人間の能力への挑戦:稲盛和夫氏の盛和塾は「宗教」だったのか?

稲盛和夫氏が盛和塾で大いに活動されていたころ、当地にもその支部が出来ました。私はメンバーではないのですが、その活動内容は熟知していました。小規模なりに盛り上がっており、大きな会合の時には日本からメンター的な方が来られます。ある時は某上場会社のトップが来られたこともあり、私もお話をさせて頂いたことがあります。

稲盛和夫氏 盛和塾HPより

その活動に対してある方が「あれは宗教だ!」と断じて拒絶しました。自分が外部によって影響されることを極端に嫌う保守的な方でしたのでそのような発言となったのでしょう。では盛和塾は本当に宗教でしょうか?NOです。これははっきり申し上げらます。

宗教とは何でしょうか?定義はいろいろあると思います。が、私の理解は「人間の持てる力を超えた部分について信仰を通じて人々のマインドに影響を与えること」です。(大きく外していたらご指摘ください。)つまり自己の能力ではどうにもならない部分を神といった現世に存在しないものにすがることで救いの手を求めるわけです。神社にお参りに行くのも教会で神父さんに懺悔するのも結局は答えがないものに架空の道筋を描くことで生きる力を与えてもらうことなのではないか、と考えています。

では盛和塾は何か、と言えば「人間が本来持っている力なのにそれを発見していない部分に焦点を当て、もっと開拓しよう」ということです。つまり誰でももっと伸ばせる才能、能力、成長、気力、体力…があるのにそれがうまく引き出せていない、それを仲間と学ぶことで開花させるわけです。盛和塾はたまたまそれがビジネスに特化しているということです。これが私の理解です。

実は私は先週、トニーロビンズの秋のイベントをオンラインでチラ見しておりました。トニーロビンズは全米で最も影響力のある自己啓発家でフォーブスの「世界で最も影響力ある100人」のリストに入ったこともあります。このイベント、今回は木曜日から日曜日までの4日間、アメリカ東部時間午前8時過ぎから夜10時ぐらいまでぶっ通しで行われます。土曜日と日曜日は夜中の12時までありました。主題は「人生の成功」です。そして人生のパーフェクトな道をどうしたら描けるかを長時間にわたり、講演者が語り、参加者が共鳴し、皆で考え、時として踊り、声を上げ、盛り上るわけです。会場にはざっと1,000人、オンライン参加者は2000人ぐらいいるのでしょうか?決して安いイベントではありません。US400㌦。しかし、もっと学びたければ数万ドルという講座もあります。

これは宗教か、と言えばそう思う人もいるでしょう。が、自己啓発は宗教ではありません。自分の気がつかなかった潜在能力を引き出すだけの話です。そして常に前向きでチャンスを積極的に取りに行く、その姿勢です。ギリギリのシーンでどうやって100倍の力が発揮できたか、その数々の体験談が人々に「自分もできる」という自信を植え付けるのです。

学術でもないしRocket Science(高度な理屈)でもないので参加するハードルは低く、「新たに知識習得を通じた学び」というより「気づき」なのです。ほぼすべての参加者がある程度の質問には答えられる、それは潜在的に分かっていたのにそれに気が付かなかっただけの話です。

アメリカにはこのような自己啓発型のイベントは非常に多いし、それに共鳴するケースは多いと思います。かつてロバートキヨサキ氏が「金持ち父さん貧乏父さん」という本を書き、大ベストセラーになりましたが、これも完全なる自己啓発です。私は80年代の良き時代からアメリカを経験させて頂いたこともあり、アメリカのもっともすぐれている部分、「明るく、前向きに自分を一生かけて磨き上げる」という姿勢に大変影響を受けるのです。

ではなぜ日本では少ないのでしょうか?「拝金主義」とか「出る杭への批判」などリーダーを作らず、育てたがらない土壌が根本にあるからかもしれません。これは私がしばしば指摘する日本型共同体の生んだネガティブな部分です。共同体での決定では2:6:2の法則が適用できると考えています。つまり異論は民主的な多数決の原理のもとかき消され、ごく中庸で凡庸な判断を民意として押し付けてしまうのです。

ところで、ある記事に大学生がリアルの授業に行かず、オンラインで参加することは善であるとし、記事もそれに同調するトーンとなっていました。ではこの大学生や記者に伺います。もしもあなたがとても大好きなタレントのコンサートがあります。あなたは会場よりオンラインを選びますか、と。この記事は大学に行かないで済むこじつけの押し付けなのだと思います。リアルはリアルの良さがある、それを一刀両断に切り捨てるものではないと思うのです。

日本は否定から入る、アメリカは肯定から入る、この違いは大きいと思います。トニーロビンズのイベントを見ていて私ですら圧倒される一体感は宗教じゃないか、と思う人もいるでしょう。しかし、そうではなく、自分が潜在的に持っていたその能力に気がついた悦びを一緒に楽しむのだという自己啓発のエンターテイメントだとしたらコンサートに行くのと同様、会場に行く価値は大いにあるのだと確信するのです。

お前も宗教に毒されているな、と言われればそれまで。ただ、人は一人では生きていけない、誰かに常に影響を受けるのだ、とすればよい影響を受けたい、それだけなのです。うまいものを食いたい欲求と同じなのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年11月13日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。