世の中から教員が消える日:先生の質の維持も困難になる日本

教員になりたい人が減っていると報じられています。かつては高い人気を誇る就職先候補の一つでした。特に文学部、教育学部系の学生には重要な就職口であったと記憶しています。多少の私見を交えていうなら特に女子学生は「子供が好き」という観点で先生になることを希望されていた方も結構いたと思います。いわゆる女子の子供好きは幼稚園教諭や保育士の人気の高さからもうかがえます。

なぜ、女子は子供が好きかという点は母性本能もあるのですが、「企業人=大人の社会は怖い」というイメージを持っている人もいるようで自分の世界を描けると期待してしまう教諭を選ぶ理由にもつながっているようです。

paulaphoto/iStock

ではなぜ、教員になりたくないのか、その理由の一つが労働時間の長さです。連合総研が22年9月に発表した実態調査によると勤務日の在校時間は11時間21分、休日は2時間6分、一か月の平均労働時間は293時間46分と所定時間である170時間30分を123時間16分超過しています。ブラックどころか過労死ラインを超えているとされています。

その上、公立学校の先生は残業手当が原則ありません。これは悪手である給特法という法律があるためで、そこに休日手当と時間外手当は支給しないとあり、その代わり月給の4%を残業手当に変わるものとして支給されるようになっています。一種の管理職と同じような考え方ですが、これはいくら何でも酷すぎます。にもかかわらず、なぜこの法律が全く改正されてこなかったのか、どこかで何か見えない力がかかっているような気がします。

長時間低賃金労働である上に先生のもう一つの負担はできない生徒のケアとPTAの存在でしょう。先生は本来「先生」であって尊ぶべき存在ですが、生徒の親は必ずしもそういう意識ではなく、学校に押し付け、できなければ先生が悪いという姿勢を見せます。これは先生にとっては精神的に大きな負担でしょう。例えは悪いですが、先生にとってみれば35人の生徒という名の従業員と35人以上の親という株主に挟まれる形のようなものです。

一方、将来の働き手である就職を控えた学生のスタンスはどうでしょうか?まず、自分たちがどういう学校生活を送ってきたかはわずか10数年前の事象でありよくわかっています。それを思い起こせばたやすい仕事ではないことは容易に想像出来、未知の世界である企業に勤めるよりはるかに様子が見渡せます。それが良いという人もいますが、トラウマのような経験を持った人もいるでしょう。

では今後、教員採用が難しくなり、先生の質の維持にも困難をきたす様になることがたやすく想像できる中、学校の先生の職業はどう変わるべきでしょうか?

今般英語の授業は電子教科書が採用され、今後、各科目に広がる予定です。このメリットは一種の個別指導が可能なのでクラス全員の足並みをそろえる必要が無くなります。できない子にはできないところを徹底的にフォローする機能をたやすく付加できます。

また生徒が先生と黒板という一方方向だけを向き対話をする教育はあまりにも古いし、悪く言えば全体主義的にも見えます。生徒一人ひとりの個性を生かす教育とは車座教育であるべきで、そのセンターに先生はいないのです。生徒たちが自主的に進め、それを先生が側面指導するのが理想です。

実は日本はこのやり方がそもそも得意でした。それは寺小屋教育です。江戸時代に栄えた寺小屋における先生は師匠と呼ばれ、生徒は弟子でした。その教育は生徒同士が教え合うスタイルでいわゆるアクティブラーニングが存在していたのです。また、個別指導として農家、商家、職人など親の職業に応じて「往来」という教科書が別々に存在していました。

この寺小屋式教育を現代に当てはめると学術の習得はIT化とクラスメート同士のディスカッション方式を主力とし、先生はその役を「アドミニストレーター(管理者)」というポジションに変えてしまうことで新たな取り組みができるとみています。

先生の仕事は何十年も似たような教科書を毎年教えているわけですから自分のやり方を繰り返すだけになります。その長期的評価は誰も出せません。なぜなら子供たちとは期限付きの付き合いであり、他の先生との比較も困難でその結果は分かりにくいです。

先生は聖職的な扱いでした。私は先生も当然能力は査定されるべきだと思いますが、それがしにくいことになります。ならば親が最大の関心を持つ学業は平準化しやすく、個別指導が容易なIT化を進めない理由はありません。生徒は先生の方に向くわけではなく、コンピューターの画面を向くわけですからコミュニケーションが不足します。それを補うためにクラスにおける道徳的指導を含めたプレゼンテーションの授業を大幅に増やしたらどうでしょうか?その間、先生は脇に立っていて全体のコントロールを行うのです。決して先生が結論を押し付けてはいけません。

このメリットはまず先生はテストなどの点数つけから解放されます。学業の状況もAIが分析して親に「見える化」を具現化することができます。先生が管理官として生まれ変わったら日本の教育は恐ろしく大胆に変わると思います。もちろん、前向きな意味です。そして教諭ならぬ「教室管理官」への就職希望者が多数生まれてくることでしょう。その管理官は人徳と平衡感覚を身に着けることがよき指導者としての評価になると考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年10月7日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。