なぜ国を二分化するほどの議論となったのか:報じる方に原因がある

安倍元首相の国葬が終わりました。国を二分するほどの賛否が起きたのは何故なのだろう、と改めて考えてみたいと思います。

二つの意見が強く対峙するケースは日本だけではありません。アメリカ、欧州、英国ならず、タイや韓国を含め、何処の国でも発生している問題であって日本が特別でもないし、安倍氏の国葬問題が異様なわけでもありません。むしろ、国を割るほどの議論が一時期、出現しなかったことこそ異質な国家であったとも言えます。

岸田首相SNSより

私が知る国内の闘争は60年安保をピークとした壮絶ともいえる国民(=労働者)と政府のぶつかり合いだったと理解しています。あれをピークに国民は戦うことを少しずつ止めていきました。ストもしない、組合はより経営側の意図を組み、ボーナスは満額回答が続きます。日教組なんて私が子供の頃は近寄ってはいけない怖い人たちの集まりながら「センセーもハチマキしてこぶしを上げているの?」という無邪気な質問を担任にしていたものです。

日本が形の上でもマイルドになったのは一億総中流思考が昭和40年代に広がったからで差が少ないフラットな社会が形成できたことが大きいと考えています。その頃の報道はどこも似たようなもので何チャンネルのニュースを見ても同じでした。読売、産経と朝日、毎日の差を述べよ、と言われても読売は自営業者の新聞、朝日はサラリーマンの新聞でしょ、が答えだったのではないでしょうか?

つまり、ポピュリズムな内容で発行部数を争い、挙句の果てに契約更新の時には洗剤やらトイレットペーパーをたくさんくれるところが勝者でありました。私の家では一時「聖教新聞」に変わったことがあり、「この新聞、つまんないよ」と親に文句をいったことがあります。親しくお付き合いしている近所の方が信者でやむなく一度だけ採ったのですが、「時々、野球のチケットくれて、チラシも多い読売新聞がやっぱり一番だよね」が最終結論でした。無邪気そのものです。

つまりメディアの差はなく、世の中、平和で経済が廻っていて汗をかけばかいた分だけリターンがあるそんな時代だったともいえます。

世の中が大きく変わったのは今世紀に入ってからで企業や社会のルールが変わり、一億総中流は消え、経済や社会的格差が明白になってきました。そんな時代に声なき声を拾い上げようとしたのがメディアだったと思います。基本的に右も左もなく、全てのメディアは一斉に弱者救済の声を上げます。理由の一つにメディアの存続がかかっているからでしょう。何時消えてもおかしくないと言われた産経と毎日はぎりぎりの攻防の結果、毎日が産経に2倍近い差をつけてしまいました。案外、陰に隠れているけれど中日/東京新聞はさらに強い弱者救済の報道姿勢を保ち、22年上半期の合算発行部数では読売、朝日に次ぐ部数です。

この構図は世の中が二分しているというより国民の声を代弁しているつもりのメディアの姿勢が日本を変えてしまったのが原因ではないでしょうか?更に気になるのは大手メディアにしがみつくコバンザメ メディアが二次情報を感情表現豊かに小説風に記事を作るため、強い刺激と考え方の方向性を植え付けるのです。先日、ふと私の目に留まった記事は私のブログのパクリでした。結構立派な肩書の人でしたが、世の中、そんなレベルなのです。

数年前までは報道は考え方に対してAとBという対立する考えをある程度均等に並べることが求められていたのですが、最近の報道は一方向だけの声しか載せないケースも増えています。テレビのニュースではアナウンサー/ナレーターが声優並みの感情豊かなトーンで報じるため、報道そのものが完全に一定色に染まっているのです。見る前からもう結論がわかっている、そんな報じ方です。

残念ながら99.99%の人はヒマではないし、詳しくはないし、そもそもそこまで社会一般の事象に興味はないのです。だから報道の色に気を配っていられません。赤い報道が流れれば赤だと印象付けられるし、黄色なら黄色、青なら青に染まってしまうのです。これは一種の洗脳であって、知らぬ間に常識観が「そうなのだ」と結論付けます。更に悪いことにAIが記事を選びますので同じようなトーンの記事ばかり見ることになります。すると「私の考えは間違っていない」と確信し、行動に打って出る、という流れではないかと思います。

今回「国を二分化した国葬とは何だったのか」と各社報じていますが、その答えは「それを報じるあなた方に原因がある」と気がつかないのかな、と私は思うのです。

「ペンは剣よりも強し」とは19世紀の英国の小説家、リットンの戯曲に出てくる言葉です。英語ではThe pen is mightier than the sword.です。しかし、現代では「メディアは政治家よりも強し」に変貌しているのではないかという危惧を持っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年9月28日の記事より転載させていただきました。