悠仁様は愛子様より先に何もするなという宮内庁内の声?

悠仁様の帝王教育と妃探しを遅らせる宮内庁の怠惰

『週刊新潮』最新号に「いかに皇位継承権を有するとはいえ皇嗣家のお子様」である悠仁様は「天皇家の長女」である愛子様に遠慮すべきだという声が宮内庁にあるというような変な記事が載っている。

今週の週刊新潮は『特集;両陛下地方お出まし復活に「悠仁さま」伊勢参拝再びまさかのバッティング!「天皇家vs.秋篠宮家」相克を演出する宮内庁の罪』とかいうものものしいタイトルの記事。

なかなかよく取材した立派な記事で、宮内庁はもっとしっかり日程調整をしろというのはもっともだ。だが、天皇家の子である愛子様と将来の天皇だとしても皇嗣家の子に過ぎない悠仁様では身分が違うのだから、すべて愛子様のご都合優先で後ろをついてくれば良いという発想はよろしくない。

しかし、愛子さまは、大学入学以来の三年間で、いちどだけオリエンテーションに行かれた以外に、通学はおろか外出が確認されていない。マイペースで時間の制約を受けずに何かに取り組むのがお好きのようで、早い時期に結婚相手が見つかることはむずかいしかもしれない。

一方、悠仁さまは早めに結婚していただいて、皇統維持に目処を付けて欲しいところだ。大学出て、留学して、などといわず、学生結婚でもいいから早く結婚していただいて、留学が必要ならご夫婦で行って頂ければいい。

それから、紀子様の頑張りで帝王教育はそれなりに進んでいるが、早く陛下の近くで帝王としての振る舞いを学んでもらう機会も増やすべきだ。私は一週間にいちどくらいは、陛下にあっていただきたい。それを愛子様が結婚されてから開始というのではよろしくないと思うのだ。

悠仁親王殿下と愛子内親王殿下 宮内庁HPより

「皇位継承権を有するとは言え、皇嗣家のお子様」という『週刊新潮』

ところで、この週刊新潮の記事は、いろいろ、考えさせることが書いてあるので、少し論点を紹介したい。括弧内は私の意見。

エリザベス女王の葬儀は秋篠宮殿下夫妻の派遣も検討されたが、陛下の強い意志で両陛下が参加され、秋篠宮殿下は初めて国事行為の代行をされた。

コロナ以来、両陛下は地方行幸をされていないが、10月の栃木国体開会式に陛下は出席される意向。ただし、車で日帰り往復。(皇后陛下は不明だが英国へ行かれた以上、行かざるを得ないとみられる)

陛下はコロナ対策に慎重だったが、英国では思いきってマスクも外されたのでハードルが下がった。

悠仁様が国体と同じ日に旅行の途上、伊勢神宮にはじめて単独参拝されるが、陛下の国体出席と同じ日にされるのは無神経だ。

陛下が皇太子時代に奈良を訪問されている期間中に(といってもとくに大きな行事があった日でない)、小室会見をさせたのだって不適切だった。

悠仁様の中学卒業式で学校の会見などが行われる日に、愛子様の成年会見が行われたのが宮内庁の調整ミスとして批判され、宮内庁長官が謝ったが、「悠仁様の学校行事の日は変えることは出来ません。となると愛子さまの御日程をどうするか、と言う話になりますが、そもそも天皇家の長女の一度きりの成年会見を、いかに皇位継承権を有するとは言え、皇嗣家のお子様の卒業式のために変更することが、はたして適切なのかどうか。長官の陳謝とは別に、庁内ではそうした声もあった」(これは経緯が事実と違う。本来は愛子様はこれまでの内親王の前例では、必ず、誕生日を控えた昨年の11月に成年会見をすることが習慣なのに、「学業が忙しい」ので三月まで延ばしてくれと云うのでバッティングしたのである)

本来なら愛子様が先に成年の報告に伊勢神宮に行くべきだが、両陛下の意向行ってないのであるが、悠仁様がさきに伊勢神宮へ行くのは愛子様を出し抜いたことになる。悠仁さまの旅行の主目的は正倉院展だがだとしてもおかしい(伊勢神宮を素通りする方がおかしいと思うが)。

小田部教授は、陛下が国体開会式に臨まれる日に、弟宮のご子息が注目を集める行動は控えるべきだ。これでは、秋篠宮ご夫妻や悠仁様が、まるで天皇家をさしおいて出しゃばっているようにとらえられても不思議でないという。(そんなことしていると、皇室活動全体の量が著しく減ってしまうので不適切な考え方だ。新潮記事の要約はここまで)

無理のない令和スタイルを国民に説明して確立を

いつも指摘しているように、令和の両陛下の活動は、平成の両陛下のように濃密であることは、皇后陛下の体調からして難しく、国民に説明した上で、無理のない令和スタイルを確立すればいいことだし、皇嗣殿下ご夫妻などに代理をお願いするのも躊躇すべきでない。

愛子さまが「両親に感染させてはいけない」という理由で通学されないのは、これは一般論としても、また、結婚まで皇族として活動していくためにも、結婚の準備をされるためにも、あまり感心しないが、愛子様が時間に束縛されるのがお子様時代から大嫌いだったのだから仕方ない。

だが、そうしたことが、悠仁さまの帝王教育やお妃さがしを遅らせては、それこそ、皇室の危機になってしまう。