ロシアによるウクライナへの本格侵攻が始まって、一年が経過した。欧州においてほどではないが、恐らくは他のアジア地域などよりは激しく、日本でも様々な議論が喚起された。極めて印象的なのは、他の国際的な事件では見ることができないほどに、感情的なやり取りが行き交っているいることだ。
戦争の背景には、根深く複雑な要因がからみあう。国際政治学の教科書的な分析にしたがって整理するだけでも、私自身が行ったことがあるように、人間のレベル(プーチン大統領の持つイデオロギー)、国家のレベル(ロシアの特異な権威主義的レンティア国家性)、国際システムのレベル(欧州の安全保障メカニズムの機能不全)という三つの位相から、問題を捉えることができる。
だがそれにしても印象的なのは、当初は「ロシア人とウクライナ人の民族的一体性」なるものを唱える論文を発表して歴史的洞察を持つかのように振る舞おうとしていたプーチン大統領が、最近ではもっぱら欧米批判に終始していることだ。
ラブロフ外相も、G20外相会議が開かれたインドで「ロシアは戦争を止めようとしているが、西側諸国が戦争をけしかけている」と発言して話題になった。ロシア政府高官は、アメリカを中心とする「西側」が戦争を煽っている、という物語を強調することに専心し始めている。
客観的な状況を見れば、侵略を仕掛けたロシアが、戦争の責任を第三国であるアメリカやその他の「西側」諸国に負わせようとするのは滑稽でしかない。恐らく国際世論の大半は獲得できない破綻した論理である。
しかし、実際には、プーチン大統領の見え透いた反米主義のロジックに、反応してしまっている人々がいる。私自身は、近刊の拙著で分析しているが、プーチン大統領の思考には、「大陸系地政学」の伝統に特有の圏域思想がある。これは「英米系地政学」の世界観と鋭く衝突する。
独立国家としてのウクライナの存在を含めて、現代国際秩序を支える法規範体系は、「英米系地政学」の世界観と親和性が高い。だが、だからこそ、国際秩序そのものに不信感を持つロシア人の行動は、国際法違反を糾弾する声だけでは、変えられない。
この世界観の衝突を、極めて浅薄に説明してしまっているのが、陰謀論界隈の事情だ。
「万国の反米主義者よ、団結せよ」、といった歪曲された見え透いたプーチン大統領のメッセージが、実際に世界中の反米主義者にアピールし、「ディープステートが全てを動かしている」「グローバル主義者が世界を支配しようとしている」といった陰謀論者の感情を高ぶらせている。被侵略国であるウクライナの人々の気持ちや訴えを度外視する形で、世界の陰謀論者たちは、プーチン大統領の反米主義のレトリックに、現実から乖離した怪しいロマン主義を投影してしまっている。
冷戦時代のソ連の権勢を知るロシア人たちにとって、今のロシアの地位と国力は、不満なものでしかない。客観的に言えば、身から出た錆と言わざるを得ない歴史的事情があるだけなのだが、人間の感情は、不満のはけ口を求め続ける。 「君が不幸な状態にあるのは、君のせいではない、他人のせいだ、つまりウクライナ人のせいであり、アメリカ人のせいだ」と耳元でささやかれると、堰を切ったように、巨大なフラストレーションあるいはルサンチマン(怨恨)の思いが、指示された方向に向かっていく。
これはロシア人だけでなく、ワシントンDCの外交エリートにルサンチマンを持つシカゴ大学のオフェンシブ・リアリストの理論家や、日本の外交エリートや同盟国アメリカにルサンチマンを持つ非武装中立思想にかぶれた日本の高齢者層などの場合にも、基本的には事情は同じであろう。
フリードリッヒ・ニーチェは、『道徳の系譜学』の中で、強者の道徳論と弱者の道徳論の違いを分析した。強者は、自らの価値観にそってまず「良い」ことを定め、それに反したものを「悪い」ことと観念する。弱者は、強者の存在を「悪い」ものとして定め、その反対に位置しているという理由をもって自分たちの存在が「良い」ものであるという正当化の根拠にする。
プーチン大統領が世界中の陰謀論者にアピールしているルサンチマンの道徳論は、残念な現実の一様相として、認識し分析していかなければならない。だがそれは弱者のルサンチマンの道徳論である。ルサンチマンに基づく行動に、建設的な未来はない。
強者は、それを反省的に捉えていく視点を持つべきではあるだろう。だが弱者におもねるだけでは、何も生まれない。それどころか永遠のルサンチマンの発露が繰り返されていくだけだ。
国際秩序の維持には困難が伴う。反省的な思弁も必要ではあるだろう。しかし大枠では、現代国際秩序を維持すべき者たちが、現代国際秩序を維持するための努力を惜しむようでは、待ち受けているのは永遠のルサンチマンの発露による混乱だけである。
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