罪刑法定主義は刑法における最重概念と言っても過言ではない。
まず、ケースを考えてみよう。
あなたの隣人がケーブルを使ってあなたの部屋の電気を引いて使っていたとする。もちろんあなたに無断で、しかも隣人は赤の他人だ。このような場合、窃盗罪は成立するだろうか?
窃盗罪と言うのは刑法235条で規定されている。
「他人の財物を窃取した者は窃盗の罪都とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」
窃盗罪の構成要件は「他人の財物を窃取した」という行為のことだ。
構成要件とは、ざっくり言ってしまえば、その罪が成立するための「行為」を指す。
例えば殺人罪だと「人を殺したる者」の「人を殺した」という行為が構成要件になる。
窃盗罪の構成要件である「他人の財物を窃取した」を3つに分解してみよう。
「他人の」「財物」「窃取した」に分解できる。
本ケースでは隣人は赤の他人なので「他人」は該当する。
「窃取した」とはこっそり盗み取ることだ。本ケースでは、あなたの知らない間に盗んでいるので「窃取した」ことになる。
脅されたり、欺されたような場合は別の犯罪が成立する。
2番目の「財物」というものに電気が含まれるかどうかが一番問題となる。
電気は「財物」に含まれるだろうか?
実は、昔の大審院判決で、電気窃盗を有罪としたものがある。
大審院というのは、今の最高裁のようなもので当時の最終審だ。
この大審院の判決に対しては、刑法学者をはじめとして多くの人たちから批判が浴びせられた。
「罪刑法定主義に反するのではないか!」ということで。
事前に法律で明確に定めていないのに、有罪として処罰するのはけしからんと。
「罪刑法定主義」とは、「どのような行為が犯罪になるか」と「どのような処罰がなされるか」が事前に明確に規定されていなければならないという原則だ。
さもないと、行為者にとっては「後出しじゃんけん」で処罰される恐れがある。
規定が曖昧で「犯罪にならない」と思って行為をしたら、「その行為はこの規定に該当する」と言われて有罪にされたのではたまったものではない。
これでは、国民の基本的人権が保障されているとは到底言いがたい。
基本的人権の保障は「個人の尊重」という最高価値を支えるための憲法の三大原理だ。
刑罰というのは最大の人権侵害なので、「罪刑法定主義」は人権保障にとって極めて重要な原則だ。
主権者であるわれわれ国民の代表者で構成される国会で作られた法律によらなければ刑罰を科すことはできない(条例は例外)。
大審院の判決の時は、窃盗罪の対象が「物」と規定されていたことから、批判の声が高かった。
「物」というのは一般に有体物を指すので、有体物でない「電気」を「物」と解釈して刑罰を科すのは「罪刑法定主義」に反するということで。
その後の刑法改正で窃盗罪の対象が「財物」と改められ、「電気は財物と見做す」という規定も加わり、電気窃盗は罪刑法定主義に反しないことが明確になった。
ここまで念入りに規定したのは、罪刑法定主義を厳格に守るためだ。
罪刑法定主義を厳格に守らなければ、基本的人権の保障がないがしろになり「個人の尊重」が図られなくなる。
「そうは言っても、法律の条文なんて読んでいないよ」と考える人もいるだろう。
「事前に法律で規定していても知らなければ意味がないんじゃないか」という疑問も出てくるかもしれない。
じゃあ、「私は法律で刑罰になることを知らなかった」という弁解が通るかというと、それは通らない。
そのような弁解が通るのなら、法律の知識を持っている人だけが処罰されるようになってしまう(笑)
というのは冗談で、「知らなかった」では済まされない。
ニュースや新聞で新しい法律ができると報道したり、あまり知られていない法律違反で逮捕されたりする事件が大きく報じられるのも、「何が犯罪になるか」を世間に知らしめる役割を担っていると私は考えている。
次の事例を考えてみよう。
「A社が従業員であるBを出張所での勤務を命じた。その出張所にはB一人しかいなくて他の従業員はいない。Bは、毎晩、自分の趣味である夜釣りを楽しむために出張所のコンセントから電気を引いて集魚灯に使っていた。Bの行為は罪になるか?」
刑法253条は「業務上自己の占有する物を横領した者は、10年以下の懲役に処する」と規定している。
業務上横領罪の構成要件は、「業務上」「自己の占有する」「他人の物」「横領する」に分解することができる。
BはA社の従業員として出張所勤務をしているので、「業務上」はクリア。
「自己の占有する」というのはBが占有しているということで、ここではBが預かっているという意味合いだ。出張所の机や備品などがそれに当たる。
Bからして「他人の物」になるA社の物は「他人の物」となる。
「横領」というのは「他人または公共のものを不法に奪うこと」と定義されている(広辞苑第7版)。
この事案で、Bに業務上横領罪は成立するだろうか?
最大の問題は、A社の電気が「物」と言えるかということだ。
窃盗罪の場合は、「他人の財物」と規定しており、「電気も財物と見做す」という規定がある。
つまり、刑法上は、電気は「財物」なのであって「物」ではない。
業務上横領罪の条文に「他人の財物」ではなく「他人の物」と書かれている以上、電気横領は処罰されない。
わざわざ「財物」ではなく「物」と書かれている以上、処罰するのは罪刑法定主義に反するということになる。
このように厳格に解釈しなければならないのは、刑罰が究極的な人権侵害だからだ。
死刑になれば命を奪われるし、懲役刑になれば自由を奪われて刑務作業に従事しなければならない。
いい加減な解釈で刑罰を科するのは、基本的人権の保障という憲法の三大原理に反し、ひいては「個人の尊重」が図られなくなる。
主権者である我々国民の代表者で構成される国会が作った法律がなければ原則として刑罰を科すことはできない(条例は例外)。
これは憲法の三大原理のひとつである国民主権から導かれる。
また、罪刑法定主義は、基本的人権の保障という機能だけでなく、犯罪の事前抑止という機能も担っている。
このような行為をすれば処罰されるということを国民が知っていれば、「処罰されるのは嫌だから止めておこう」と考えるようになる。
それでも敢えてやってしまう人もいるが・・・。
例えば、強盗殺人の法定刑は「死刑又は無期懲役」しかない。
死刑と無期懲役しかないとなれば、抑止を目的とした威嚇効果は抜群だ。
よほどのことがない限り、誰もやろうとは思わないだろう。
このように、罪刑法定主義は基本的人権の保障が主たる目的だが、犯罪の事前抑止という目的もある。
編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2023年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。