2月25日の東京新聞の記事「一揆寸前?令和の時代の「五公五民」は本当か 「国民負担率47.5%」の意味を考える」が話題になっていました。
国民負担率の定義や歴史、現状については、大方この記事の通りなのですが、本稿では国民負担率について別の角度から考えてみたいと思います。
国民負担率という指標は、分母に国内総生産や市場価格表示の国民所得ではなく、要素費用表示の国民所得が使われているという致命的な欠陥を除いても、なかなかとらえどころのない指標です。
実際、国民負担率は何を表しているのか、あるいは、国民負担率に意味があるのかなどについては、論者によって考え方はそれぞれですが、最大公約数的にまとめると、次の3つのようになります。
1つは、国民負担率はその名の通り、「国民の負担の大きさ」つまり「政府が国民から強制力を持って徴収する貨幣額」を表すという考え方です。こうした考え方を取る人は、政府によって強制的に徴収される貨幣額が大きくなるほど、国民の可処分所得額が減るので、国民の経済活動や社会活動に悪影響を与える点を懸念するのです。ただし、政府は国民から強制的に貨幣を徴収するだけではなく、支出も行っていますから、なぜ税や社会保険料など負担面にだけ着目するのか合理的に説明はできません。
2つは、「政府の大きさ」を表すという視点です。政府の大きさといっても支出規模ではなく収入規模で評価する考え方です。ただし、なぜ支出ではなく収入で評価するのかははっきりした根拠があるわけではありません。
3つは、「所得再分配の大きさ」を示す代理指標という意味付けです。政府が徴収する税や社会保険料は、原則、そのまま支出されることになりますから、財政赤字がゼロか小さい場合には妥当な考え方と言えます。ただし、政府は所得再分配以外にも税収を用いますから、一対一で対応するわけではないことに留意しなければなりません。
以上のように、国民負担率が「国民の負担の大きさ」「政府の大きさ」「所得再分配の大きさ」のいずれを表すにしても、負担だけを見ていては不十分なのです。つまり、負担に見合った受益が得られていれば、受益と負担が相殺されるので、国民の負担感はぐっと減るはずだからです。
そこで、ここでは、「国民受益率」を計算してみたいと思います。国民受益率は、いろいろ疑義はありますが、国民負担率と同様、分母には要素価格表示の国民所得を用いることにします。
政府の経済活動には、得られる便益が特定の個人に帰着できるものとできないものがあります。前者はいわゆる公共財で、後者は移転支出です。これらは内閣府経済社会総合研究所「国民経済計算」によれば、それぞれ政府現実最終消費、現物社会移転以外の社会給付及び現物社会移転に対応します。
国民負担率と国民受益率の推移を示したのが下図です。
このグラフによれば、2000年辺りまでは国民負担率が国民受益率を上回って(つまり負担超過)で推移していましたが、それ以降は国民受益率が国民負担率を上回って(つまり受益超過)推移し、足元ではわずかに受益率が負担率を上回っていることが分かります。つまり、国民負担率から国民受益率を差し引いた国民純負担率で見れば、「五公五民」などでは決してなく、ゼロ公十民ともいえる有様です。
要は国民全体としてみれば、純受益を享受しているのですが、この負担を上回る受益を得られるカラクリは、ご承知の通り、その差額は財政赤字により将来世代が負担しています。
つまり、国民負担率だけで見れば、確かに「五公五民」かもしれませんが、国民受益率も含めて考えれば、負担はほぼ相殺されているので、負担感は感じられないはずです。
しかし、SNSを見れば、負担の重さに対する怨嗟の声が満ち溢れています。
このギャップを解くヒントは、国民負担率と国民受益率はマクロの指標であって、平均的な国民という仮想的な個人に関するものと言えますが、現実世界に生きる私たちは、所得の面でも年齢の面でも様々です。特に日本の場合、受益と負担のタイミングのずれが大きいのが特徴です。つまり、受益はもっぱら引退後に集中しているのに対して、負担はもっぱら勤労期に集中しているのです。
つまり、現状では、受益は高齢者に偏り、負担は現役世代に偏っているため、マクロで見れば受益と負担は一致しているように見えるのですが、ミクロ(世代別)で見ると、受益と負担が乖離しているからです。
このため、マクロで見れば、受益と負担が相殺されると言っても、個々人の受益と負担を見ればライフステージによって受益と負担がアンバランスとなっていて、例えば現役世代から見れば、給付を貰えるのずっと先のことなので今時点の負担の重さだけが強調されることとなり、不満が高まるのです。
さらに、将来的にはこうした「寛大な」社会保障は維持できなさそうなのことをより若い現役世代は直感的に理解しているという現実もあるでしょう。
こうした受益と負担の時間的なずれや、財政・社会保障制度の持続可能性に対する漠然として不安が、経済の低迷や少子化、高齢化の進行と相まって、世代別に与える影響が異なることを数値として客観的に示すのが、世代会計ということになります。
筆者の試算によれば、後に生まれる世代ほど重くなっていること、しかも、負担から受益を相殺した純負担で見れば、現状の平均値ゼロ公十民ではなく、四公六民、もしくは八公二民と江戸時代の農民並みの重税世代があることが分かります。