺がにわかに騒々しくなってきました。

安倍氏追悼演説、甘利氏から変更も 「遺族意向」に疑問の声―自民

時事ドットコム

甘利明・元経産大臣の反対論は永田町関係者の間で湧き上がっているとのことですが、さまざまな人が色々と好き勝手なことを言います。ある意味で私も好き勝手な一人にすぎない訳ですが、日刊スポーツ・中山知子記者のコラムには大いに唸らされました。

盟友という名の「お友達」甘利明氏の安倍元首相追悼演説プランがここまで批判された背景

盟友という名の「お友達」甘利明氏の安倍元首相追悼演説プランがここまで批判された背景 - 中山知子の取材備忘録 - 社会コラム : 日刊スポーツ
安倍晋三元首相の衝撃的な死から、3週間が経過した。銃撃犯の旧統一教会をめぐる過去と現在、さらには政治家と旧統一教会の深い関係など、銃撃事件を機に… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)

コラムの中で触れている尾辻秀久・参議院議員による故・山本孝史議員への哀悼演説は、私の中でも忘れがたい名演説のひとつです。「先生、今日は外は雪です。随分やせておられましたから、寒くありませんか。」この一節を読み返すと、今も涙腺がゆるみます。

また追悼演説の白眉といえば、池田勇人総理が浅沼稲次郎・社会党委員長の遭難に対して行なった追悼演説も忘れられません。「沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺」という戯れ歌とともに、私は浅沼議員の名を覚えました。

コラム終盤の「仮に甘利氏が追悼演説を行ったとしても、安倍氏とのエピソードには事欠かないかもしれない。ただ、その場にいる全員が共感できる場となるか、疑問だ。」との論にも私は同感です。少なくとも与野党を問わず、議場に集う私たちの代表が思いをひとつに出来ることは国会内で演説の場を設けるうえで必要不可欠でしょう。その結びでは安倍元総理と同じ自民党の菅義偉・前総理や、衆議院の解散をかけて論戦を交わした立憲民主党の野田佳彦・元総理の名も挙げられていますが、果たして誰ならばふさわしいだろうかと想いを巡らせます。

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ならば私なら誰がいいのかという話ですが、2人います。

菅義偉元総理

1人は菅義偉・前総理、安倍元総理が凶弾に倒れ病院に緊急搬送されたとき、遊説を取り止めて「同じ空気を吸いたい。(安倍さんは)寂しがり屋だから」と奈良へ駆けつけたことを報道で知り、私の中では菅さんしかいないと思いました。甘利さんも確かに安倍元総理の再起を支えた一人かも知れませんが、こういうのは理屈ではないのです。

もしも菅さんが追悼演説の役目を担うなら、私からは2点リクエストしたいことがあります。ひとつは、昭恵夫人が喪主として行なった葬儀挨拶を、ぜひとも引用いただきたいのです。

10歳には10歳の春夏秋冬があり、20歳には20歳の春夏秋冬、50歳には50歳の春夏秋冬があります。父・晋太郎さんは首相目前に倒れたが、67歳の春夏秋冬があったと思う。

主人も政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう。

どんなに優れたスピーチライターや優秀な官僚が追悼演説の草案を起こしたとしても、昭恵夫人の挨拶にまさるものは無いでしょう。ぜひとも引用する形で、国会の議事録に収めていただきたいと願います。

そしてもうひとつは、森友学園の問題と、騒動の中で命を絶った近畿財務局職員・赤木俊夫さんにも言及いただきたいと願います。一連の事件は与野党のどちらに立つかで見え方が異なりますが、当時官房長官だった立場の菅さんだからこそ、思うところがあるのではないか。私は野党の挑発に乗った安倍さんがみずからの政治生命を口にしてしまったことが忖度の連鎖を生み、結果として赤木さんを死に至らしめたのでは。そう見ています。

ただそこは安倍さんが迂闊だったかというと、愛する妻が侮辱されたとき、仮に総理大臣という立場であっても冷静でいられただろうか。昭恵夫人の喪主挨拶に触れたいま、改めてそのように思っています。その点では野党が安倍さんに「手を出させた」と言ってもいいでしょう。国会という場が厳粛であったならば、赤木さんを追い込む結果にはならなかったかも知れない。

官僚をいたずらに消費摩耗させるのではなく、存分に能力や知見を活かせるように配慮する責務がすべての国会議員にはある。そう議事録に刻むことで、赤木さんの御霊に報いていただきたい。官房長官という女房役の立場で元総理を支えてきたからこそ、そのような演説は菅さんにしか出来ないと思います。

私の意中にあるもう1人の候補ですが、やはり中山記者がコラムで触れた野田佳彦・元総理です。

野田佳彦・元総理

野田元総理といえば野党時代の自民党・安総総裁と衆議院解散をかけて論戦を交わした印象が今も残ります。

それ以上に野田さんが適任だと思うのは、第一次安倍内閣のときに当時の防衛庁が防衛省に昇格しました。このことに触れるならば野田さんしかいないと思うのです。何よりも野田元総理の父は習志野駐屯地に所属していた陸上自衛官であります。防衛省の昇格は「自衛隊のせがれ」たる野田さんにとっても決して他人事ではなく、生前の業績を語るにふさわしい人物のひとりと私は思います。

また野田元総理は政治家を志すきっかけとなった人物として、前出の浅沼委員長とジョン・F・ケネディ米大統領の2名を挙げています。「政治家は命がけの仕事」と意識するに至った2名はともに刺殺や銃撃という悲劇に見舞われ、安倍元総理もまた凶弾をうけ無念の最期を迎えました。

そのような初心をもつ野田さんが、最期にどのような論戦を安倍元総理に挑むのか。かつて政治評論家の有馬晴海氏が「もっと自分の生活から絞り出てくる言葉がほしい」と評したように、これまでの来歴や政治観に裏打ちされた演説で、かつての論戦相手を弔っていただきたい。そう願っています。

ここまでお読みの皆様は「けっきょくお前は菅さんと野田さん、どちらがいいんだ?」そうお思いのことでしょう。実は二者択一ではありません。与党を代表して菅さん、野党を代表して野田さん、二人の元総理に並び立っていただきたい。そう願っています。

そもそも追悼演説では故人との関係で誰が読むのかが通例、慣例というならば、二人では駄目という理屈もそもそもない訳です。それに前例の踏襲ばかりでは、わが国の政治は一向に進みません。

間もなく予定されている臨時国会では先送りになる公算大ですが、これを機に与野党双方からの追悼演説による競演を検討いただいても良いのではと思います。

その結果として有権者の耳目や関心を集めることができたらば、憲政史にも新たな一ページを刻むことになるでしょう。