「20世紀を守れ」という朝日新聞の保守的思考

朝日新聞の社説「テレビと地方 視聴者視点で未来描け」を読んで驚いた。テレビ業界に残る20世紀の大うそに未だにしがみ付いているからだ。

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総務省が検討してきた「デジタル時代における放送の将来像と制度の在り方」について、取りまとめ結果が8月5日に公表された。取りまとめには、ブロードバンド等による放送波の代替(難視聴地域へのネット配信)、マスメディア集中排除原則の見直し(地方局はキー局の傘下に)、複数地域での放送番組の同一化(県域を越えて同じ放送)などが書かれている。

英国ではBBCの在り方を抜本的に見直す議論が進んでいるが、それに比べれば、取りまとめにあるのは、長期的な将来像ではなく短期的な対処策である。

しかし、社説はそれすら問題だという。集中排除原則については「地方局の独立性がそがれ、多様な放送・言論活動が維持できなくなる恐れが拭えない」、県域を超える放送については「人口や経済規模が小さい県に関する情報の発信が減ってしまうことが、容易に想像される」という。

つまり、社説は県域放送体制の維持を求めているわけだ。

しかし、県域放送体制こそ、放送業界における20世紀最大のうそである。言論の多様性を確保するというのが建前だが、県域放送局の自主番組制作比率は10%を切って久しい。1時間に6分以下、つまり、数時間おきに54分から始まる県域ニュースを放送するのが精いっぱいというのが現実である。

スポンサーにとって、県域放送は視聴者数が限られるから魅力的ではない。カバーできる人口が10分の1なら、広告費も10分の1しか出せない。その結果、自ら広告費を集めて制作する自主番組は限られ、大半の時間はネット局の番組をそのまま配信するしかなくなる。しかし、これによって実質的に全国放送となるので、スポンサーにとっては広告費が出しやすい。

言論の多様性を今さら主張する朝日新聞には、県域放送がこのように「ごまかし、ごまかし」維持されてきた現実が見えないのだろうか。

県域放送体制は、田中角栄氏がメディアを支配するために「発明」した仕組みだが、社説はそれを維持するべきという。自身が全盛だった時代にしがみ付く保守性は、朝日新聞らしい(笑)。

社説は具体的な方針決定や制度設計に際して、「地域住民をはじめとする多様な人々が加わった議論と、それに基づく丁寧な調整」を求めている。おなじみの時間稼ぎ、現状維持を求める主張である。