この本こそブックオブザイヤー2022大賞だ:小泉悠『ウクライナ戦争』

潮 匡人

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謹賀新年。私事ながら、拙著最新刊『ウクライナの教訓 反戦平和主義(パシフィズム)が日本を滅ぼす』が、昨年末、「咢堂ブックオブザイヤー2022大賞」(外交・安全保障部門、尾崎行雄記念財団)に選ばれた。

拙著「まえがき」で明かしたとおり、同書は主に、ここ「アゴラ」への寄稿を、テーマに沿ってアップデートしたうえ、再構成したものがベースとなっている。拙著への再活用をご快諾くださったアゴラ関係者の皆様と「アゴラ」愛読者の皆さまに、この場を借りて、改めて感謝申し上げたい。

「アゴラ」への寄稿に加え、現在、私は、月刊「正論」(産経新聞社)で、「潮匡人 この本を見よ」と題された連載書評欄を受け持っている。

同誌3月号では、小泉悠著『ウクライナ戦争』(ちくま新書)を取り上げた。掲載誌の発売前でもあり(来月1日発売予定)、拙稿の内容は控えるが、連載の文字数では収まらなかった部分について、許すかぎり、ここで紹介したい。

ちなみに、連載欄で小泉悠専任講師(東京大学)の著作を取り上げるのは、これで3回目。もはや不要と判断し、著者の略歴紹介などは割愛した。同じく「アゴラ」読者にも不要と判断し、ここでも割愛する。

同書は「はじめに」こう述べる。

結局のところ、大戦争は決して歴史の彼方になど過ぎ去っていなかった、というのが今回の戦争の教えるところであろう。テクノロジーの進化や社会の変化によって闘争の方法は様々に「拡張」していく。だが、それは大規模な軍隊同士の暴力闘争という、最も古典的な闘争形態が消えて無くなることを意味していたわけではなかった。

ちなみに、同書は「今回の戦争を第二次ロシア・ウクライナ戦争と呼んで」おり、本文中でも、こう指摘する。

第二次ロシア・ウクライナ戦争の「特徴」はテクノロジーによって新しくなったかもしれないが、戦争全体の「性質」は古い戦争からあまり大きく変わらなかった

この戦争は「ハイブリッド戦争」ではあるものの、「ハイブリッド戦争」ではないと見るべきであろう

この「な」の一字があるか、ないかが大違いなのだが、そこは上記拙稿を御参照いただきたい。

同書で著者は、率直にこう反省する。

今にして思えば希望的観測に引きずられ過ぎていたのではあるが、具体的なメリットもなしにプーチンが戦争を(それも非常に大規模な戦争を)はじめようとしているとは、当時の筆者にはどうにも信じられなかった。

厚顔無恥な凡百の学者やコメンテーター連中とは、人間の出来が違う。

大方の予想に反して、ウクライナが善戦できた理由について、こう指摘する。

48時間で消滅するはずだったウクライナがこれほどまでに持ち堪えられた要因は、この点(クラウゼヴィッツのいう「国民」の要素)にも求めることができよう。

私も、そう思う。上記のバーレン(丸括弧)内も引用である。クラウゼヴィッツのいう「国民」とは、以下を指す。

国家と自己を同一視して大量の犠牲を払う覚悟を持った「国民」という存在

果たして、そのような「国民」が、この国にいるのだろうか。大きな疑問を禁じえない。月刊「文藝春秋」(昨年六月特別号)に「ウクライナ義勇兵を考えた私」を「緊急寄稿」した芥川賞作家の砂川文次さん、そしてBSフジの番組で「私は戦う」と明言し、「自国が侵略された時に、国民が抵抗するのが、そんなに不思議ですか」(昨年3月16日放送)と、番組の男性MCに強く反発した小泉悠さんの両名以外、そうした「国民」を私は知らない。

同書は「おわりに」こう書いた。

この戦争は「どっちもどっち」と片づけられるものではない。

(中略)

ただ戦闘が停止されればそれで「解決」になるという態度は否定されねばならない。これはウクライナという国家が置かれた立場をめぐる道義的な議論にとどまらず、我が国が戦争に巻き込まれた場合(あるいは我が国周辺で戦争が発生した場合)にそのまま跳ね返ってきかねない問題だからである。それゆえに、日本としてはこの戦争を我が事として捉え、大国の侵略が成功したという事例を残さないように努力すべきではないか。

さらに1月4日に配信されたハフポスト日本版のインタビュー『ウクライナ戦争』を書いた小泉悠さんは警告する「我々はチェスのプレイヤーではない」でも、こう答えている。

もし仮に日本が他国から攻撃を受けた場合でも「もう抵抗やめなさいよ、相手の軍門に下れば戦闘が止まるんだから」「世界経済にも迷惑かけるからやめなさい」みたいなことを他国から言われても、おかしくないと思うんですね。でも私はそうは言われたくありません。その意味で、今この場で、我々がウクライナを支えておくということに意味があると思っています。そういう意味で、この戦争は他人ごとではないという思いを強く持っているんです。

まさに、そのとおり。僭越ながら私も同じ思いで拙著を書いた。月刊「正論」にも書いたが、これだけは繰り返しをお許しいただきたい。

本書こそ「ブックオブザイヤー2022大賞」に相応しい。