時計の針を10年前に戻そう。イギリスの高級誌「エコノミスト」(2013年8月31日号)が、アメリカのシリア攻撃(の可能性とその代替案)を巡り、こんな見出しの記事を載せた。
Global cop, like it or not.(好むと好まざるとにかかわらず、世界の警察官)
「エコノミスト」にこう言われたから、ではあるまいが、2013年9月10日、当時のオバマ米大統領がシリア問題に関する米国民へのテレビ演説で「アメリカは世界の警察官ではない」(America is not the world’s policeman.)と明言し、世界に大きな衝撃を与えた。
演説の中身を振り返ってみよう。
「8月21日、事態は大きく変化しました。アサド政権が何百人もの子どもを含む1000人以上の人々に毒ガスを浴びせ、殺害したのです」
「シリアで化学兵器が使われたことについて異論を唱える人はいません」
「(この攻撃には)アサド政権が関与したことがわかっています」(米大使館訳・以下同)
オバマ大統領は、2013年8月の時点で「シリアにおける化学兵器の使用はレッド・ライン」と明言していた。
「レッド・ライン」(赤い線)とは「最後の防衛ライン」や「譲歩の限界」を差す言葉である(『リーダーズ英和辞典』)。要は、越えてはならない一線であり、「これ以上は譲歩できない。そこから先は交渉の余地がない」というラインである。アメリカの大統領が使えば、その先の米軍事介入を強く示唆する表現となる。
そこで、オバマ大統領がこう演説した。
熟慮を重ねた結果、アサド政権の化学兵器の使用に限定的な軍事攻撃で対処することが米国の安全保障上の利益にかなうと、私は判断しました。この攻撃をするとすれば、その目的は、アサド大統領の化学兵器の使用を抑止し、同政権の化学兵器使用能力を弱め、その使用を認めないことを世界にはっきりと示すことです。/これは軍の最高司令官としての私の判断です。
だが結局、アメリカ軍は「限定的な軍事攻撃」を実施しなかった。その理由も演説で明かされていた。
しかし同時に、私は世界で最も古い立憲民主主義国の大統領です。ですから、たとえ私に軍事攻撃を命じる権限があるとしても、米国の安全保障に直接的あるいは切迫した脅威がない場合には、この問題を連邦議会での議論に付すことが正しいと考えました。大統領が連邦議会の支持を得て行動するとき、米国の民主主義はより強固になると考えます。そして我々が結束するとき、米国は国外でより効果的に行動できると考えます。
案の定、連邦議会で反対論や慎重論が続出し、結局「連邦議会の支持を得て行動」できなかった。オバマ大統領は、同年8月31日にも「軍事行動に踏み切るべきだと決断した」と明言し、「地上部隊は派遣せず、短期間の限定的な作戦になる」と述べ、「議会の承認を求める」との表現で、連邦議会が再開される9月9日以降に承認を求めていく姿勢を示していた。8月末の時点で、シリアへの攻撃に踏み切る決断をしたと明言しておきながら、その舌も乾かぬ9月10日、前言を翻すようにして矛を収めた。
結局、軍事行動は見送られた。戦争が回避されたと肯定的に評価することも可能だが、アメリカ大統領の重大な決断が実行されなかったとも言える。詳しい経緯や日本への教訓については、拙著『日本人が知らない安全保障学』(中公新書ラクレ)に委ねるが、要は、オバマ政権が「渡りに船」と、ロシアの提案(シリアに化学兵器を廃棄させ、国際的に管理するためのプロセス)に乗ったわけである。
アゴラの閲覧者に改めて指摘するまでもないが、当時のアメリカ副大統領はバイデン(現在の米大統領)。島田洋一教授(福井県立大学)のツイート投稿を借りよう。
やはり「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」(マーク・トウェイン)。肝に銘じたい。