あるジャーナリストから、「創価学会のそれなりの幹部と話していたら、『私たちがいなかったら、共産党が天下を取っていたかもしれませんよ』と言われたことがあるが、どういう意味だろうか」と聞かれたことがある。
「戦後の激動期に都市部の恵まれない庶民に寄り添い、彼らの利益を擁護したのは、日本では共産党よりは創価学会であり公明党だったということでないですか」と答えておいた。
創価学会が戦後のいかなる時代に勢力を拡大していったかについて、「日本の政治「解体新書」:世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱」(小学館新書)で解説している。
私が東京大学法学部の学生だったころ、京極純一という政治学の教授が、「日本の左翼は階級的利益を代表していない。日本で庶民の価値観を色濃く代表しているサブカルチャー勢力があるとすれば創価学会くらいだ」と言ったのを覚えている。
諸外国の共産党の幹部には労働者出身の人がけっこう多いが、日本の共産党は違う。トップだけ見ても、宮本顕治、不破哲三、志位和夫と最近、三代の党首はいずれも東京大学卒で、どの党の幹部より高学歴だし、支持者にも高学歴の人が多い。
それに比べれば、創価学会は大都市に出てきて頼るべき係累が少ないような人たちを有力な対象として発展した。
学会員同士で助け合うという意味から、買い物でも仕事でも、できるだけ会員になっている業者を使うので、とくに小さな商店主などにとっては会員であるメリットは大きい。また、石原さとみがテレビ・ドラマに主演したら熱心に見るし、上戸彩がソフトバンクのCMに出たら携帯電話の売上が増えると信じられている。
会員の誰かが亡くなったら、会員たちが道具一式を運び込んで葬式をすべて執り行ってくれるし、大規模な墓地の造成もしている。一流の造園家に設計させてアーリントン墓地のように広大な敷地にまったく同じデザインの墓標が何万も並ぶ様は壮観だし、同等の墓地に比べて格安だ。
そんな中で、「民音(民主音楽協会)」は共産党系の「労音(勤労者音楽協議会)」のライバルとして成長した。
そういう意味で、西欧的民主主義・市場経済などに敵対する共産党などの過激な価値観の浸透を許さなかったことについては、創価学会や公明党が大きな役割を果たしたといえる。
もし創価学会の役割によく似たものがあるとすれば、創価学会ほどには徹底していないが、大企業とその労組がそうだと思う。パナソニックなども、ある意味で学会とよく似たテイストを持っている。そのことについては、「松下政経塾が日本をダメにした」(幻冬舎)でも解説したことがある。
あまり知られていないが、松下幸之助は池田大作を松下政経塾の塾長に迎えようとしたことがある。
1971年には創価学会の池田大作会長(当時)と京都の真々庵で会談した。その際に政経塾の構想を語ったことが「新・人間革命・第22巻」に書かれており、この際に池田会長に対して「塾の総裁就任」を打診したという。
この2人の巨人の思想が論理の組み立てとして同じとはまったく思わないが、共著もあるし、肌合いとしては目指すところの共通性は強いから、あってもおかしくない話だ。
戦争中の思想弾圧で、創始者である牧口常三郎を獄死させられたことが、創価学会による政治への進出の原点なら、苦労して立ち上げた企業を戦争で台無しにされたことが松下の政治への関心の根源にある、そういう意味でも共通性は高い。
松下幸之助の国防意識は高かったが、戦争への憎悪もまた強かったし、それは、松下と池田がともに日中友好に並外れた執念を燃やしたことにも共通に表れている。
パナソニックは早くから中国に進出し、天安門事件のような混乱のときでも最後まで踏みとどまった。
中国の程永華・元駐日大使は創価大学の出身だが、これは、中国の若者にとって海外で学ぶことが難しかった時代に創価大学が多くの中国人学生を受け入れたことは、画期的なことだった。
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