無登院除名・ガーシー氏があぶり出した「国会のバグ」

高橋 大輔

「ガーシー」こと東谷義和・元議員の除名。私自身は昨年の参議院議員選挙でも投票した訳ではないので関心もほとんどなく、除名の処分そのものは妥当であったと考えます。

しかしながら一連の騒動、さらには所属政党の名称変更など、さまざまな「国会のバグ」を可視化したという点においては、身を挺しての少なからぬ功績であるとも個人的には思っています。

コンピュータプログラムの欠陥を虫食いになぞらえて「バグ」と呼びます。国会をはじめとした議会運営にもこうしたバグあるいは制度の不備は顕在し、その隙をついて誕生したのがNHK党あらため政治家女子48党であり、今回のガーシー氏でした。

同氏に対する是非は私が声高に主張する話でもなく、また関心もありません。その一方で可視化されたバグについては、手当てをするのか、それともこのまま放置するのかという点に関心が向かいます。

そこで今回は思い浮かぶまま、除名騒動で明らかになったバグについて考えたいと思います。

NHKより

バグその1・人気投票による当選の是非

今回真っ先に浮かんだのは、ガーシー議員の誕生につながった参議院の全国比例区、比例代表制に関するものです。政党ごとの総得票ごとに議席数が決まり、さらには政党内で本人の名前が書かれた順に当選が決まっていくという仕組みですが、極論すると「候補者の資質に関係なく、得票だけで当選できてしまう」のが現状です。

これに納得できない人は、制度をハックしたNHK党のみならず、候補者人気にあやかっているすべての政党を漏れなく非難しなければなりません。毎回のごとくタレント候補を擁立する自民党や立憲民主党は言うに及ばず、国会でディナーショーのPRや年金未納を放言するような議員を誕生させた日本維新の会もその誹りはまぬがれません。

もっとも制度自体が諸悪の根源という訳ではなく、先日逝去された扇千景・元参議院議長もその振り出しは自民党が知名度を武器にしての比例区擁立でした。自民党が責任をもって扇さんを育てたというのもありますが、本人の覚悟や努力も少なくないでしょう。

果たしてガーシー氏は、そしてNHK党はどうだったでしょう。それはここで語る必要もありませんが、支持者が育てなかったというのは大きいです。議事堂前でにわかデモを起こす前に、1票を投じた有権者こそが「ガーシー、ちゃんと仕事しろ!」尻を叩かなければいけなかったのです。

バグその2・届け出名、さらに党名などはどうか

議員としての届け出名にも、昨年の議員誕生時には私自身、首をかしげた一人です。これもある意味で制度のバグみたいなもので、当選同期の中では心身不調を理由に辞職された、れいわ新撰組の水道橋博士議員や日本維新の会の中条きよし議員など、芸名での登録も議長への届け出が許可されれば認められます。前述の扇千景さんも本名は「林寛子」さんでした。

けれども東谷氏のような場合はどうか。議員名としての届け出のみならず、立候補時の届け出においても「ガーシー」を認めたのは、いま話題の総務省です。NHK党の戦略としては、漢字が書けない人でも名前を書けるだろうからそれは当たりというか作戦勝ちではあります。けれども客観的に見れば、選挙制度のバグを衝かれた以外の何物でもない。私はそう考えます。

高市早苗・元総務大臣と立憲・小西議員のバトルで取りざたされる大臣レク、この言い回しも上から目線であまり好きではありませんが、レクの存在以上にガーシー候補者の届け出名をめぐる行政文書の有無はどうなんだと悪態をつきたくなります。

そのガーシー議員の除名に際してはNHK党の立花孝志代表が辞任を表明し、タイミングに乗じて政党名を「政治家女子48党」という人を食ったような名称に変更しました。これもやはり総務省の仕事によるもので、選挙サイト「政治山」によると「公序良俗に反しないことを基準に、個別判断」するとのこと。

政党名にルールはあるの?
【政治・選挙プラットフォーム政治山】次世代の党が月内にも臨時党大会を開いて党名変更を検討するようです。分裂した維新の党でも話題となった政党名ですが、名称にどのようなルールがあるのでしょうか。

「政治家女子~」は、どこからどう見ても某アイドルグループのもじりですが、これを許可した辺りがお役所仕事、ここに極まれりといった感じです。元をただせば、かつて「生活の党と山本太郎となかまたち」というヘンテコな党名を認めた時点で終わっている話で、これらの党名をおかしいと判断できない総務省は、やはりおかしいです。

「人名は不適」「政党の理念を表しているとは社会通念上、到底認められない」、総務省はそういう大人の判断が出来ないのかと疑ってしまいます。

最大のバグは、有権者の「政治的無関心」

ほかにも選挙や国会をめぐってはさまざまな「バグ」が潜んでいると感じますが、何よりも一番大きいのは、有権者の「政治的無関心」、これに尽きます。社会の授業でも公民などで少し出て来るポリティカル・アパシーというやつです。結局は、有権者の無関心がダメな政治家を許容しているからこうなるのでしょう。

もちろんガーシー議員の除名をめぐっては「寝ている議員はどうなんだ」「パパ活議員は今も辞職していないじゃないか」「夜のクラブ活動議員は」等々。これ以上は羅列するだけ空しくなるので止めておきますが、そういう不埒な議員には間違いなく次の選挙で審判がくだることでしょう。納得できないなら、毎回の選挙で賢明な判断をするしかありません。議員の首を簡単にすげ替えることが出来ないのはある意味で民主主義の代償みたいなもので、それが納得できなければ法律を改正するしかありません。

今回のガーシー議員除名をめぐっては、賛否いずれの立場であれ胸のすく思いをした人は少ないのでは、おそらく後味の悪い思いをした方が大半かと思います。私もその一人で、だからこそ目の前に迫った統一地方選挙では、しっかりとした候補者を見極め、一票を託そう。自戒を込めて、そう思います。